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スワミジの伝記 2-2(『Swamiji The Manifestation』より)

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第2の周期(1954-1966) 若きスワミ 第2話

6カ月後、サティアナーラーヤナは重い病気を患った。彼のおばとおじが、彼の祖父であるリンガンナに手紙を書くと、すぐに迎えにきて、少年と妹をメクダトゥ近郊のナグヴァリの自宅へ連れて行った。そこで、リンガンナは孫に治療を受けさせたが、サティアナーラーヤナは回復しなかった。少年の健康を心配した祖父は、子どもたちの様子を見にきてほしいとナラシンハ・シャストリに連絡した。しかし、サティアナーラーヤナの父は子育ての責任を負いたくなく、彼の姉妹のヴェーンカンマにすぐ来るよう手紙を送った。

ヴェーンカンマが到着すると、ナラシンハ・シャストリは彼女に言った。「おまえが私に結婚を強いたんだ! おかげで私は今苦しんでいる! おまえのせいで、こんな心配事を抱えているんだ! おまえが子どもたちを連れていけ! 養育費として毎月おまえに金を送るから」

ヴェーンカンマは怒って答えた。「お金はいりません! 子どもの責任が私にあると言うなら、いいでしょう! ふたりを連れていき、私が面倒をみます!」

ヴェーンカンマはプロデーターにあるシヴァ寺院の非常に小さい部屋にひとりで暮らしていた。寺院の掃き掃除と拭き掃除をし、夜にランプへ火を灯すのが彼女の仕事だった。時に、村の有力者たちのために料理をすることがあり、そこで得たわずかな収入で生計を立てていた。控えめな見た目に隠れていたものの、ヴェーンカンマは内なる強さ、霊的知識、献身さをもつ素晴らしい女性だった。日々の儀式を怠らず、害を与えず、貧しい人々への思いやりがあり、彼女ほどこれらを順守する者は他にいなかった。彼女の霊的実践の基礎にはハタヨガ(アーサナ〜肉体を使ったポーズと、プラーナーヤーマ〜呼吸法に重きをおいたヨガ)があった。自分の師が誰であったか、彼女は誰にもけっして明かさなかった。霊的恩師が肉体を離れたあとは、シヴァ神のみが人のグルになりうると彼女は信じていた。ヴェーンカンマはラマナ・マハルシ(偉大なインドの聖人のひとり、1879〜1950)の教えに従う真面目な生徒だった。彼女はラマナ・マハルシの弟子、アベダーナンダ・スワミが設立したプロダターにあるアシュラムを頻繁に訪れていた。

鍛錬を学ぶのは、霊的修練に不可欠な要素である。サティアナーラーヤナは、おばのヴェーンカンマを介して鍛錬を受けた。プロデーターに到着すると、おばはサティアナーラーヤナと彼の妹のために、厳しい予定を組んだ。子どもたちは午前4時に起き、午前5時まで学校の勉強をすることになった。その後、冷水で身を清め、濡れた服のまま寺院へ行ってストートラム(神を称える詩節)を唱え、シヴァに花を捧げることになった。お祈りのあと、子どもたちは学校へ行った。夜は、勉強を終えたあと午後9時までに眠りにつかなければならなかった。ヴェーンカンマはふたりに、寒さと蚊に刺されるのに耐えながら、彼女の小部屋の硬い床の上で、なにもかけずに眠ることを強要した。サティアナーラーヤナ、もしくは妹が、いかなる理由であれヴェーンカンマとの約束を破った場合は、彼女はふたりを扇子で叩くという決まりだった。

ヴェーンカンマのわずかな報酬は、3人の暮らしを支えるのに不十分であることが、すぐに明らかになった。彼女は友人のところへ行き、子どもたちの教育費のためのお金を無心する必要があった。教科書を買う金がなかったため、彼女はサティアナーラーヤナと彼の妹が勉強するのに必要なすべての情報を、手で書き写さなければならなかった。もともと少なかった米の蓄えが底をつくまでに長い時間はかからず、ヴェーンカンマは1日に1回だけ料理をするようになった。ナラシンハ・シャストリは彼女の家計を助けるために300ルピーの金を送った。当時にすれば莫大な額で、これがあればヴェーンカンマと子どもたちの生活ははるかに楽になるはずだった。しかしながら、彼女は兄弟に会うためすぐにボンメーパルティへ赴き、彼の顔に金を投げつけた。

戻ってきたとき、ヴェーンカンマは甥に、放棄は霊的修養の重要な要素だと説明した。彼女は少年に、苦行者たちが執着をなくすために行う托鉢を始める時が来たと伝えた。

ヴェーンカンマはサティアナーラーヤナに言った。「人生の四住期において、ブラフマチャリヤ※13(独身、学生期)が最初に来るのは知っていますね。ブラフマチャリヤは、ブラフマーに近づくことを意味します。ブラフマーに近づくとは、ブラフマンを知ることを意味します。ブラフマーを知るための障害となるのはただひとつ、エゴです。エゴには愛と憎しみという、ふたつの形があります。愛があれば人は聖なる行為をします。憎しみがあれば人は罪深い行いに手を染めます。もし愛と憎しみの両方を手放すことができれば、それは放棄(執着を捨てた状態)です。執着をもたない人は、愛することも憎むこともでき、釣り合いをとりながらどちらも手放すことができます。これは純粋に内なる修練ですが、この放棄を習得するには、外的な修練も助けとなります。つまり、この気質を育むために、おまえは食べ物を乞わなければならないのです」

厳格な行動規範がヴェーダの伝統を支配している。よって、ヴェーンカンマはサティアナーラーヤナに、食べ物に関する規則を教え始めた。「霊的実践のために、純粋な食べ物を摂ることがどれだけ大切か、理解しなければなりません。食べ物の純粋さには、三つの要点があります。食べ物の所有者である人物の気持ち、食べ物を調理した人物の気持ち、自分が食べ物を口にするときに持つ気持ちです。どんな食べ物を口にするかが、体と心に影響することを私たちは知っています。たとえば、もしアルコールを飲めば、心が影響されます。偉大な魂のみが、食べ物の真の純正を知ることができます。だからこそ、シャーストラ(経典)には、何を食べて何を食べぬべきかを私たちに教えてくれる、食べ物に関する規則が記されているのです。こうした聖なる書を学ぶことで、どんな食べ物が純粋か、わかるようになります」

ヴェーンカンマはこうした原理がどう人生に影響するか甥が理解できるよう、彼を助けた。「施しを受けることは、ヴェーダではマドゥカラの仕事と呼ばれています」と、彼女はサティアナーラーヤナに言った。「マドゥカラはミツバチという意味です。ハチはあらゆる花から少しずつ蜜を集めるため、特定の花の香りがハチにつくことはありません。花が傷つけられることはなく、いかなる花にもできないハチミツを、ハチは作ることができます。仕事とは暮らしを意味します。つまり、この仕事はハチのそれと同じです。ヨギが守るべき一番大切な原則は」と彼女は続けた、「一世帯の食べ物だけを口にせず、いくつかの世帯から集めた食べ物を混ぜ、その日の夜や次の日のためにとっておかずに、食べることです。ひとつの家庭だけに施しを頼らないわけですから、執着を捨てる助けとなります。施しを受け、食べ、あとに何も残りません」

サティアナーラーヤナが翌日、学校から戻ってくると、おばは彼に身を清めるように言った。その後、彼の額にヴィブーティ(聖灰)をつけ、濡れた浴布で吊りカバンを作り、彼の肩に掛けた。カバンの中に、托鉢椀を入れた。ヴェーンカンマは甥に、どこへ行って食べ物の施しを受けるか、細かく指示した。

四つの家族の名前を彼に伝え、彼女は言った、「これらの家族のところにだけ行きなさい。量は彼らの好きなように任せなさい。もっとほしいと求めてはいけません。それ以外の家には行ってはいけません。もしサンバルやラッサム(タマリンドが入った液状の料理)を差し出されたら、その器に入れてもらいなさい。炊いた米は布に包んでもらいなさい」

冷たく濡れた服に身を包みながら、サティアナーラーヤナは初めて、自分の家族のために食べ物の施しを受けにいった。おばが選んだ四つの家の戸口で彼は叫んだ、「バヴァティ・ビクシャム・デーヒ(奥さま、施しを恵んでください!)」。サティアナーラーヤナは複雑な感情に苦しめられた。自分の気持ちを抑えようとしたが、結局、これはすべて、今では自分の霊的な師である、おばのヴェーンカンマの命令だった。

頭をうなだれたまま、サティアナーラーヤナは寺院にあるおばの部屋に戻ってきた。妹のヴァララクシュミーが、皿を手に兄の帰りを待っていた。彼はヴェーンカンマを見た。彼女が同意してうなづくと、彼は家に持ち帰ってきた食べ物を妹に分けた。再び、彼はおばを見た。彼女は何も言わなかったが、彼女が何を求めているか、サティアナーラーヤナにはわかっていた。彼は残った米、カレー、器の中のサンバルを混ぜた。混ぜたものを小さくいくつかに丸めて、団子状の食べ物を作った。それを外へ持っていき、寺院の入り口に座っていた托鉢僧一人ひとりに、ひとつずつ手渡した。ヴェーンカンマは彼に、施しを受けるだけでなく、自分が集めたものを人々に捧げることを教えたのだ。人々に配ったあと、手元に小さな団子がふたつだけ残った。サティアナーラーヤナは前の晩から何も食べていなかった。食べ物の施しを受けたのに、実際自分が口にできる食べ物はほとんど残っていなかった。目から涙が溢れ出したが、突然、母のことが頭をよぎり、涙が止まった。彼は小さな食べ物を口に入れた。サティアナーラーヤナはその食べ物の味のすばらしさに驚いた。

「ああ! これはなんだろう? 僕は何を食べているんだろう? ただの一口分の食べ物なのか、一口分の蜜なのか?」少年は思った、「これは天国から来た神の料理なんだ」

彼はこれをプラサーダム(神への聖なる供物、その後、神の慈悲の象徴として人々に配られる)だと思うことにし、わずかに残った自分の分を時間をかけてゆっくり食べた。彼の飢えは完全に満たされた。

托鉢を始めてから5日目、サティアナーラーヤナが食べようとしたときに、おばが彼の前に静かに立ちはだかった。おばは自分が食べることをよしとしていないんだろうと思った。しかしヴェーンカンマが怒っていたのは、彼が強い意志を用いて口に中に溢れる唾液を止めようとしていたからだ。

「食べなさい!」、彼女は叫び、扇子で彼を殴った。

サティアナーラーヤナはおばの教えを理解した。自分が制御すべきだったのは唾液の流れではなく、この食べ物はおいしく、食べる価値があるという気持ちだった。これは、自然な状態でなされるべき実践であり、ただ自分の五感を制限して起こさせることではなかったのだ。

ヴェーンカンマの鍛錬はたいていの場合、厳しいものだった。時に、口に水を注ぎ、飲むことを禁じることもあった。別の時には、彼に食事を許す前に、料理を水でゆすいで、香辛料や風味をすべて取り除いた。サティアナーラーヤナが天然痘に感染して重症になったとき、おばは彼に薬を与えることを拒み、こう言った。

「おまえに仕えるために、私はここにいるのですか? 自分の病気なのに、自分で治療できないのですか?」

サティアナーラーヤナはニームの葉を探すため、病床から這い出した。彼はニームの葉をペースト状にし、自分の体に塗った。翌日、彼の体調はよくなり、おばは言った。

「さあ、わかりましたね? もし私が薬を渡していたら、おまえがよくなるまでに少なくとも10日間かかったでしょう!」

サティアナーラーヤナはおばの厳しい鍛錬に苦しめられた。しかしある日、彼女は甥にこう言った。

「あなたの母親は、あなたを非常によく鍛えました」

この言葉は、少年に強さと勇気を与えた。

サティアナーラーヤナにとっては幸運なことに、ヴェーンカンマが訪れていたアシュラムの聖人アベダーナンダ・スワミが、少年になにか特別なものを感じていた。

スワミはラーマ神を深く信仰しており、「少年よ、おまえが私のもとに来る日、私のラーマも、私のもとへおいでになる。だから必ず、頻繁に私を訪ねなさい。すべての庭が、おまえのものだ」とサティアナーラーヤナに言った。

聖人は、サティアナーラーヤナが訪れるたびに、彼にフルーツとプラサーダムを与えた。

※13 ヴェーダの伝統では、人は一生のうちに学生期、家長期、林住期、遊行期の四住期を完了しなければならない。アシュラマ・ダルマは、これら四段階における行動規範である。第一期のあいだは、ブラーフミンとして、若い男性はグルクーラ(修道院)で学業に没頭しなければならない。第二期には家長として結婚し、家庭を築く。子どもたちが育つと第三期に入り、森林の隠遁者となる。第四期にはヴェーダの聖典すら手放し、世俗のすべての執着を捨て、内なる神の実現に集中する。

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写真:スワミジの叔母にしてハタヨガの師、ヴェーンカンマ

続く

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