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タパス(熱、苦行)とは何か?

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『バクティマーラ』1996年8月号より

インドの人は皆タパスという言葉を聞いたことがあるでしょう。しかしその意味とは何でしょう?どうなされるものなのでしょうか?この答えを把握している人は多くはありません。
 一般的な考えでは、タパスとは森の中に座って髭を生やして、目を閉じて、息を止めジャパ(神の御名を唱えること)をしていることを意味します。これが本当ならば、なぜ有名なマハーバーラタのカウシカは、森で長い時間、タパスで過ごしたのにかかわらず、解放を得なかったのでしょうか?タパスの意味を理解するためにダルマヴィヤダの話を必然的に理解しなければなりません。ヴィヤーサ・バガヴァンはこのように説明しています。
 森の中でカウシカという名前のバラモンが長い期間、深いタパスの状態にありました。ある日、彼は木にとまっている小鳥の騒がしい音に心がかき乱されていました。目を開けて怒りながら鳥を見ました。すると鳥は一瞬で灰になってしまいました。カウシカは自分の霊的な達成をとても誇りに思いました。彼は急にひどく空腹であることに気づいて、ビクシャ(修行僧に与える食事)のために近くの村に行きました。ある家に行き、施し物を求めました。その家の婦人はビクシャを施すことに合意して家の中に入っていきました。婦人が食べ物を施そうしていると、その家の主人が非常に長い旅を終えて急に家に戻ってきました。婦人は施すことをやめ、代わりに夫の世話を始めました。夫の必要な世話を終えると婦人は外で待っている修行者を思い出して、急いでビクシャを持っていきカウシカに施すために出てきました。カウシカはとても長い時間待たされたため、非常に怒っていました。彼は怒って婦人をにらみつけました。婦人は穏やかに尋ねました。「おお、バラモンよ!私があなたに怒りで燃やされ灰にされてしまった小鳥であることがわかりますか?」

カウシカは唖然としました。彼は「母よ!何年もの長いタパスの後にも得なかったその神聖なヴィジョンの力(ディヴィヤ・ドルシュティ)をどうやって得たのですか」彼女は答えました。「すべてを説明する時間はありません。村のはずれにダルマヴィヤダという肉屋がいます。行って話しかけてみてください」カウシカは肉屋の店に到着しました。ダルマヴィヤダの店は多忙だった。彼は肉を切って売っていたが、細切れを投げて鳥にやっていた。カウシカを見ると言った。「あのおかみさんがあなたをここによこしたのか?おお、カウシカ。私はとても忙しいのです。あなたと話す時間はありません。店を閉めたら家に行って年取った親の面倒を見てるのです。その後なら話せます」

このことでカウシカはさらに唖然としました。長い年月タパスを行ってきたバラモンでも得られない神のヴィジョンを肉屋がどうやって得たのでしょう?その夜ダルマヴィヤダは彼の仕事を全部こなした後、カウシカにタパスの意味について説明しました。

 この話から、木の下に座って目を閉じマントラを唱え続けることがタパスではないことが明らかです。忠実に義務に精を出していた主婦や、商売に集中して務めに専心している肉屋がカウシカよりも霊的進歩を達成していました。それではタパスとは何なのでしょう?

 ヴェーダは真実を守ることはタパスであり、シャマ(マインドの統御)とダマ(感覚器官の統御)はタパスであると宣言しています。奉仕を貫くこともタパスであり、儀式もタパスであると言っています。こういったものはどうしてそれぞれタパスとして分類されるのでしょう?これが理解できたのなら、タパスの意味は非常に明確になるでしょう。

 引き受けたどんな仕事においても、背後にある思いは非常に大切です。利己的に行うのか、または非利己的に行うのでしょうか?穏やかな気持ちで行うのか、または怒りとともに行うのでしょうか?富のためなのか、それとも他の人のためなのでしょうか?それぞれの動機は非常に重要です。

 他を助けようという動機と、動揺なく穏やかに、そして平安の気持ちで完全な集中をもって非利己的に行われる仕事は、何だろうとタパスです。この態度でもって、森でするジャパ、肉屋で屠殺して肉を売ること、家事に精を出すことはすべてタパスとして考えらるのです。それがあの婦人が単に家事に励むことだけであの段階に達した理由です。

 この話は他の側面でも論じることができます。あの婦人にとって仕事のみが重要だったのです。彼女はバラモンに教えを与える暇さえありませんでした。商売人は親への務めを果たしてからのみ話すことができると述べました。言い換えるなら、家族や社会に対しての義務を完璧にこなしてからなされるタパスは良い結果を生みます。女性であろうと肉屋であろうと誰もがそのようなタパスを行うのにふさわしいのです。そのようなタパスは、想像もできないほどの結果をもたらします。

 母親が子どもの空腹を満たすように、サッドグルはその弟子の霊的飢餓を満たします

タパス=タパナ=神に到達するため、あるいは神を見るために欲望を焼き尽くすことです。タパスはまた一心集中で神を思うこと(アローチャナ)も意味します。ヴィチャラナ、または神の連続的な解析も意味します。ヴィチャラナはタパナとアローチャナの助けを借りて行われます。これはシッダーンタ(いかなる知識の分野においてもその分野で到達する究極的理解)です。この段階に到達する道は数多くあります。

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