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シュリーマド・バーガヴァタム 第33話

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クリシュナについてのビーシュマの賛歌

「至高主は本質的に至福である。それでも時に、戯れに幻影(マーヤ・シャクティ)の力を道具として使いながら、粗雑な肉体をまとうことによって物質世界に降りてくる。この物質的な宇宙が創造されるのはこの幻影の力による。

そのような至高主はヤドゥ族の系譜の王冠の宝石であり、今、私の目の前にいる!正義(ダルマ)を厳格に守ることを通して欲望から解放された私の心を主の御足に置いている」
ビーシュマ・ピータマハーは前にいたスリ・クリシュナをじっと見つめながら言いました。

Tri-bhuvana-kamanaṁ tamāla-varṇaṁ
Ravi-kara-gaura-varāmbaraṁ dadhāne
Vapur alaka-kulāvṛtānanābjaṁ
Vijaya-sakhe ratir astu me ‘navadyā
トリ-ブーヴァナ-カマナン タマ―ラ-ヴァラナン
ラヴィ-カラ-ガウラ-ヴァラ―ンバラン ダダ-ネ―
ヴァプル アラカ-クラ―ヴルタ―ナナーブジャン
ヴィジャヤ-サケ― ラティル アストゥ メ― ナヴァデャー

「白檀のペーストで覆われた蓮の様な御顔で、御姿は三界(トリヴヴァナ)において最も素晴らしく、昇って来る太陽のように輝く黄金色の衣服を身にまとい、青みを帯びた緑の肌で、アルジュナの友である至高主クリシュナに向けて、あらゆる欲望のない無私の愛が育まれるように祈ります。

戦争の間、馬の蹄によって蹴り上げられた塵のために、彼の髪の毛は灰色に染まりました。その時、汗がにじんだ彼の顔は光輝いていていました。私の鋭い矢は彼の鎧を突き刺し、肌を突き刺しました。私の心をその主クリシュナに向け続けていられますように。

友であるアルジュナの言葉を聞いてすぐに、クリシュナは戦車を動かし、二つの軍の間、戦場の中心に戦車を置いた。単に眼差しだけで、そこに集まっていたすべての敵陣の兵士の寿命を縮めた。アルジュナの御者であるシュリ・クリシュナに対し、揺るがない献身を高めていけますように。

戦場に入ると、アルジュナはすぐに戦争のために駐留するカウラヴァの兵士と戦士を見た。彼の眼差しは、この敵軍を率いて前に立っていた私に向けられた。彼は即座に、彼の親族を殺す戦いを不義だと感じ、戦うことを嫌がった。その様な重大な時において、シュリ・クリシュナはアルジュナに真我の知識(アートマ・ヴィディヤ)を授けて、彼の霊的無知(アグニャーニャ)を払拭した。クリシュナはアルジュナが正義の道を歩むことを保証した。そのような主クリシュナの蓮の御足に向けて愛を育めるように祈ります。

御者の役割を担い、戦争の間、何も武器を持たないと硬い約束をしたシュリ・クリシュナは、私のためだけにその誓約を破った。これは純粋に私が彼に武器を持たせると約束したからである。私の欲望を満たすことを意図するとともに、私が偉大な存在になると保証して、主は約束を破った。ちょうどライオンが象を殺すために激怒し突進するように、主は馬車から降り、車輪をつかみ、地球が揺れ動いた様な無謀な怒りで私に向かって突進してきた。突進してくる間、彼の上着は滑り落ちた。

戦いの最中に私が放った矢の影響により、彼の盾は完全に粉々になった。強力な鋭い矢が彼の体を突き刺し、血が激しく流れた。あらゆる方法でアルジュナは、私を殺すために制御不能な怒りで突進してきたこの主を止めようとした。このすべてを意に介さず、私を攻撃しようと突進してきた主クリシュナは、私の唯一の保護である。

今、私が人生を放棄しようとするとき、外見がとても美しく、片手に突き棒を、もう一つの手には手綱を握り、アルジュナの戦車を全力で守ろうとした主クリシュナに対し、無条件の愛を持たせてください。主の御姿を見ながら戦争で命を落とした人々が、主と共に一つのものになる(サールピャ・解放)のですから。

彼の魅力的な足取り、優雅な動き、魅力的な外見、愛で完全に満たされた楽しそうな笑顔と眼差しで、クリシュナは彼を崇拝するゴーピカ(乙女)たちを虜にした。突然、この崇拝の間にクリシュナはその場から姿を消した。これと共に彼に向かうゴーピカの愛はさらに湧き立った。他のすべてのことを忘れて、ゴ―ピカたちは、彼への絶対的で熱狂的な愛で、彼の行為と他のお気に入りの遊戯を真似した。そのようにしてゴーピカたちは彼に浸った。私でさえも同じように、その主と一つになるでしょう」

ビーシュマはクリシュナのすべての過去を思い出し始めました。この短いスピーチで彼はクリシュナの歴史全てを説明しました。

「ユディシュティラはラージャスヤ・ヤグナを執り行った。その偉大な儀式で、すべての著名な聖者、学者、王の中で、主クリシュナは私の目の前で礼拝を受けた。その至高主が今、私の真我の形として現れている!

本質的に生まれることがない主は、彼によって創造されたすべての生き物の中に、真我の形で留まっている。太陽は一つ。それにもかかわらず、それを見るそれぞれの目は違った方法で認識する。同じような方法で、この主は様々な違った形で別々に明るく照らす。

何人の人が太陽を見ているのか!昆虫を含む数えきれない生き物が見ている。しかしそれはそれぞれ違ったように見える。

区別(二元性)と錯覚(ベーダ・モーハ)を超越した私は、非二元(アドヴィテーヤ)のパラブラフマの人格化であるクリシュナが私の真我の形に他ならないことを認識した」

このように、ビーシュマは思考、言葉、視覚(マナス、ヴァク、ドゥルスティ)と呼ばれる三つの行動を用い、彼の真我(アートマ・スワルーパ)の形態である主クリシュナに完全に彼の知性(ブッディ)を固定し、そして、息を引き取り、肉体を去りました。

ジェイ スリマン ナ―ラ―ヤナ

続く

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