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スワミジの伝記 2-28(『Swamiji The Manifestation』より)

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第2の周期(1954-1966) 若きスワミ 第28話

1964年には深刻なコレラがマイソールを襲い、当局は人々に集会で集まってはいけないと命じた。そのため日曜日のケセア電気労働者街のホーマは中止となった。クリシュナムルティはスワミに自分の家でホーマを執り行うよう依頼した。ある日、ホーマが始まろうとするとき、スワミは聖灰を包んだ小さな紙切れをクリシュナムルティに手渡し、出席した人々に配るように言った。クリシュナムルティはまったく驚いてしまった。少なくとも20人の人々が儀式に集っていて、ヴィブーティ(聖灰)は全員に配るには十分ではなかったのだ。
「なぜスワミはこのように僅かしか渡さないのか?」と彼は自問した。「私はどれだけの聖灰が彼の体から出てきたかこの目で見たのだ。なぜ彼はこの人たちとそれを分かち合わないのだろう?」
 それでもクリシュナムルティはヴィブーティを人々に渡し始めた。すぐにそれはなくなってしまい、彼は紙を裏表に返して、すべてなくなってしまったと全員に見せた。彼がもっとヴィブーティをもらおうとスワミのところに戻ろうとするとき、再び紙が聖灰で一杯になっていることに気づいた。彼はもう一度、聖灰を配り始めた。紙が空になるたびに、不思議なことにそれは再び満杯になったので、出席者全員にヴィブーティを渡すのに十分だった。
 コレラの流行が終わり、日曜日の電気労働者街ホーマが再開した。しかし、スワミがクリシュナムルティの家でホーマを行うことに同意していたので、他の帰依者たちが木曜日(グルヴァ―ル、グルの栄誉の日)のグルプージャ(自分の師への礼拝)やその他の日のパーダプージャ(グルの履物への礼拝)を自分の家で行うようスワミを招待し始めた。スワミは帰依者の家に行くために、彼の古い自転車に乗り、シャツを着、ズボンを履いていた。時々、ドゥワーラカやその他の人が彼に付き添った。到着すると、特別な機会のためにまとう絹の着物に着替え、それから事が済み家に戻るときにまた着替えた。まだ彼は常にヨーギのようなの恰好をしているわけではなかった。
 個人訪問として始まったことは、すぐ大勢の人の出来事となり、スワミが家を訪問すると、たくさんの人がやってきた。家の主人が、やってきた大勢の帰依者やスワミの要求に対して準備ができていないことが多々あった。プラサードを配るときになると、スワミは主人たちに出席者もまた賄うように依頼した。彼は「神に絶対の信を持ち、神に責任を渡しなさい」と彼らに教えた。それからスワミはキッチンへ行き、聖なるバジルの葉を使って、食事に水を振りかけた。そして主人に食事を出すように言った。これをするといつも出席者全員のための十分な食事がそこにあったのだった。
 これらの出来事はスワミの名声を広げ、日曜日のホーマの群衆は大きくなっていった。そうなると、スワミがそれまでしていたような個人的な注目を与えることができなくなってきた。そのかわりにすべての人をしっかりと扱うための新しい方法が発案された。スワミは彼と話したい人に立って列を作るように言った。そしてカマンダラ(聖なる水差し)を手に持ち、列に沿って歩いて彼らを祝福し、ときどき立ち止まっては短い個人的なメッセージを伝えた。これが行われている間、音楽家たちがバジャンを群衆と歌い、特にジャーナキラーマ・マンディラムファミリーの詠唱をするのが、日曜日のホーマのいつもの様子になった。

続く

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