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グル・ギーター 瞑想のための詩句

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シュリ・グルッビョー・ナマハ
ジャヤ・グル・ダッタ

グルを瞑想をする手順

弟子が何か良いことを始める前にグルに祈るという良い伝統を学び従うために、スワミジはグルを瞑想します。人類の善のためにこの伝統を始めた原初の存在に祈ります。

1
Gurur Brahmā Gurur Viṣṇuḥ
Gururdēvō Mahēśvaraḥ
Guru Ssākṣāt Paraṃ Brahma
Tasmai Śrī Guravē Namaḥ

グルとはブラフマー(創造主)、グルとはヴィシュヌ(維持する主)、グルとはマヘーシュワラ(破壊の主)です。グルはパラブラフマン(絶対者)の化身です。そのような私のグルに敬意を表します。シュリ・ダッタ・サッドグルは神聖なグルの伝統を人間の世界に持ち込んだ三位一体の化身です。そのため彼はどんな人にとっても真のグルとなります。
その伝統によって降臨したすべての真のグルは彼の異なる姿であり、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの象徴です。要するにグルとは「パラブラフマー」の別名であり、私はそのようなダッタ・グルに敬礼します。

グルの伝統の栄光が次のように歌われます。

2
Dattātrēya samārambhām
Nṛsiṃhādika madhyamām
Sachchidānanda paryantāṃ
Vandē Guru paramparām

ダッタートレーヤから始まり、中間にナラシンハ、そしてサッチダーナンダまで、サッドグルたちを順番に礼拝します。ここで「サッチダーナンダまで」の句は、シュリ・ガナパティ・サッチダーナンダ・スワミが現代の人々を向上させ、神聖な伝統を復興するために転生した原初のシュリ・ダッタ・サッドグルの化身であることを表します。

次にグルは幸運な神聖なる音節「グ・ル」の形で瞑想されます。スワミジはそれが私たちの呼吸の道を通して、どのように融合されるかを示しています。

3
Haṃsābhyāṃ parivṛtta hārdakamalē śuddhē jagatkāraṇaṃ
Viśvākāram anēka dēha nilayaṃ svacchandam ānandakam I
Sravākāram akhaṇḍa chidghana rasaṃ pūrṇaṃ hyanaṃtaṃ śubhaṃ
Pratyakṣākṣara vigrahaṃ Guruvaraṃ dhyāyēt vibhuṃ śāśvatam II

シュリ・グルとは宇宙の原因であり、その内部に宇宙の姿をもつ存在です。いくつもの体を身にまとい、意のままに働き、至福であり、目に見えない唯一なるものの化身です。崇高な知識、英知、完全な人格、無限なる者、吉祥、二音節の言葉「グ・ル」の意義の表れであり、永遠なるものの権化は、ハートの純化された蓮のなかで、「ハムサ」と「ソーハム」の一対の白鳥の循環とともに礼拝されるべきものです。(つまり吸う息と吐く息を通して)。

 私たちは皆、吸気と呼気のプロセスを通して生きています。「ハムサ」または白鳥はこの呼吸の象徴です。一つの息が中に入り、しかし中に入ったようには出てきません。それは出てくる前に心臓の領域の血液を浄化し、自己の変容を経験します。そのため入ってくる白鳥は、出てくるもう一つの白鳥とは異なり、それは二つです。白鳥のリズミカルな動きが私たちの生命の力です。それは私たちのハートの蓮もまた純化します。

次に「グル」という言葉に進んでいきましょう。それは非常に強力な綴りとなっています。二つの神聖な音節は神であるグルの直接的イメージです。二つの音節は二羽の白鳥を創り、吸う息と吐く息を通してハートに送られ、それは「アジャパ(詠唱しない礼拝)」と呼ばれます。これを実践する者は心臓が浄化されるだけではなく「ヨーギの右側にあるハート」も純化されます。
 
 グルを瞑想し、「アジャパ」と「ジャパ(詠唱あり)」のなかで、聖なる決まり文句「グル」の姿として彼を思う者の前にグルは自ら現れます。 
 どこから彼は現れるのでしょうか?人間の形?神の姿?髭を生やしているのでしょうか?剃髪でしょうか?どんな風なのでしょうか?

 グルのすべての特性は、その究極の性質を表しています。彼はその性質の化身として現れます。

 宇宙とは名前と形を意味します。グルは宇宙の原因であり、それは宇宙が彼から現れたことを意味しています。そのため全世界が彼の姿の中にあり、それは(同じ)金からできた腕輪や、指輪、チェーンのようです。そのため彼にはいくつもの体があります。ある人は小さな神像を保管してそれが彼らのグルであると言います。すべての体が彼に属しているので、それは正しくはありません。

 私たちは誰も完全には自主的に生きられません。そして自主的に死ぬこともできません。自然は私たちのコントロール下にありません。自然は言うまでもなく、心もまた私たちの意に反して行動するよう駆り立てます。いったいどこに自由があるのでしょう?ですがグルはそうではありません。彼は絶対的に自由です。彼は彼自身を支配し、全世界も支配できます。どうやったらそれが可能なのでしょうか?それができるのは、彼が全的な存在であるからです。
 彼はこれらの性質をすべて持っているので、至福の化身なのです。別の言葉で言えば、彼は幸せのかたまりです。彼を崇拝する人は自らその至福にいたります。至福とは吉祥であり、無限であり、絶対であり、遍満し、全知です。「シャーストラ」の用語では「アカムダ・チッガナ・ラサム(崇高な至福の精髄)」と呼ばれます。
 それはグルの真の性質であり、「グル・マントラ」を唱えたときにその形のなかに現れます。

次になぜグルを瞑想すべきなのかが説明されています。

4
Namāmi Sadguruṃ śāntaṃ pratyakṣa śivarūpiṇam
Śirasā yōga pītasthaṃ mukti kāmyārtha siddhayē

グルは平安の表れであり、ヨーガの祭壇に安置されたシヴァの直接の姿です。そのような真のグルの前に私は贖罪のために恭しく礼拝します。
 真のグルとはシヴァの直接のイメージです。しかし、ここでの「シヴァ」は通常の意味を伝えるものではありません。それは解放を意味します。
 すべての幻惑や荒れ狂う激情は、恩寵によって心に平安を与えられて静まります。そのようなグルが崇拝されるべきです。どこに彼は安置され、瞑想されるべきなのでしょう?心のなかのヨーガの祭壇の何千もの花弁のある蓮の上です。
 なぜこのすべてが必要なのでしょうか?欲しいものを満たすためでしょうか?私たちは何千万もの欲望をもっているかもしれませんが、欲望には終わりが無く、達成しても私たちは満足することなく、すぐに別の欲望が生じます。それは同じ道のりをたどります。このプロセスにおいて、それぞれの欲望がその終わりを見るとき、最後の欲望は解放です。それが最高のものです。それを得るとき、ほかに欲しがるものはありません。グルへの瞑想は解放のためだけにすべきです。誰もとりとめもない欲望のためにお願いをするべきではありません。とても素晴らしい宝があなたのものになると運命づけられているのに、小さな変化にケチケチして手を伸ばすべきなのでしょうか?

そのようなもっとも高度な方法でグルを瞑想できない者のために、スワミジは身体をもったグルを礼拝することを伝授しています。

5.
Prāta śśirasi śuklābjē dvinētraṃ dvibhujaṃ Gurum I
Varābhaya karaṃ śāntaṃ smarēt tannāma pūrvakam I
Prasanna vadanāṃbhōjaṃ sarvadēva svarūpiṇam I
Tat pādōdaka jāṃ dhārāṃ nipatantīṃ svamūrdhani I
Tayā saṅkṣāḷayēd bāhyaṃ āṃtaraṃ daihikaṃ malam I
Tat kṣaṇād virajō martyō jāyatē sphaṭikōpamaḥ II

毎朝起きてすぐに、頭上に白い千の花弁のある蓮を思い浮かべ、それを瞑想するべきです。あなたのグルがその蓮の上に座っていることを思い浮かべる必要があります。心の目でグルの目、手、そして平安な顔とともに安心させる手のポーズを見なければなりません。あなたはそのような方法でグルをイメージすることの本来の意味を徐々に理解するようになるでしょう。
 この瞑想プロセスにおいて、グルの名前が心の中の別の一部でマントラとして唱えるべきでです。すべての神の姿がグルのなかにあり、それを見るように心に描く必要があります。その姿をゆっくりと見て、グルの足にきれいな水で洗礼をします。その水があなたの頭に注がれ、その流れの内外のすべての汚れを洗い流しながら流れていくのを想像しなさい。それを完全に行うと、瞬時にあなたの不純さはなくなり、「ラジャス」と「タマス」の属性は破壊されます。罪は粗雑体と微細体どちらにもなくなるでしょう。あなたは完全な「サトヴィック」な気質のなかで、混じり気のない水晶のように輝くでしょう。
 皆さん全員が毎朝起きてすぐに瞑想すべきです。

グルの足、手、顔、目は特に瞑想されるべきだとすでに述べてきました。その理由を説明します。

6
Tīrthāni dakṣiṇē pādē vēdāh tanmukham āśritāḥ
Pīyūṣa bhājanaṃ haṃ hū Sadgurōḥ kara nētrayōḥ

彼の右足にすべての聖水と巡礼地があります。グルの足はまさに全「ティールタ(聖水)」であり、グルの顔は「ヴェーダ」です。瞑想のなかでそのような顔を見ると、その人はすべてのヴェーダを唱えるだけの利益を得ます。グルの目と手にはアムリタ(甘露)があります。グルの視線と手触りはヨーギーのアムリタをあなたのなかに流れさせるでしょう。

その後、グルの姿のなかに前述の体の部分を瞑想するべきでしょうか?残りの体の部分を瞑想すべきではないのでしょうか?スワミジはグルの全ての体の、完全な瞑想のプロセスについて説明します。

7
Āpādamauḷi paryantaṃ Gurūṇām ākṛtiṃ smarēt
Tēna vighnāḥ praṇaśyanti siddhyanti ca manōrathaḥ

 右のつまさきから頭のてっぺんまでグルの姿を段々と瞑想すべきです。結果としてすべての障害は取り去られ、あなたの望みはかなえられるでしょう。

 「ジニャーニャ」または英知があなたの頭に流れ入ることの結果として、グルの優雅な容姿があなたの頭に注がれるために、はじめにグルの足に集中すべきです。グルが身に着けている衣、装飾の他に、足、おなか、胸、腕、首、顔、頭を瞑想するべきです。観察をともなったこの瞑想の順番に従うのがいいでしょう。

 スワミジを見るとき、彼の身に着けているものには、重要性があり、特別なメッセージがあるので、履物の類を観察すべきです。それは、特定の日にどの神を彼のなかに招いているかを示しています。履物や衣をただ思いつきで選んでいるのではありません。頭からつま先までグルを瞑想する人もいます。これはもう一つの方法です。ですが、瞑想の初期から中間期においては、サルが飛び跳ねるように、気ままにさせるべきではありません。そのような揺らめく態度でグルを見るべきではありません。

 何か仕事を始めるときは完全な方法であなたの真のグルを瞑想すべきです。そうすれば行く先で何の障害もなく、あなたの望みは満たされるでしょう。

 このようにして、スワミジは『グル・ギータ-』の講話の前にグルを瞑想する方法を教えます。『グル・ギータ-』には「アンガニャーサ」と「カラニャーサ」がありますが、ここでは必要ありませんので置いておきます。

『グル・ギータ-』の詩句へ続く

☞シュリ・スワミジによる『グル・ギータ-』の詠唱アプリはこちらです
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