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シュリーマド・バーガヴァタム 第32話

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ビーシュマは続けます。

「まさに私が人生を放棄しようとしているそのとき、主クリシュナが、ダルシャンで祝福するためにいらっしゃった!私はなんと幸運なのか!私のところへ歩いて来て、ダルシャンで私を祝福している。私は至高主クリシュナ彼御自身を見ている!その限りない慈悲について、もっと何が言えるだろうか?ダルシャンをするのが非常に稀である主が、私の横になっている場所まで歩いて来て、祝福している。

肉体を離れる時、主クリシュナに心を完全に固定し、崇敬の念とともに彼の御名を歌うヨーギは、結果を求める行動の束縛とその行動(何らかの結果を期待する行動)によって引き起こされる行動から解放される!至高の主のダルシャンによって、すべての迷妄は消え去る。

主クリシュナとして、全ての神の主であるシュリマンナーラーヤナが私の前に立つ時、美しく輝く蓮のような顔と赤い目で私を快く見守っている時、私はこの体を放棄しようとしている」とビーシュマは言いました。

ビーシュマはなんと幸運なのでしょう!
これを聞いてユディシュティラは、そこに集まった何千人もの聖人の前で、さまざまな正義の規則(ダルマ)について教えてくれるよう、矢のベッドに横たわっているビーシュマに尋ねました。「どうぞダルマ・スクシュマを私にご伝授ください。スワミ」と彼は祈りました。

この知識の権威者であったビーシュマは、カースト(ヴァルナ)および人生の段階(アシュラマ)の必要条件と個々の性質に基づいて書き取らせた規律を細かく詳細にユディシュティラに教えました。彼はこうして、愛着(束縛)と無関心(ヴァイラーギャ)の精神段階と、活動(世俗的または物質的な拡大の道)と内なる探求(帰還、放棄の道)の両方の道筋に基づいてのダルマを教えました。

彼は、行動の起因、行動の放棄、行動の誘因の背後にある知識を教えました。個人の階級と人生の段階に基づいて、あらゆる状況の細分規則を説明しました。加えて王に適用されるダルマ的規則と役割について、広く教えてくれました。寛容と慈善活動について語りました。解放への道を開くサーマ・ダーマのダルマについて、極めて詳細に説明しました。女性の義務と、至高の主にとても身近なエーカダシー・ヴラタのような儀式(ヴラタ・ダルマ)に関する規則について語りました。加えて多くの物語を通して、歴史から紐解くことによって、プルシャルタ(ダルマ、アルタ、カーマおよびモクシャの人生の四つの目的)を達成するためのさまざまな方法を説明しました。

このようにして祖父のビーシュマは、矢のベッドの上に横たわっている間、彼が知っているすべてのことを細かく詳細にユディシュティラ王に教えました。彼はまた、これらの正義の原則を容易に守ることができるさまざまな方法を教えました。

賢明な存在であるビーシュマは、死の時を選ぶことができるという恩恵を持っていました。今すぐ自分の人生を放棄するのか、もっと長く生きるべきなのかの選択が、彼の手中にありました。ビーシュマが知識をユディシュティラに授けている間、ウッタラーヤナの吉兆な時間が到来しました。これは、ビーシュマが熱望していた時間でした。

この吉兆な時が訪れてすぐに、戦争の間いっぺんに何千人もの御者を扱っていた熟練の戦士ビーシュマは、突然話を止め、まぶたも閉じずに、心をただ完全に主クリシュナに集中させました。彼は多くの時間を無駄にしたくなかったので、まぶたを閉じるのを待つことさえしませんでした。これは時間と状況にかかわらず、主の神聖な御名を唱えることができるという証拠です。目を開いた状態で、彼は主に心を完全に集中させました!

主クリシュナはその時、起源の神であるアーディ・ナーラーヤナとして彼の前に現れました!四本の腕と明るくぴかぴかした黄色のピタムバラの衣装で輝いていました!ビーシュマは主の素晴らしく神聖な形を見て、それは彼の普遍的な形と同様に輝いていました!断片的な人間としての形でない、主の完全な形を見ました。

これらの世俗的な束縛の傾向が全くなかったビーシュマは、心を主に完全にひとつにさせました。
率直に言って、ビーシュマはこれら世俗的な束縛の傾向に、決して心が向いたことがありませんでした。吉兆な時が訪れ、主が彼の前に直接立たれた今、彼はこの絶好の機会をどうして無駄にすることができるでしょうか?やはり彼は非常に知的で賢明な存在でした。彼は心を主とひとつにしました。

至高の主に対する神聖な黙考の結果として、ビーシュマに残っていた傷や欠陥は、完全に洗い流されました。彼の中に些細な欠陥があったならば、今壊されました。「これは私の責務だ。これは私のダルマだ。これは私の義務だ。」たとえ頑固さから出たそのような無知(モーハ)が彼の中にあったとしても、それさえも壊されました。

「もしこのダルマに従わなければ、私は間違っている」「おお、この規律はクリシュナがとても大事にしているものだ。どうしてそれから離れられよう?それを固守するならば、彼は喜んでくれるだろう。」そのような考えさえも完全に追い出されました。何も残っていません!まったく何もありません!もはやダルマは残っていません。彼は知識を完全に授けました。教えることもまた何も残っていませんでした。

一人ひとりにいくつかの欠陥があるのは当然のことです。欠陥に満ちたこの世界に脚を踏み入れた時、クリシュナとラーマでさえ、これらの欠陥を免れなかったと言われています。

ビーシュマは、たとえ欠陥があったとしても、バクティの王国に完全に没頭している人を、至高の主がいかに救済するかの唯一の証です!それは、行為を超え、行為から現れ(カルマ・ドーシャ)、行為(カルマ)によってのみ取り除くことができます。

ビーシュマの欠陥が洗い流されただけでなく、戦争の負傷による体の痛みも完全に無くなりました!身体は白檀のペーストを塗り付けたように落ち着きました 。このすべてが至高主、神のダルシャンの結果でした!

十万の矢がビーシュマの体を貫きました。その痛みのために、彼がどれくらい苦しんできたのかを想像できますか?主はこの身体のビーシュマの束縛を取り除いていました。もしビーシュマが痛みを受けながらその体を離れることになっていたなら、肉体的苦痛を和らげる別の体が必要だったかもしれません。しかし今、主クリシュナは体の痛みを完全に払拭しました。

すべての苦しみから解放され、ビーシュマは完全なる無上の喜びの存在になりました。あらゆる方向に走る感覚を、自分の中に引き込みながら身体を離れる間、彼は至高の主シュリマンナーラーヤナを賛美する歌を歌いました!
シュリマン ナーラーヤナ!

続く

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