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スワミジの伝記 1-10(『Swamiji The Manifestation』より)

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最初の周期(1942-1954) サティアナーラーヤナ第10話

 この寺院での経験から続く40日間、サティアナーラーヤナの一家はほとんどの時間を完全なる沈黙のなかで過ごした。そして最終的にジャヤラクシュミーはもう一人の息子を出産した。父親はその子にコダンダラーマという名前をつけた。サティアナーラーヤナは新しい弟のために父親が選んだこの名前に困惑していた。

「なぜコダンダの語が加えられたのですか?※10」と少年は母親に呟いた。
 母親は、そっけなく「そうあるべきなのです!」と答えたのだった。

 サティアナーラヤナは新しい弟を抱きたがったが、驚くことに、ジャヤラクシュミーはサティアナーラーヤナが子どもに近づくことも許さなかった。

「あなたはこの子に触れることもできませんし、見つめることもできません」と彼女は兄であるサティアナーラーヤナに言った。「私がいいと言うまで、遠くからこの子の目を見ることさえ駄目です」

 20日間経ってようやく、ジャヤラクシュミーは兄にコダンダラーマを抱くことを許した。ある晩、彼女は自分の寝台から起きて、子どもを揺りかごから出してサティアナーラーヤナの腕のなかに渡したのだった。この上ない喜びとともに、少年は小さな弟を抱きしめ優しく撫ではじめた。ゆっくりと赤ん坊はその目を開き、サティアナーラーヤナを見つめた。すると、その子は少年の腕のなかで重い岩のようになっていった。サティアナーラーヤナはその子の目に映るものに唖然とし、困惑しうろたえながら母親を見た。

「カーラ(時間の化身、死の神ヤマの別名)が生まれたのです、愛しいわが子よ」と彼女は言った。

 サティアナーラーヤナがその子に視線を戻すと、まるでその子の目から自分の体に力が流れるように感じた。少年は不安気に再び母親を見た。彼女が休んでいたはずの寝台は消え去っていた。そこには数え切れないほどの宝石で飾られた玉座があった。その玉座には偉大なる女神ラージャラジェスワリが座し、その手はチンムドラ(霊的英知を授けるジェスチャー)を組んでいた。サティアナーラーヤナが赤ん坊に視線を戻すと、ショックなことにその子はいなくなっていた。代わりに燦然と輝く名状しがたい姿が彼の前に立っていて、少年の心は霊的な洞察に満たされたのだった。それはあたかも目のまえに立つ神秘的な姿のなかで宇宙のすべての秘密が明かされるようだった。通常の心にとっては矛盾に満ちたアイデアと知識を明らかにしながら、この存在のための身体の創造によって、すべての違いが調和のなかで解消されるかのようだった。サティアナーラーヤナはすべての創造はひとつの身体であると理解した。

 ゆっくりと、少年のヴィジョンは消えていった。再び母親は寝台にいて、赤ん坊の弟が腕のなかで休んでいるが見えた。ヴィジョンに現れた姿のために、サティアナーラーヤナは母親と弟に心のなかで敬意を払った。

「自分は祝福されたのだ」と彼は思った。「自分の母は、すべての世界のための至高の母、ラージャラジェスワリであり、宇宙的エネルギーの現れだ。彼女はプーラクリティ(自然)そのもの。そしてこの赤ん坊はまさにプルシャ(至高の存在)だ。この両者の結合によってのみ、創造、維持、破壊が計画される。この関係を明らかにしなければ、その行為を理解することは難しい! 今、その二つは、母とその子どもとして、自分の前に姿を現している!」

 しかしこの経験はサティアナーラーヤナを当惑させ、数か月のあいだしつこく苦しめていた疑問へと再び彼を連れ戻した。

「自分は祝福されたのだ。それは疑いようがない」と彼は黙想した。「至高の母は、僕に恩寵を注いだ。それを疑うことはできない。しかし、僕は誰なんだろう? 本当に僕は誰なんだ? 僕は本当の純粋な自分自身をまだ見ていない! 何か覆っているものがまだあるのだろうか? 老ファキールとヨギスワミはお母さんが主ダッタートレーヤを産むと予言した。僕は今、11歳だ。僕は神的なイニシエーションを受けた。だけど、そうだ、僕が誰かということは明らかになっていない! 僕がもしダッタならば、この混乱の覆いが存在するだろうか? 生まれたときに、自分が主ダッタートレーヤであるという気づきがあるはずだ! コダンダラーマもまた母のお腹から生まれたのだから、つまり彼が絶対的なブラフマン、主ダッタートレーヤに違いない。そうでなければどうしてその目からまぶしいほどの輝きが出るだろうか? どうしてこの小さな子がこんなとてつもない力を持てるだろうか? この赤ん坊がダッタートレーヤ、永遠なる世界の教師なんだ」

 少年がこうした考えを終えたとき、ジャヤラクシュミーは寝台から起き上がり、サティアナーラーヤナから赤ん坊を受け取るために歩いてきた。彼の考えを理解して、彼女はすぐさま話した。

「疑ってはいけません」と彼女は言った。「それはあなた自身です!このことについて疑う余地はありません!」
サティアナーラーヤナは母の言葉に驚いた。「それなら、彼は誰なんだろう?」と考えた。質問が声に出される前にジャヤラクシュミーは言った。「彼はカーラ、マハーカーラ(主シヴァの破壊的様相)です。私を連れていくために来ました」
 これらのことを言いながら、彼女は赤ん坊を揺りかごに戻した。※11

 その晩遅く、ジャヤラクシュミーはサティアナーラーヤナをアンジャネーヤ寺院の近くへと連れていった。そこで彼女は息子に蓮華座を組むように言った。彼女は再び目を閉じ、その手を少年の頭に置いた。さまざまなシッディ(超自然的な諸力)が彼女の手のひらから少年へと流れはじめた。エネルギーを伝え終わると、ジャヤラクシュミーは疲れきったようになった。目をあけながら、彼女は彼を祝福して言った。「あなたの思いが満たされますように」
サティアナーラーヤナは恍惚とした状態で、えも言われぬ至福を経験した。ほんの少しの間、母は彼がその経験に浸ることを許した。それから彼女はやさしく彼を呼び、神聖な宝石を手渡した。

「私の愛しい子!」と彼女は言った。
「外見的にはこれは単なる石のかけらに見えます。しかし、それはガナパティの石です。この像を私は自分が少女だったころからの長い間、礼拝しています。これはまったくの幸運のもと、私のところへ来ました。今、このときまでにあなたのウパナヤナ(聖紐式)はすでに行われているべきでした。しかし、それが終わっていないのにはある利点があるのです。将来あなたのウパナヤナが執り行われるでしょう。そう遠くない未来にあなたは霊的な座をダルマ(正義)の確立のために見つけなければなりません。その座のために、このガナパティは主催神となります。あなたが崇拝する神々とともに、これを持っていなさい。アビシェーカム(儀礼的、儀式的に水やその他のものを偶像に注ぐこと)をこの神に執り行い、聖なる水を飲ませ、その他のものを捧げなさい。聖なる座を見つけ、ダルマを確立することは簡単な仕事ではありません。それはあなたがこれまで行ってきた呪文の詠唱とはまったく異なっています。汚染された大洋を泳ぎながらも、自分はそれに触れていないようにするくらいの最高の巧みさをなんとしても獲得しなければなりません。この目的のためにヴェーダ(ヒンドゥー聖典)にはたくさんの方法(儀式)があります。それらの必要性が生じたとき、ガナパティはあなたにヴェーダの儀式を示すでしょう。それだけではなく、ダルマと財政的戦略の問題について疑問が生じたとき、物質的な資源に不足があるとき、この神をあなたの耳元に掲げなさい。何をすべきかを伝えてくれるでしょう」

 ジャヤラクシュミーはしばらく動きを止めた。サティアナーラーヤナが握っていたその石はあたかも魔法のように消えてしまった。母は再び話し始めた。

「あなたの内なる礼拝には、外的な儀式は必要ありません。あなたにとってそれは必要ありませんが、時が来れば、他の人の前でこれらの儀礼についてのあなたの知識を実演しなければなりません。ガナパティはそれを行うときに、あなたに教えるでしょう。あなたには崇高な休息の状態はなく、断続的な休息すらとれないでしょう。それはあなたのためのものではなく、そうする権利もありません。あなたは自然な状態での達成しか持つことはできません。内的にはまったく縛られない自由な状態を保ちつつ、世界の出来事に完全に気づいている状態が『自然な達成』です。それがあなたの真の状態になるべきです。あなたの使命の一部として、あなたは海を渡って世界中を旅します。そして世界に散らばっている太古の親類を思い出さねばなりません。彼らを捕まえて、家に帰さなければならないのです。そして海外へ行くときは、いつもこの私からのお守りを持ち、これを詠唱しなさい」

 ジャヤラクシュミーは秘密のイニシエーションを息子の耳に囁いた。サティアナーラーヤナが彼女の聖なる言葉を覚えると、母はすべてのダッタのお守りを彼に渡した。

「このためには特別なイニシエーションは必要はありません」と彼女は話した。「心のなかにそれらをしっかりと覚えていてください。後に必要なとき、ガナパティがそれを伝えるでしょう」

 サティアナーラーヤナの母親は指示を続けた。「あなたの霊的実践の道はとても困難なものです」と彼女は説明した。
「そのためにあなたが従うべき言葉を言います。注意して聞いてください」と彼女は言った。
「私の言うことをよく覚えてください

1、 すべての女性のなかに、私を見なさい
2、 弱い立場の人、虐げられた人に、慈悲深くありなさい
3、 いかなる状況、いかなる条件下でも聖典に沿った行動をしなさい
4、 自分の命を危機にさらしてでも正しい魂を救いなさい
5、 すべての存在をひとつの等しいものとみなしなさい。区別をしてはいけません。
6、 どんな困難があっても、日々の行いをやめるべきではありません。またその行いは他の人を悩ますものであってはなりません。しかしそれは常に他の人に有益なものでなければならず、他の人に対して良いことを行いなさい。
7、 すべての存在に、私を見なさい。
8、 決して真実を放棄してはいけません。
9、 神聖な知識については、どんどん鋭敏になり、それを多くの人の心にとって簡単で魅力的な形とスタイルにするようにしなさい。
10、 あなたの未来の転生を広く公開してはいけません。
11、 ダルマと美徳を広げる仕事に従事しなさい。それは適切で簡単なスタイルで行われなければなりません。
12、 あなたに苦しみがあってもそれを問題にしてはいけませんが、他の人に不利益や苦しみをもたらさないあり方で生活しなさい。

これらが12の言葉です。これによってあなたはイニシエーションを通過しました」

 少しの間、沈黙した後に、ジャヤラクシュミーは続けた。
「黄道帯が一巡りされるとき、あなたの霊的実践は終了し、完全なものになります。その後、なんの助けもなしにその霊的実践は世界に知られるようになります。その間にもう一周の仕事が完成されるでしょう。これは私の師たちの意思です。人間はあなたによって正しく導かれるでしょう!」そう宣言し、彼女は目を閉じた。

 ジャヤラクシュミーは目を閉じたまま沈黙のなかでしばらく座っていた。それから自分の息子にやさしく語りかけた。
「愛しいわが子よ。主シャンカラの聖なる生誕祭であるシャンカラジャヤンティが始まっています。私の時間は完成しました。私はある特別の理由のために生まれ、結婚生活を送りました。あなたの父もまた無執着と放棄の道におけるとても高いレベルにいる人間です。彼の真実の悟りは、より難しいものです。彼の協力とともに、私の仕事は成功し完成しました。私が去るための理由がもう一つあります。カーラが私の後ろ足についてくるでしょう」

 ジャヤラクシュミーはこれらの言葉を言いながら立ち上がり、彼女が横たわるベッドがある家へと歩いていった。これがサティアナーラーヤナが生きている彼女を見た最後のときとなった。夜明け近く、鳥が歌い始めた時、彼女の夫の姉妹のヴェーンカンマが部屋に入り、ジャヤラクシュミーが亡くなっているのを見つけた。

 サティアナーラーヤナと父親は二人とも、ジャヤラクシュミーの死によって麻痺したような状態になった。少年は棍棒を握りしめ、母親のそばで兵士のように立ち尽くし守っていた。彼の父親は自分の頭に布をかけ、膝を胸に当てて折り曲げ、壁に寄り掛かっていた。下の妹たちの世話と葬儀の手配の負担は、ヴェーンカンマがその責任を負うことになった。葬儀のためにブラーミンたちが到着するまでにほとんど丸一日がかかった。なぜならその日はシャンカラジャヤンティであり、ブラーミンたちは全員アンタプールマへ、ルドラ(シヴァのヴェーダ的呼称)の儀式ために行ってしまっていたのだった。村の生活はまるで何も起こらなかったかのように営まれていた。隣の家の子供たちは、ジャヤラクシュミーの体が横たわる窓の外で、何事もなかったかのように遊んでいた。ついにブラーミンが到着し、葬儀の準備を始めた。僧侶の一人がナラシンハ・シャストリに妻の死について問いただした。
「なぜあなたは妻の死にあたって泣いてばかりいるのですか?」と彼は尋ねた。「あなたが祈っても願っても、それはすでに燃えてしまったものと同様にどうにもなりません。死者のために泣くのをやめて、生きている子どもたちの面倒をみなさい! 日が暮れるまえに火葬の積み木に火を灯さなければなりません。起き上がりなさい! 風呂に入りなさい! そしてすぐに戻ってきてください!」

 すぐにナラシンハ・シャストリは濡れた衣を着て戻ってきた。ブラーミンたちは葬儀を始めた。何人かの村人たちが家の周りに集まり、ジャヤラクシュミーの死を悔やみすすり泣いた。
「ナーラーヤナ!」の掛け声とともに彼女の体が持ち上げられ、葬儀場へと運ばれた。
道の途中で、葬儀の行列は新婚の夫婦とすれ違い、夫婦は少しだけ立ち止まり行列を見たが、そのまま両者はそれぞれの道に戻った。また葬儀の隊列は、ある商人とその妻の家の前を通ったが、彼らは暴力沙汰の喧嘩をしていて、隊列が通り過ぎるあいだ、死者を無視していた。ついに葬儀の行進は、村の離れにある目的地へとたどり着いた。

 一日中誇り高く立ちながら棍棒を握り、ずっと母親の体のそばにいた痩せた小さな少年に注意を払う者は誰もいなかった。しかし彼の目はその日に起こる出来事のすべてをひたすら見続けていた。父が積み木に火をつけ、炎が母の体を飲み込んでいるとき、サティアナーラーヤナの心は多くの疑問に満ちていた。

「この世の現実とはいったい何なのだろうか?」と彼は自問した。「母の死せる体のためにお悔みに来て泣いていた人々は、次の瞬間、体の向きを変えて、泣き止み、鼻をかんで、まるで緊急の仕事でもあるかようにすぐに立ち去ってしまった。僧侶たちは葬儀の間、まるで楽しい時を過ごすかのようにとても熱心だった。あの新婚の少女は、毎日母のところに来ては歌をせがんでいたが、今、彼女の目は新しい夫だけを見ている! 商人と彼の妻は家族的なつきあいの友人だった!しかしほんのわずかな時間お悔みに来ていただけだった。そして母の遺体が家の前を通るとき、まるで一匹の蠅が通り過ぎるかのようだった! 隣の家の子どもたちは葬儀の準備をしている間もずっと大声で荒々しく遊んでいた! 一時は、彼らのおもちゃの一つが母親の体に落ちて当たりさえしたのだ! 彼らにたいして何ができるだろうか? 彼らを止めることができるだろうか? もしできたとしても、それをすることが正しいことだったろうか? 大人は大人で偽善と欺瞞に満ちた秘密の遊びで毎日を満たしているのだ! もしそうならば、なぜ子供たちを怒るべきだろうか?」

「以前は村全体が一つの家族のようなものだった」とサティアナーラーヤナは、母の体を見つめながら考えていた。
「お互いを叔父さん、お兄さん、お姉さん、叔母さんと呼び合っていた。父でさえ多くの村人から叔父さんと呼ばれ、母はすべての人にとっての母だった。なぜ誰も僕の家族が失意のときにあるのに、本当の共感を見せないのだろうか? どうしたわけか社会的伝統の根幹が壊れていて、正義の伝統が無視されている。僕はこのことについて何かをしなければならない。しかし何をすべきだろうか? 純粋な英知を基礎に、無私の慈悲を柱に、社会としての寺院の再建がなされなければならない! 憎しみと敵意の火に捕らえられたこの世界の人々のために、シヴァ、ブラフマ―、ヴィシュヌが一体となった神格、主ダッタートレーヤの礼拝は普遍的な友愛の感覚を容易に広げることができる! この仕事がなされなければならない! 母はこの恩恵を人々にもたらすのが僕の仕事だと言った。しかしなぜ母は、単に11歳の少年にすぎない自分に、その英知と平安のすべてを渡したのだろう? お母さん、僕にどうか慈悲を!」

 サティアナーラーヤナの思いは、葬儀の火が燃え尽きるまでこのように走り回り、やがて最後の儀式が僧侶たちと父親によって執り行われた。母親の遺体を最後に見た後、少年は目を閉じ、思考と感情の余地のない、崇高なヨガの休息だけがある、深い瞑想状態に入っていった。

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写真:スワミジと二人の妹

※10 コダンダは主ラーマの弓の名前。主ラーマがそれを使っていたので、彼はコダンダラーマと呼ばれた。
※11 このジャヤラクシュミーの赤ん坊は、4週間だけの命だった。
※12 シャンカラジャヤンティは、シャンカラの誕生祭。シャンカラ、あるいはシャンカラチャリア(西暦788 – 820)は、インド最大の聖者・哲学者の一人で、非二元論の第一人者。シャンカラは主シヴァの別名であり、シャンカラチャリアは主シヴァの化身であると考えられている。

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