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ヨーガ・ダルパナ第一章 第一詩句

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1) Ataḥ yogānuśāsanaṃ
アタハ ヨーガーヌシャーサナム
意味:次に(アタハ Ataḥ)、ヨーガは以下の通りに述べられている(アヌ・シャーサナムanu śāsanaṃ)。

 これは、本経典の一番初めの詩句(スートラsutra)であり、二つの単語から成ります。詩句中の「アタハAtaḥ」は、格変化がありません(アヴヤヤavyaya)。この単語からは、五つの異なる意味を取ることができます!

 一番目の意味は、格変化がない言葉(アヴヤヤavyaya)から始まるこの経典(シャストラ shastra)は、不滅(アヴヤヤavyayaとも呼ばれる)の至高の主について説明しているということです。「全能の神について言及する経典は彼に祈ることから始めるべきでないのですか?」という考えは、実は必要ありません。

Omkāraścātha-śābdaśca dvāvetow braḥmaṇaḥ purā
kaṃṭhaṃ bhitvā viniryātow tasmāt māngalikāvubhou
オームカーラシュチャータ シャブダシュチャ ドゥヴァーヴェートゥ ブラフマナハ プラー
カンタン ビトヴァー ヴィニルヤートゥ タスマート マーンガィカーヴボウ

 上記の詩句を含む指針に基づくと、オムカーラOmkāraとアタハAtaḥは、吉兆であることは明らかです。ゆえに、本経典はアタハAtaḥという単語によって吉祥の始まりとなっているのです。

 「アヌシャーサナanuśāsanaṃ」は、教示を受ける新しい課題ではありませんが、古代の預言者の言葉が反復され、この文章を通して広められています。ヨーガyogaの知識がヒラニヤガルバhiranyagarbha(主ブラフマー)にその起源を持つために、有名な古代インドの哲学者ヴァーチャスパティ・ミシュラは、

Hiraṇyagarbho yogasya vaktā, nānyaḥ purātanaḥ
ヒラニヤガルボー ヨーガスヤ ヴァクター ナーンヤハ プラータナハ

「アタハAtaḥという言葉に含まれる様々な意味を理解しなさい」と言いました。
 上記のように、それはまず吉兆の始まりを示唆しています。

第二の意味は、好奇心(ジギャーサjigyāsa)、すわなち、理解しようとする強い願望です。

 「ヨーガは、統合を意味します」統合は幸福をもたらします。逆に言えば、分離は、悲痛をもたらします。このことは、日常生活でも経験できるでしょう!いかなる創造物も分離されやすいものです。それでは、いかにして分離されることがない状態に到達できるのでしょうか?何が至高の幸福をもたらすのでしょうか?「アタハAtaḥ」は個人の好奇心を刺激します。

 単なる欲望だけでは、最終目標の達成を確実にすることはできません!サーダナsādhana(霊的な追求)は、それ相応に能力のある人々の中でのみ結実します。ゆえに、第一に、それに値する性質(アルハタarhata)が、ヨーガの道へと一歩踏み出す以前に獲得されるべきです!その意味が、「アタハAtaḥ」という言葉によって示唆されています。

 言い換えると、「アタハAtaḥ」は、人生の各段階に対応した正しい(ダルマdharmaの)義務を守る人々、シャストラShastra(法典)によって規定された訓練に実践する人々、サッドグルSadguru(霊性の師)とその教えに対して絶対的信条を持つ人々、そしてプルシャールターpuruśārthā(人生の四つの目標)の到達への信念を持つ人々、そういった人々のみがヨーガの知識(ヨーガ・ヴィディヤYoga vidya)への到達の資格があります!

 「アタハAtaḥ」は、「その次に」という意味です。そうすると、何の後なのか?という疑問が生じます。ヨーガの知識の道は、サーダナ・チャトゥシュタヤsādhana chatuṭaya(永遠の知識を獲得する四段階)を達成した後にのみ始まることを示しています。では、サーダナsādhana(霊性探求)の四段階を読み解いていきましょう。

a) Nityānitya vastu vivekaṃニティヤーニティヤ ヴァストゥ ヴィヴェーカム(創造物における永続する対象と一時的な対象を峻別する知識)
b) Ihamutra phala bhoga virāgaイハムトラ ファラ ボーガ ヴィラーガ(現生と来世の両方での徳の結果からの無執着)
c) śamadamādi ṣatka sampattiシャマダマーディ シャトカ サンパッティ(マインドと感覚を制御するための六つの段階)すなわち、マインドの制御(マノ ニグラハmano nigraha)、感覚の制御(インドリヤ ニグラハindriya nigraha)、刹那的な快楽の一時的な休止、忍耐(サハナsahana)、平穏さ(シャーンティśānti)、そして献身(シュラッダśraddha)。
d) 解脱のための一意専心

 ヨーガとは、ドルシュヤdṛṣya(見られるもの)にドルシュタdṛṣṭa(知覚者、見るもの)が一体化することを意味します!ここで少し疑問があります。「見るもの」は、意識に満ちた生き物のことです。意識が全くない非生物である「見られるもの」とは何でしょうか?それらはどうやって一つもしくは同じになれるのですか?それらが、全く反対の性質を持つ場合、どうやって一体化できるのですか?

 この疑問の意味はわかります。我々のマインドは霊的無知(avidyaアヴィディヤ)と呼ばれる汚れで完全に覆われていますから、生命的(チャイタニヤchaitanya)と非生命的(ジャダjada)対象物は、あたかもまったく無関係の別々の存在であるかのように見えるのです。

 グルの恩寵により、凍った知性が溶け始め、それらの違いも消え始めます。真実が見えるようになります!暗闇というのは光が届かないことに他なりません。それがすべてです。暗闇の中にいる時でさえ、擬似的な光を頼りに、我々はそばに対象物があるように認識しています。ネコやフクロウのような動物は、擬似的な光を頼りに夜間でも周りを明確に判断しています。

 ゆえに、覚醒した見る人には、「相反するもの」、「疑似的なもの」と呼ばれるものはありません。覚醒した人のマインドはいかなる姿の変化も絶対に経験しません。

 私たちは霊的無知から生類を非生類とみなします。それがすべてです!ヨーガの知識は、我々から霊的無知を追い払い、「タット トヴァム アシTat-tvam -asi(それはあなたである)」という重要な言明を悟らせます。そういった象徴化された意味が「アタハAtaḥ」という言葉には含まれています。

 このような方法で、「アタハAtaḥ」は、神聖な経典に吉兆な始まりを与えるだけではなく、ヨーガの知識を通じて得られる究極の目標を示しているのです。それは、霊的な実践者を導き、ヨーガの秘密を実践者に教えます。

(続く)

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