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スワミジの伝記 2-27(『Swamiji The Manifestation』より)

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第2の周期(1954-1966) 若きスワミ 第27話

ある日、審議官事務所のクリシュナムルティとその妻が、スワミと昼食をとろうと自宅へ招いた。食事がテーブルに並んだため、サティアナーラーヤナはパリシェーチャナ(食べ物が盛り付けられている大きな葉のまわりに水を注ぐこと)を行い、プラーナーフティ(体内の5つの気息にお供えすること)を始めようとした。クリシュナムルティはすでに自分の皿に食べ物をよそい、混ぜようとしていた。
「プラーナーフティはもう終わったのですか?」と、スワミは尋ねた。
クリシュナムルティが驚きの目でスワミを見ると、若き師は話を続けた。「素早く食べると、食べ物の力を完全に引き出すことはできません。そもそも、プラーナーフティとはなんでしょう? この言葉は“プラーナ”と“アーフティ”のふたつの言葉からできています。プラーナは生気(生命エネルギー)であり、アーフティは聖なる火に捧げ物をするときに使われる言葉です。よって、プラーナーフティは、聖なる食べ物をプラーナに捧げることを意味します」
「消化の過程で、生命エネルギーは異なる形状をとります。ひとつは胃液(腹の中の消化の火)です。これはヴァイスヴァーナラグニ(すべての存在の中にある火)と呼ばれます。ふたつめは生気(生命そのもの)です。ひとつは火の形をとり、もうひとつは風(ふう)の形をとります。胃の火は口にした食べ物を消化し、エネルギーを生み出します。この活動で、生気は補佐を務め、胃の火を媒介します。エネルギーが生まれるだけでは十分ではないからです。適切な量のエネルギーが、体のさまざまな部位に行き届かなければなりません。生気はそれを助ける役目も果たしています。こうした働きをする一方で、プラーナ(生気)は同時に、5つの形状をとります。その5つの形状(あるいは5つのプラーナ、脈動)とは、プラーナ(吸い込む力)、アパーナ(下方へ動くエネルギー)、ヴィヤーナ(拡散、あるいは浸透するエネルギー)、ウダーナ(上方へ動くエネルギー)、サマーナ(調整する力)からなります。プラーナは心臓に位置します。その主要な働きは、生み出されたエネルギーを体のさまざまな部位に運ぶことです。アパーナは直腸(便を排出)に位置します。その主な働きは不要物の排出です。サマーナは臍の位置にあります。その主要な機能は、胃に落ちてきた食べ物をエネルギーに変換することです。ウダーナは喉に位置します。その重要な機能は喉頭(発声器官)を動かすことです。ヴィヤーナは体全体に浸透します。まぶたの瞬きの動きにはじまり、体のあらゆる部位の動きにいたるまで、すべての振動がこのヴィヤーナによってもたらされます」
「こうした生命の力を考える際、風(ふう)を風(かぜ)と取り違えてはいけません。これら5つのプラーナは、同じひとつのエネルギーが、違う形状で現れたにすぎないのです。そのエネルギーそのもののことを、プラーナ(※23)シャクティ(※24)(命のエネルギー、あるいは生命のエネルギー)と呼びます。このエネルギーの原型が、至高の魂です。至高の魂(至高の神)は私たちのために、こうしてさまざまな形状をとり、あらゆる働きを行って、私たちの体を健全に保ってくれるのです。よって、食べ物を口にするときは、プラーナ、アパーナ、ヴィヤーナ、ウダーナ、サマーナという神の姿を、ヴァイスヴァーナラグニ(すべての存在の中にある火)の形状として思い浮かべながら食べなければなりません。とはいえ、食べながらこれを行うのは容易ではありません。よって、食べ物の最初の5粒を、まずは口にすべきなのです。ゆっくり1粒ずつ、そのつど、各プラーナを思い浮かべながら摂取します。このとき、穀物を噛んだり味わったりしてはいけません。神への感謝の印として、静かに口にし、直接喉に流しこみます。今、体に取り込まれている食べ物は5つのプラーナへの捧げ物であると意識しながら、日々このような形で食事をすれば、私たちは食物の欠陥や不純性の悪影響を受けなくなります。消化器官が健康になり、病気も生まれません。心は良い考えに満たされます。これが、プラーナーフティの有益性です。だからこそ私は、時間をかけてプラーナーフティを行っているんです」
クリシュナムルティは、こうして貴重な個人授業を受けることができた自分を幸運に思った。サティアナーラーヤナと知り合ってわずか数カ月だが、すでに奇蹟を目にしていた。ある日、彼がスリカンタヤの家へ行くと、スワミが腕立て伏せをしていた。サティアナーラーヤナは彼に気づいたものの、動きを止めなかったため、クリシュナムルティは立ったまま眺めていた。しばらくすると、スワミの体から滴っていた汗が消え、代わりに聖灰が流れ出した。部屋がヴィブーティの甘い香りに満ち、クリシュナムルティは畏敬の念に打たれた。
運動を終えたサティアナーラーヤナは、疑っている男に目をやり、こう言った。「クリシュナムルティ! 初期のユガ(時代)の時期には、神がラーマやクリシュナの姿で現れました。こうしたユガの終わりにも、中期にも、神は姿を見せました。しかしカリ・ユガの時代(4つあるうちの最後の時代)になると、神は自分が権現するかわりに、アヴァドゥータたち(放棄を完遂した遁世者)を送り込んだのです。神が送ったアヴァドゥータたちには、私たちには知覚できない力があります。超自然的な力を持っているため、彼らには過去、現在、未来が見えるのです。過去を知るとは、昨日起こったことを把握するだけではありません。こうした聖人は、彼ら自身が誕生する前の、あらゆる存在の過去生をも知り尽くしているのです。同様に、彼らは未来についても知っています。現世に続く、来世が見えるということです。しかしながら、彼らはこれを誰にも伝えてはならないのです。誰とも共有できないなら、その知識を持つことにどんな意味があるのかと思われるかもしれません。彼らは可能な限り、弟子たちを助けるためにこの知識を用いるのです。彼らは儀式を執り行うため、門下の人々が害悪に見舞われることはありません。何が待ち受けているのか、弟子たちに手がかりを与えることで、彼らは変わったり、自身のカルマ(行為とその結果、因果の法則、運命)に備えたりできるのです。こうした教えを学び、どう生かすかは、弟子次第なのです。これを生かさなければ、彼らは困難から逃れることができません。アヴァドゥータ・グルたちは時に、弟子の過去生の罪から来る痛ましい報いを受け、苦しみを肩代わりします。それが、このカリ・ユガの時代の流れなのです」
「それでもやはり、人は自身のカルマ(行為)の結果を甘受しなければなりません。それは、避けられないのです! 師が常に、弟子のカルマの悪影響を引き受けられるわけではありません。弟子は師に対して、絶対的な信念を持たねばならないのです。師も、自分の弟子は人々になにかしらの善をもたらすであろうと、あるいは、少なくとも負のカルマが取り除かれれば正しい道を進むであろうと、弟子のことを絶対的に信頼せねばなりません。こうして初めて、師は弟子のカルマを引き受けることができるのです。また、弟子自身に、他者の犠牲になることを厭わない気持ちがなければなりません。こうした犠牲があってこそ、師の信頼と愛情を完全に得られるのです。これが、アヴァドゥータたちの道です。これを理解してください!」
この話を聞いてから間もなくして、クリシュナムルティはある帰依者の家でパーダプージャ(グルの蓮の花の御足に礼拝する儀式)を目撃した。プージャの最中、スワミの耳から突如、血が流れはじめた。プージャを執り行っていた家長は怯え、こう尋ねた。
「何があったのですか?」
「私の帰依者が倒れたのです。頭をケガして血を流し、意識を失っています。彼を救うために、彼の苦しみの一部を私が引き受けたのです」とスワミは答えた。
翌日のホーマで、スワミは尋ねた。「昨日倒れて、頭をケガしたのは誰ですか?」
すると、ジャナキラマ・マンディラム・スバラオが弱々しく立ち上がった。彼の頭には包帯が巻かれていた。
「何があったのですか?」スワミは尋ねた。
「その日は家で転んで、頭を戸口にぶつけたのです。血が吹き出し、意識を失ってしまいました。妻がスワミジのヴィブーティで患部を塞ぐと、血が止まったんです」
致命的な病に苦しむ家族を救おうとスワミに助けを求めにくる窮地の人々は多いが、残念ながら時に、手遅れの場合もある。それが、スワミを苦しめていた。ある日、重症の息子を持つ家族が、サティアナーラーヤナのもとへ助けを求めにきた。しかし残念ながら、すでに遅すぎた。
「私は何をすればいいんだろう?」 サティアナーラーヤナは友人に言った。「彼らは間違った時間に来た。ガナパティがはっきりと、この少年は生きられないとおっしゃった。彼らにそれを、どう伝えたらいいんだろうか?」

※23 プラーナ:肉体に宿る生命を維持する、気息のこと。物理的な力を起こす原動力。5つある体の作用に準ずる形で、プラーナは以下の5つの姿に変形すると言われている:プラーナ(呼吸を制御)、アパーナ(不要な食べ物を下方へ運ぶ)、ヴィヤーナ(身体全体に行き渡る)、ウダーナ(これによって、胃の内容物が口から外に出る。また、死に際に体から魂を導き出す)、サマーナ(体中に栄養を運ぶ)

※24 シャクティ:至高の力のこと。ブラフマンの創造の力。動的エネルギーの原理を象徴する女神の名

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続く

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