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スワミジの伝記 2-4(『Swamiji The Manifestation』より)

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第2の周期(1954-1966) 若きスワミ 第4話

サティアナーラーヤナのおばが、甥に托鉢をさせていたとき、興味深い出来事が起こりはじめた。まず、少年が施しを受けて家に持ち帰る食べ物の量が増えだした。しかしながら、寺院の外に座り、食べ物の分配を待つ托鉢僧の数も増えた。よって、全員に分け与えたあと、おばがサティアナーラーヤナに与えたのは、以前と変わらず二口分だけだった。

村で商いをしている人々は、サティアナーラーヤナに関する噂話を始めた。朝、店を開け、少年が最初の訪問客だったら、その日の売上はいつもより多くなると彼らは信じていたのだ。そのため、サティアナーラーヤナが市場の横を通ると、商売人たちは彼に声を掛け、店の中に入ってくれと頼んだ。彼を誘いこむために、揚げ菓子やチョコレートまで与えるようになった。彼はもらった食べ物すべてを、おばと妹がいる家へ持ち帰った。ヴェーンカンマは届いたものはすべて受け取り、ブラーフミンに与えた。店から得て、家に持ち帰ったものに関しては、それがいかなるものであれ、サティアナーラーヤナには渡さなかった。

サティアナーラーヤナは、父親がホテルを所有する少年と仲良くなった。スバマニという名のその父親は、毎日8人の子どもたちに無料で食事を与えていた。少年は、ホテルを頻繁に訪れるようになった。自身もブラーフミンであるスバマニは、マドゥカラの暮らしを理解しており、サティアナーラーヤナが毎日食べ物の施しを受けにいっていることを知ってからは、少年に慈愛をもって接するようになった。サティアナーラーヤナが多くの時間をホテルで過ごし、オーナーの子どもたちと遊ぶようになると、友人の母ラージャンマも彼を好きになり、自分の子どもたちに注いでいるのと同じ愛情で、サティアナーラーヤナに接するようになった。サティアナーラーヤナはそんなラージャンマの愛に、自身の母の姿を見るようになった。

しばらくすると、ジャヤラクシュミーの子供たちの生活ぶりを、近所の人々が心配しだした。まず、幼くして母親を失ったヴァララクシュミーを哀れに思った。人々は彼女を自分の家で眠らせ、1日に2回、食事を与えるようになった。彼らが助けてくれたおかげで、サティアナーラーヤナは妹を食べさせるという義務から開放された。しかし、自分自身の食事の問題は、まだ解決していなかった。近所の人々は、ヴェーンカンマがこれ以上、少年に道で食べ物の施しを受けさせないことを願った。

「たったひとりのために、彼を托鉢に送る必要がどこにあるのか?」と、彼らは彼女に尋ねた。「少年のために、毎日彼が違う家で食事をとれるよう、調整すべきじゃないのか?」

ヴェーンカンマはそれに同意し、サティアナーラーヤナは食事を求めて、さまざまな家を訪れるようになった。どの家にも、彼らだけの宗教上の習慣や決まり事があった。少年は人々の違いを理解するようになり、訪れた家庭から多くの知識を得た。

しかしながら、無料の食事は長く続かなかった。彼を食事に迎えるはずだった家族に予定ができ、代わりに少年に食事を与える人を見つけられないということが、頻繁にあった。そうしたことが起こると、サティアナーラーヤナはなにも食べずにがまんするしかなかった。子どもたちからその話を聞いたスバマニとラージャンマは、サティアナーラーヤナを叱責した。

「どうして無料の食べ物を求めてそんな家へ行くのですか? この私たちの家にいればいいのです」と、彼らは彼に伝えた。

サティアナーラーヤナはより頻繁にホテルで食事をするようになり、彼らの子どもたちと勉強し、そのまま眠るようになった。サティアナーラーヤナはこの恵まれた環境にわくわくし、自分の幸運が信じられなかった。この家族が裕福とはいえ、彼は部外者であり、食べるものに困った物乞いなのに、彼らは彼を家に置き、家族同様に接した。自分たちの皿から彼に食べ物を与え、自分たちのベッドで彼を眠らせた。着古されたサティアナーラーヤナの服も、自分たちの子どもと同じ服に替えた。彼らが家族写真を撮ることになったときも、サティアナーラーヤナと一緒に、同じ写真に収まった。両親と一緒だったころと同じくらい、サティアナーラーヤナは彼らの家で幸せだった。

スバマニ家で過ごすようになると、サティアナーラーヤナの人生に残された唯一の問題は学校だった。少年のヴェーダに関する知識が増えていき、高度な学習をしているだけに、学校で習う基本情報を次第に退屈に感じるようになったのだ。サティアナーラーヤナは、自身の文化的背景に関して知識がほとんどないように見受けられる教師たちのことを、もどかしく思っていた。教師のひとりがアショーカ王(紀元前250年ごろに活躍した偉大なインドの王のひとりで、仏教に改宗し、インド全域にブッダの教えを広めた)の偉大さについて話を始めたとき、サティアナーラーヤナはアショーカ王の父と祖父に関する歴史を知っているかどうか尋ね、師を辱めたことがあった。

それにもかかわらず、高校の教師たちは少年のことをとても大切に思っていた。彼らに仕えることは自分の義務であると、サティアナーラーヤナが信じていたからだ。サティアナーラーヤナは誰にも負債を負いたくなく、彼が払った学費と、彼が先生たちに受けた恩義は等しくないと思った。この恩に報いるために、先生たちの家での仕事を手伝いたいと申し出たのだ。教師のひとり、ムネーイヤはこの少年に特に目をかけていた。ムネーイヤはサティアナーラーヤナの家の近くにある寺院で個人授業をしてくれた。当時、彼は『バーガヴァタ・プラーナ』※14 を教えており、生徒が毎日ひとつ、詩節を覚えることを期待していた。サティアナーラーヤナは他の教え子とは異なり、桁外れの記憶力をもっているようだとムネーイヤが気づくまで、長くはかからなかった。師は彼に、他の聖典も読むように勧め、他の生徒にする以上に、サティアナーラーヤナには非常に詳しく文献の説明をした。また、より長い時間、個人授業をするようになり、彼が家に泊まることも許した。

ムネーイヤ、アベーダーナンダ、ヨギ・バラティ、おばのヴェーンカンマは、サティアナーラーヤナの内なる幸福のために寄り添ってくれる、高潔で聡明な人々だった。スバマニの家族は、彼を外側で支えてくれる高潔な人々となった。こうして二組の人々とつながりをもったサティアナーラーヤナのプロデーターでの生活は、彼の霊的成長の黄金期となった。

彼の一番の関心は依然として、おばと住んでいるシヴァ寺院だった。ときにサティアナーラーヤナは友人たちを寺院に呼んで座り、みんなに霊的な話をした。寺院の司祭は優しい人物で、少年を気に入っていた。司祭は多くの仕事を抱えていたため、サティアナーラーヤナがまだウパナヤナ※15 の儀式を受けていないのは知っていたが、彼に自分の手伝いをするように言った。

「構いませんよ。中に入って、アラティ(火を灯して神に捧げる儀式)を行いなさい」と、司祭はサティアナーラーヤナに伝えた。

甥が司祭から儀式用のマントラを習っていることを知ったヴェーンカンマは、サティアナーラーヤナの驚きをよそに、彼にヴェーダについてより多くを教えるようになった。

「どうしてこんなことができるのですか?」と、彼は尋ねた。「女の人がヴェーダを教えていいのでしょうか?」

「一般的な規則や女性の務めは、私には当てはまりません」と、ヴェーンカンマは甥に言った。「そうした段階はもう過ぎたのです」

しかし例のとおり、ヴェーンカンマは彼の行為にいつも満足しているわけではなかった。サティアナーラーヤナがアベーダーナンダ・スワミのアシュラムの庭にいたとき、ヘビが近づいてきたため、掴んで自分の首に巻いたことがあった。すると、彼が庭を訪れるたびに、このヘビが彼のあとを追ってくるようになった。ある日、ヘビが寺院の花の近くにいたため、サティアナーラーヤナは手で掴み、無邪気にシヴァリンガム※16 の回りに巻きつけたのだ。

これに気づいたおばは言った。「こんなことをして、おまえは誰を助けているのですか? 叡智に見合った人間に成長する前から、人は自身を前面に出すものでしょうか?」

※14 ヒンドゥー神話をまとめた18書ある『大プラーナ』文献のなかで最も有名な聖典で、聖人と王たちの歴史やクリシュナ神の物語をとおし、霊的真理を説いている。

※15 ウパナヤナは、子どもをグルの近くへ連れていくことを意味する。ウパナヤナの儀式で、子どもは聖紐を掛けられ、ガーヤトリー・マントラを授けられる。子どもたちをグルのもとへ送ることで、彼らを最終的に神へと導くことになる。

※16 シヴァ神(破壊と自然の繁殖力の神)の象徴で、丸みを帯びた楕円形の像。そのほとんどが石でできており、通常、円形の土台がついている。無限の神の創造的エネルギーに加え、あらゆる形と特性を超越した神を表している。

続く

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