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スワミジの伝記 2-39(『Swamiji The Manifestation』より)

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第2の周期(1954-1966) 若きスワミ 第39話

 スワミがまだケセアで暮らしていた当時、腰布だけを身につけたヨーギや、長い髭を生やし、やせ細ったサドゥー(神を探し求めるために敬虔で禁欲的な生活を営むヒンドゥー教の托鉢僧)がスワミのもとを訪ねてくることは稀ではなかった。彼らは決まってひとりで、夜遅くにやってきた。到着すると、スワミの前にひれ伏し、スワミの足に触れた。そして、黙ってスワミの横に座るのだった。朝になると、彼らは静かに去っていった。ある夜、非常に高齢の男がガナパティ・スワミへ会いにやってきた。彼はダンダ(杖)とカマンダラ(水入れ)を手にしていた。到着すると、片足で立ち、もう一方の足でその足を支えるヨーガのポーズをとった。そして、両手を杖に添え、その棒を使いながらスワミの足に触れた。その後、若きグルの前にひれ伏した。偉大な聖人たちが服従の姿勢を見せる際にするグルダルシャンを行ったのだった。スワミは自分の目の前にある小さな敷物の上に座るよう、彼に丁重に伝えた。

「あなたは何者ですか」とスワミは尋ねた。
「わかりません」と、その老いた訪問者は答えた。
「どうやってここへ来たのですか」
「暗い中、模索しながらここまでやってきました」とサドゥーは言った。
「なにを模索しているのですか」
「パラブラフマー(至高のブラフマン、至高の絶対者)です」
「パラブラフマーはあなたの親戚ですか。行方不明なんでしょうか」と、スワミはおどけて言った。
「私自身がパラブラフマーだと、シャストラは述べています。私自身が、その気の毒で行方不明の不幸者だと」
「なぜシャストラはあなたにそう言うのでしょう」
「私のような不幸な人々に道を示すためです。ウパニシャッドは、私だけでなく全宇宙へ、“タット・トヴァム・アシ”(汝はそれなり/梵我一如)と伝えています」と、その訪問者は説明した。
「では何だというのでしょう。シャストラを書いた人々は、あなたが自分を失ったことをよく理解していました。あなたが失くした自分を見つけなければならないことを、こうした師たちは知らなかったんでしょうか。真の自分の見つけ方をあなたに伝えるのが、彼らの義務ではないでしょうか」とスワミは尋ねた。
「我が師よ、おっしゃるとおりです! シャストラの教えを信じ、私はただ彼らが勧める道を辿り、隠遁者となりました」とサドゥーは説明した。
「では、あなたの問題はなんでしょう」
「私は正しい道にはいますが、前に進んでいないのです」
「では、どうしてここへ来たのですか」
「前回の満月の際、ブラフマクンダで沐浴をしようとコーヴェリー川へ行きました」と老いた男は説明した。「そこでヒマラヤから来たヨーギたちに会ったんです。彼らはあなたに会いにきたと言っていました」
「すると、彼らに勧められてあなたはここへ来たのですか」
「はい」
「彼らはヨーギであり、あなたはサンニャーシ(世俗を完全に捨て、最上の真我であるパラマートマンに意識を向けた人物)です。あなたは彼らと、どんな関わりがあるのですか」とスワミは尋ねた。
「おお、師よ! ヨーギも聖人も、終焉は同じとパラマートマンは説かなかったでしょうか」とサドゥーは尋ねた。
「終焉は同じかもしれません! しかしおそらく、私たちのような若輩者は、まだその段階へは到達していません」
「師よ! 私は高齢です! お願いします、私にこれ以上、試練を課さないでください。私を助けてください、そして何をすべきか教えてください」
「ヨーギたちと出会い、あなたはどんな考えを得たのですか」
「あなたが、人知れず放浪するヨーギたちにふさわしい霊的修練を示すために、そして、彼らがそれを実践しやすくするために生まれた、ヨーゲーシュワラ(ヨガの師、シヴァ神の別名)であるということです」と老いた男は説明した。
「つまり、それがあなたの考えだったのですね。そして、どうしたいのですか」
「あなたが従っているのと同じ、気高い務めを観察したいと願っています。あなたの道にならいたいのです」
 スワミは黙っていた。そして、こう考えた。「この男は自身の霊的実践に対して誠実だ。断固であり、大きなことを達成できる。しかし疑い深いトマスだ(※翻訳注・疑い深いトマスはキリスト教の聖書に出てくる人物で、キリストの復活を疑い、復活したキリストが現れたとき、腹に空いた槍の刺し傷に自分の手を差し込んで確かめたとも伝えられている)。私が気高い正義の道を真に進んでいると確信しない限り、私の言葉に注意を払わないだろう。もし私が何もしなければ、善良な男は悲惨にも聖なる人物になり損ねてしまう。彼のために、何かしなければ」
「私は今、聖人の道のみを進んでいます」とスワミは言った。
 サンニャーシは疑いの目でスワミを見た。
「あなたの疑念はなんなのですか」とスワミは尋ねた。
「お許しください! もしあなたが聖人なら、あなたの杖と聖布はどこですか」
 スワミはサフランの外衣が上にかけられた、隅にある長い竹棒を指し示して、「あの隅に置いてあるのを見ませんでしたか」と、答えた。
「あれですか」とサドゥーは棒を指差して答えた。「どうしてあの杖は、私の物に似ていいないのでしょう」
「私の伝統は異なります」とスワミは答えた。
「あなたの伝統とはなんですか」
「アヴァドゥータ※29の伝統です」
「つまり、どういうことでしょう」
「ダッタートレーヤの伝統です」とスワミは説明した。
「あなたの師はどなたですか」と老いた男は問いかけた。
「私にはふたりの師がいます。ひとりは私の母であり、もうひとりはアヴァドゥータ・スワミです。ふたりとも、肉体を離れました。私が従う伝統では、ヨーガ名(ヨーガ名は、放棄した際に授けられる名前を意味する)を持たないことになっています。私の杖の名は“アートマーナンダム”(真我の実現で得られる無常の喜び)で、節がありません」
「どの聖典を見れば、あなたの伝統や、それに近いものを知り得ますか」
「これは、聖典の中に見つけられるものではありません。師から弟子へのみ相伝されるべき、秘技のヨーガなのです」
 老いたサンニャーシの顔は喜びで輝いた。目を閉じ、スワミの言葉で瞑想を始めた。
「放棄とは、ただ杖を持つことでしょうか、それとも内なる部分で為すべきことがあるのでしょうか」と、スワミは沈黙を破って尋ねた。
「師よ、まさに! シャストラを引用させてください! プラナヴァ・ウパーサナ※30の道を極めるには、三つのグナ(属性)を一つに溶け込ませなければなりません。最後にサットヴァ(純性)のみが残ります。そのサットヴァは自我と溶け込まねばならず、自我は大いなるものに溶け込み、大いなるものは知恵に溶け込みます。私はこの段階を順に踏もうとしたのですが、前に進むことができないため、こうしてあなたの足元で懇願しているのです」と、サンニャーシは辛そうに言った。
「あなたの障害はなんですか」とスワミは尋ねた。
「自我を征服しようとすると、問題が生じるのです、師よ! 食べ物の必要性が、私を人々に引き寄せます。そして人々といると、私がどれだけ自我を無くそうと努力しても、彼らの暴挙に邪魔されてしまうのです」
「森の中の木や、山の上の岩は人々に悩まされないから、あなたよりも自我を征服しやすいと言っているのですか」ガナパティ・スワミは尋ねた。
「申し訳ありませんが、あなたのおっしゃることが理解できません」
「ここが大切です! 人が自我と闘う限り、いかなる暴虐も世界に存在できません。自我との闘いを始めるだけで十分なのです。そうした争いを始めれば、悪人や乱暴者に遭遇することはありません。ユディシュティラ王(『マハーバーラタ』に登場する英雄)の話を聞いたことがありませんか。その話をよく読んでみてください。邪悪な人々による暴虐ぶりが、あなたの主な障害ということですね」
「そうです! お願いします!」と老いた男は請うた。
「観察を修練したいのなら、私のヨーギとしての日々の勤めの代わりに、私の幼少時代に注目してください。あなたは若い頃の私の行為を観察するべきでした。ここへ来るのが十年遅すぎました」と言ったあと、スワミは口を閉ざした。
「私を助けてください、師よ! 私には、逃げ込める場所がどこにもないんです。あなたが、私の唯一の望みなのです!」そう言い放つと、老いたサドゥーは立ち上がり、ガナパティ・スワミの足元にひれ伏した。スワミは愛おしそうに彼に微笑んだ。

「偉大なる聖人よ、立ってください!」とガナパティ・スワミは言った。「原初の師が、あなたに慈悲の恵みを与えました。あなたのダッター・ウパサナ(ダッタートレーヤ神の教えにもとづいた霊的実践)が実り多きことを! 私はあなたに内なる視覚を授けました。目を閉じ、内を見つめれば、若い頃の私が七年間行った霊的実践を見られることでしょう」

 スワミがそう語ると、老いた男の目がゆっくりと閉じられた。パドマーサナ(蓮華座)の姿勢で座り、すぐに深い瞑想状態へ入った。すると即座に、彼の視覚にサティアナーラーヤナ少年の姿が現れた。長い間目をつむっていた老いたサドゥーがついに目を開けると、彼を見つめるスワミの姿が見えた。
「師よ、私は祝福されました!」 少し間を置いてから、彼はスワミに何を見たかを語りだした。「もしお許し願えるのなら、私にはまだ質問があるのです」
「尋ねてください」とスワミは笑顔で言った。
「私は最善を尽くしましたが、外へ向かうあなたのチッタ・ヴリッティ(俗世界と関わる心の動き)しか見られませんでした」
「そこに何を見たんですか」とスワミは尋ねた。
「あなたの霊的実践のすべての段階で、聖なる力があなたを導いていました」と、老いたサンニャーシは述べた。
「ええ、では、その聖なる力がどうして私を煩わせるのでしょう」
「あなたの偉大さが故です」
「いいえ! あなたは間違っています」とスワミは言った。「霊的実践をする際、人は偉大さについて考えてはなりません。あなたに手ほどきをした人物が、あなたの霊的実践に注意を払ってくれます。必要なことは二つだけです。ひとつは、指示されたとおりに行うこと。もうひとつは、あなたに何を伝えるべきかは、あなたの師がよく知っているというのを理解することです」
「ええ、このことについてはシャストラで読んだにもかかわらず、私は過ちを犯してしまいました」

「この肉体は二十四歳です」と、スワミは説明した。「この肉体が育ったのは、ボンメーパルティという村です。私は幼少時代のほとんどを、家の横にあるアンジャネーヤ寺院で過ごしました。その頃、ゴンディレッディパリ村のシヴァ寺院が私の遊び場になりました。父がその寺院の司祭だったからです。学校が休みのときは、私が生まれたメクダトゥにあるサンガメーシュワラ寺院が聖地になりました。そうして、十二歳までを過ごしました。子どものころ、こうした聖地と関わりを持てたことは、私の努力によるものではありません。これに続く次の十二年間は、バナーガッタ、チャンパカダメシュワラ寺院、プロデーターにあるシヴァ寺院が、私の家のような場所になりました。ヌサム・シヴァ寺院、ヴィシュヌ寺院、アナンタプル・シヴァ寺院、カンドゥクル・シヴァ寺院、ナラシンハ寺院、マイソールのチャームンディヴァナムにあるチャームンディ寺院が、私の聖地の中心となりました。プロデーターでは、貴重なすばらしい仲間たちに恵まれました。この肉体は常に天使、寺院、高貴な人々と共にありました。母から授けられ、引き継いだ聖なる力のほかに、この特別な力、すなわち、天為の寺院との関わりが、私の霊的実践のための聖地を作り上げたのです。どちらの力もお互いの助けとなりました。この幸運の根源は、師(グル)の恩恵です。恩恵を授かる根源は、師への献身にあります。そうした教訓に専念してください」

 サンニャーシはしばらく考え、こう言った。「あなたのアンタルムカ・チッタ・ヴリッティ(内省の心)の姿をとらえることはできませんでしたが、私が観察する限り、あなたの心がヨーガの道にあることを感じます」

「わかりました」とスワミは頷いた。「アシュタ・シッディ(ヨギが持つとされる八つの超能力)の探求が私の道かどうかを知りたいのですね。それを聞いてくれたことをうれしく思います。あらゆる原子は、至高の意識へ到達するべきです。ウパーサナの修練が本当に進んだら、形ある神の崇拝から、形のない神の崇拝へ、すなわちサグナ・ウパーサナ(形ある霊的実践)から二ルグナ(形のない)・ウパーサナへと進むはずです。その後、あらゆるウパーサナを超越する段階へ到達するでしょう。しかしながら、私のまわりにいる帰依者たちは形ある神の崇拝者たちであるため、私の能力のサグナの部分は、彼らの利益のために最も頻繁に現れます。この化身に宿る能力の80%は、帰依者たちの困難を和らげるために使われるのです。将来的には、詩人たちには詩人として、ビジネスマンたちにはビジネスマンとして、苦しむ人々には援護者として、子どもには母親として、患者には内科医として、正統派の伝統に乗っ取る人々には正統派伝統主義者として、この力を示すことで、何千もの人々が救われることでしょう。この力はまた、科学者にとっての科学的原理に、少年たちにとってのコメディアンに、詐欺師にとっての処罰者に、避難が必要な人々にとっての防御に、運命に苦しめられた人々にとっての一筋の希望に、落ち込んだ人々にとっての勇気に、学者にとっての預言者に、堕落者にとっての清める者に、道に迷った人々にとっての案内者となるべく、用いられるのです」
「残りの20%は霊的実践を行う人々のためにあります」とスワミは続けた。「その祝福に値する優れた実践者を見つけるのは困難です。今世の目的は、そうした人々を探すことにあります。貴い霊的実践者は一体どこにいるんでしょう。自分こそ霊的実践者であると、誰もが勘違いしています。しかしながら、彼らのほとんどが自身を欺いているだけでなく、彼らの師をも欺いているのです。まず、良き実践という幻影を取り払わなければなりません。それは大変な作業です。つまり、人々がスワミから何を得られるかは、彼らに成長し、困難に立ち向かうという決意があるかにかかっているのです」

「あなたは、自身の魂に宿る知恵を理解するようになりましたし、こうした苦難についてもわかっています」とスワミは老いた男に言った。「あなたは内なる視覚で私の幼少期を見て、瞑想ができます。それはいいことです。現在、あまりにも多くの人々が偉大な霊的実践者を名乗り、わけもなく内的視覚を得ることを求めます。こうした視覚は、ダルマを広げるために、そして人々を助けたり、神の近くへ導いたりするために常に使われなければなりません。多くの人々が、私のウパーサナが何なのか、私がどんな力を持っているかを知りたがっています。最近、ある紳士が、私が行ったのはヤクシニー(低めの能力をもつ女性の天界霊)・ウパーサナかどうか尋ねました。彼はいたって普通の人物でしたが、想像力豊かで、霊力に対する欲がたくさんありました。道端で私を見かけた、より優れた人物は、私がクシュードラ(異端)・ウパーサナを実践していると言いました。そこで私は、彼に「ええ、私には幾分力がありますし、透聴力(遠くの音を聴く力)があります」と言ったのです。すると、自身の透視力を用いて私のウパーサナを見たその男性は三十分以内に私のもとへ戻ってきて、ガーヤトリー・ジャパの実践で自身の心を落ち着けられるよう、ヤントラ(神聖幾何学の図形)を授けてほしいと言ってきたのです。もし彼があなたに同じ要望を伝えたら、あなたは枝が折れるまで、その杖で男をぶつことでしょう。しかし、今世ではそれができません。ですから、私は気楽にヤントラを描いて、彼に投げ渡し、その場を去らせたのです」

「私がガナパティの偶像を持っているのを目にした人々は、私がガナパティ・ウパーサナを実践していると考えています」とスワミジは続けた。「彼らは、私がいつからこの偶像を持っているか、あるいは、この偶像でどんな霊的実践を行ってきたかについては尋ねてきません。では、彼らは何を根拠に、これが私のやっていることだと決めつけるのでしょう。こうした人々はみな、私がどのような力を実際に見せられるかどうかだけに関心があり、その先に意識を広げることに興味がありません。こうした力を正しく見極める方法すら、彼らは理解していないのです」

「彼らが気づいていないのは、私が何を達成するにも、彼ら自身に徳の高い変化をもたらすためだけに、そうした力を用いているという点です」とスワミは強調した。「異端のウパーサナ(悪霊を呼び起こすこと)には、崇高な道を歩む人を導く力はありません。たとえ誰かが異端のウパーサナを実践していたとしても、ヨーガを実践するのに十分な集中力があれば、その偉大な集中力が、彼を正しいウパーサナへ引き寄せます。誰かが特別な力に熟達しているかどうかを知るために第一にすべきことは、その人物が過去生でどのような精練を行ったかを理解することです。第二に、その人物を指導した師の力について理解します。第三に、その人物が経験した苦行の厳しさを考察しなければなりません。これ以上に考慮しなければならないことがさらにあります。額に大きなあざがあるからといって、彼がヤクシニー・ウパーサナを実践しているなどと判断してはならないのです。実際、私が得た力はすべて、ヨーガの実践のみから来ており、マントラを極めたからではありません。あなたの推測は正しく、確かに私はマントラを用いますが、私の主たる道はヨーガなのです」

「母が私にヴィディヤ(最高知識)を授け、ヨーガが私の修練とヴェーダの聖典をつなぐために不可欠な道であることを教えてくれました」とガナパティ・スワミは語った。「母の死後、父方の叔母ヴェーンカンマが私にアートマン※31・ウパーサナを授け、ハタヨガを教えてくれました。母が亡くなったとき“私は何者だろう”と自問しました。叔母は質問の答えを教えてはくれませんでした。叔母が答えを教えてくれなかった理由はふたつあります。まず、叔母がどんな答えを私に与えようと、それは答えにならないからです。それだけのことです。もうひとつの理由は、この肉体は現世に化身としてやってきたからです。この化身には多くの目的があり、その達成すべき目標のために、肉体に歴史が必要なのです」

「もし彫刻を作るのが神で、ブラフマーローカ(天界)で彫ったものを空に投げ込み、それが地上に落ちてきたのだとすれば、その彫刻がどう作られたか、誰が所有していたか、何を現しているか、私たちに語るべきことはなにもありません。しかし、神が山々を作り、私たちが山から石を切り出して運び、彫刻を掘ったのなら、私たちは歴史を展開していることになります。彫刻を作る過程で、多くの重要な学びがあります。結局、存在するすべての物は一片の石に過ぎませんが、その歴史は人々に彫刻を作る方法を教えるという役割を果たします。私の歴史はこの彫刻のようであり、その歴史は、あなたのような立派で徳のある実践者の疑念を晴らすのに役立つのです」とスワミは説明した。

 続けてスワミはサドゥーに語った。「今日、ガナパティが現れ、外見についてあなたに教えを説きました。あなたのような高貴な方々は、表面上の象徴であるダンダ(杖)やカマンダラ(水入れ)を大切にしています。心が狭く利己的な人々が外見を気にするのは理解できます。ですから私は、外見や物語を利用するのです。人々の役に立つなら、表面上の装飾品もいいでしょう。しかしこうした装飾にも、真の霊的探索者は象徴的な意味を見出し、それが正しい道を見つける助けとなるのです。ですから、私にはアヴァドゥータの道を象徴する赤い衣服が与えられました」とスワミは説明した。「この類の服がダッタートレーヤの伝統にふさわしいのです。しかしながら、真我は目に見える表面的なものや、耳で聞く教えの中にはありません」

「あなたがおっしゃったことは正しいです」とスワミは続けた。「あなたは、私の内なる存在を見ていません。それを見ない限り、真のサンニャーサ(放棄)が何かは知り得ません。実は、独立した内なる存在というものは、私にはありません。私の心には四つの状態があります。最初の状態は、あなたが触れた外へ向かうものであり、残り三つの側面である真我に吸収される部分、優れた部分、精錬された部分は、同時に存在します。私はこれらの四つの状態にそれぞれに等しく存在しているのです。特定の目的のため、時に精錬された部分が強まります。これが起こると、私はサマーディの状態にあると、人々は言います。他の国、あるいは異なる次元にいる、私に保護を求めてきた人々を守るため、ヨガ的な旅が必要な場合に、よくこの状態が生じます。また、異なる神々の影響が原因したり、無限形の自身を沈思したりすることによって起こることもあります。この状態は、ヨーガ科学の最終成果なのです」

「こうした他の状態について私が何を言おうと、すべて無意味でしょう」と、スワミは続けた。「私のこの状態が、経験を通して達成可能であると言うことも、間違いです。しかし、これ以外に言葉がないのです。最終的に、あなたが視覚化できるものは何もなくなります。あなたが十分、遠くへ行ったとすれば、もはやあなた自身は存在しなくなるのです。その状態をあえて名付けたければ、カイヴァルヤパダム(永遠の至福)とでも呼んでください。さあ、サダーシヴァが私を通し、あなたに霊的実践の基礎を伝えました」とスワミは締めくくった。「この状態を、自分自身で視覚化してください」

 この話が終わると、老いた男は最後にもう一度ひれ伏し、これ以上質問を投げかけることなく、静かにその場を去った。

※29 あらゆる執着を削ぎ落とし、すべてを完全に放棄した人物

※30 プラナヴァとは、オームのこと。ウパーサナは崇拝、あるいは神に瞑想することを意味する。プラーナヴァ・ウパーサナは聖音オームで瞑想することを意味する。これを実践する際、意識を内側へ向け、オームの音を表す神経系の内なる音を見つけ、その音を光に変えて自身の思考や心を照らすことができれば、実践者は至福の境地へいたる

※31 アートマンとは真我、あるいは真の魂のこと。至高の魂と個人の魂の両方を示しており、非二元論のヴェーダンタ哲学によれば、それらは最終的に同一である

続く

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