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スワミジの伝記 2-12(『Swamiji The Manifestation』より)

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第2の周期(1954-1966) 若きスワミ 第12話

マイソールで話されている地元の言葉がわからなかったため、サティアナーラーヤナはすぐには学校へ戻れなかった。その代わりに、食料雑貨店で店番として働くことにした。そのあいだ、彼の祖父は孫が郊外にある学校へ行けるよう調整した。その学校へ行くということは、サティアナーラーヤナがチャームンディ寺院の司祭である、おじと一緒に暮らさなければならないことを意味していた。マイソールに今後も住みたかったらそれでも構わないと祖父は言ってくれたが、サティアナーラーヤナはおじの家に行く決心をした。おじと住めば、セーシャギリ・シャストリの補佐役になれることを、少年はよく知っていたからだ。

シャストリの家に到着すると、おじは少年に言った。「私は一般的な家長です。ここにいたければ、そうしなさい。とはいえ、勉強を終えるだけでなく、私の指示に従って寺院の仕事をすべてしなければなりませんよ」

1958年、サティアナーラーヤナは16歳になり、おじの家の近くにある学校の第8学年に入った。以前と同様、少年は勉強より寺院での活動に興味を示した。しかしながら、チャームンディ寺院で働くことは大変な挑戦だった。おばのヴェーンカンマが住み込みで働いていた小さな寺院と異なり、都会の寺院では活動や計画に常に忙しかった。その大きな寺院を掃除し、装飾するのがサティアナーラーヤナの仕事だった。儀式のために神像やプージャの祭壇を飾ることは、少年の大きな喜びとなり、特別な行事があるときは、ココナッツを割ったり、アーラティーの火を運んだり、プラサーダムを配ったりする仕事を司祭に任されることもあった。しかし、特に気に入るようになった責務のひとつが、寺院にある小さなガナパティ像の管理をすることだった。サティアナーラーヤナが学校へ行き、寺院の仕事を行っている限り、少年がどこでなにをしよう、誰も気にしなくなった。家族もまわりの人々も、自分にまったく関心を示さなくなったことに、彼はすぐに気づいた。

(これまでの人生で僕は愛と憎しみを経験した)と彼は思った。(しかし、これはなにか別のものだ。 これは完全な無関心だ。よく眠れたか、あるいは、ちゃんと食事をしたか、誰にも聞かれなくなった人は、一体どうなるのだろう?)
この問いは少年を悩ませた。彼はその問題について沈思しているうちに、ついに結論を導き出した。(人は心を病むか、ヴァイラーギャ『無執着、離欲』にいたるか、どちらかだろう)と彼は判断した。

(僕はすでにヴァイラーギャを達成したのだろうか?)と、サティアナーラーヤナは自問した。

彼は寺院へ行き、この可能性を熟考するために座った。(いかなる人も物も、愛される、または憎まれるに値せず、克服すべきものは存在しないというところまでは理解できた。ここまで悟ったのに、ヴァイラーギャを達成できないなんて、僕はどこで間違えたんだろう?)
自身がどこまで到達したのか不確かである状況に、少年はずっと苦しめられていた。(人々はなにを手放すのだろう?)と彼は思いを巡らした。(必要なものか、それとも不必要なものか? もちろん、不必要なものだけを手放すはずだ! 人は不要なものが好きだろうか、それとも嫌いだろうか? もちろん、嫌いだろう! つまりそれは、僕がなにかを手放すのは、それが好きじゃないからであって、ヴァイラーギャに至ったからではないということを意味しないだろうか。実際、僕は憎しみすら、まだ手放せていない)

これを理解したサティアナーラーヤナは目を閉じ、ヴァイラーギャの意味について、より深く沈思しはじめた。心が落ち着くと、思考がより集中するようになった。(憎しみ、あるいは愛をもって、誰も僕たちに良いことも悪いこともできないとすれば、そもそも愛と憎しみは存在するのだろうか? 愛と憎しみをこうして見てみると、どちらにも根拠が見当たらず、いずれも存在しないという結論に導かれる。そうなると、存在しないものを手放すことに、どうして問題があるというんだろう? 僕の過ちは、そこにあったんだ!)彼は自身に語った。(そもそも最初から存在しなかったものに固執したり、それを手放したりできると、僕は考えていた。愛と憎しみが実在しないなら、あとに残されるのは無関心だけだ! 僕は今、それを会得した。じゃあ、問題はなんだろう? なにもない!)
この結論にいたったサティアナーラーヤナの心は穏やかになり、内なる神の至福と一体化した。

続く

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