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グル・ギーター 第12節

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12.
Japa stapō vrataṃ tīrthaṃ yajñō dānaṃ tathaiva ca
Gurutattvam avijñāya sarvaṃ vyarthaṃ bhavēt priyē

シヴァは続けます。
「おおパールヴァティよ。グルの特質がわからなければ、儀式上の慣習、祈り、苦行などはすべて役に立たない」

私たちは教育を受けたと思っています。 自分を科学者や学者、詩人や芸術家と考えているかもしれません。 しかし、ヴィディヤ(知識)とは何でしょうか? 科学、芸術などはある意味で知識の一部です。 同様に、ヴェーダ、シャーストラ、叙事詩も知識の一部です。科学などでは、それがどんなに遠くにあるものだとしても、五感で明らかなものを知らせるだけであって、 あなたに宿っている本当の自分を知らせることはありません。 反対にそれらはあなたを本当の自分からはぐれさせます。 ヴェーダなどの知識は、内省的にさせ、本当の自分を反映することを可能にします。 したがって、それらは科学よりもはるかに重要です。そのため科学は単なる知識の一枝に過ぎませんが、ヴェーダは真の知識を構成します。 しかし両方のタイプともに、その知識によっても、あなたを惑わし、無知なままでい続けるようにします。 いくつかの博士号を取得するだけで、あなたをこの状態に留めるでしょう。なぜでしょう?

グルの特質に関する知識がなければ、その他すべての知識は無知につながります。 したがって、それらは錯覚の仲介者と言われます。 シヴァは、それらを好む人は狭量であると言います。

前述の知識の一枝は、下位の知識を意味するアパラヴィディヤと呼ばれます。 もう一種類は、上位の知識を意味するパラヴィディヤです。 それはグルの恩寵によってのみ達成できます。

ヴェーダを学ぶ人の中には、アヌシュタナ(毎日の礼拝)をする人がいます。 しかし、アヌシュタナとは何でしょうか? ヤグニャ、詠唱、人類への奉仕、礼拝と崇拝、ヴラタ(誓約)、巡礼と苦行はアヌシュタナの部類に入ります。アヌシュタナの実践者は、義であり、模範的であり、ある人々にとってはグルでさえあるかもしれません。 彼らは他の人の助けになっているかもしれません。

それにもかかわらず、彼らは本当の自分を見ることができず、彼ら自身を高めることができません。 このために、彼らはグルに近づく必要があります。 グルの特質と一つになっていないアヌシュタナは欺くものです。 それらは私たちをパラタットヴァ(神性)に連れて行くことはできません。ですからそれらはすべて無駄です。

主シヴァは、無駄であり欺瞞的なアヌシュタナに揺れる人々を単なる動物人間と戒めています。 全体として、単なる学習は全くの無駄です。 もしアヌシュタナであるなら、それはちょっとしたものではあります。しかし、それが何であれ、自分のグルに注意が向けられなければ、それはまったく役に立ちません。

(続く)

※シュリ・スワミジによる『グル・ギータ-』の詠唱アプリはこちらです。
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