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シヴァラートリはとても重要です

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(『バクティマーラ』99年、05年より)

シヴァラートリ=シヴァ+ラートリ(夜)です。それは英知(ジニャーナ)と吉祥をもたらす夜です。私たちの人生に、幾多の夜が訪れては去っていきます。ではこの一夜は、何が特別なのでしょうか?
本当は、すべての夜がシヴァラートリです。夜だけではなく、一日のなかの毎秒がシヴァ・クシャナ(秒)です。この身体を適切に使っている霊的実践者にとっては、毎秒がシヴァに満ちています。サンスカーラ(過去生から来る印象)とその他の理由によって、人はこの永遠の真実を忘れています。このような人々に思い出させ、暗闇を消し去ることを鼓舞するために、このサーダナ・プラクリヤ(霊的実践)が、祭日として、とても特別な日として定められているのです。すべての人が、暗闇がアジニャーナ(無知)を表し、光がジニャーナ(知識)を表すことを知っています。暗闇を取り除き、それを光で満たすのがシヴァの務めです。シヴァは、サッドグルでもあります。

Yoh Guruh Sa Sivah Proktoh, Yah Shiva ssa Guruh Smritah
Vikalpam yastu kurvita sa bhavet Pataki gurau

しかし、グルはきついやり方、あるいは怒ったやり方では教えません。彼は静寂の教師です。彼がこの祭日を教えの媒介とし、あなたがジャーガラナ(神を瞑想し、一晩中起きていること)をするならシヴァが喜ぶでしょうと言う理由がそこにあります。

マントラ・ジャパが一分たりとも中断せずに一日中続けられるべきです。もしあなたが個人的なマントラを持っていないならば、「オーム アイーム フリーム シュリーム シヴァラーマ アナガ ダッターヤ ナマハ」のマントラを繰り返すべきです。必要ならば、一時間だけ休憩をとりなさい。それ以外はいかなる時間も無駄にしてはいけません。今晩のジャーガラナ(起き続けていること)は特別なので、何も食べないことが非常に重要です。ジャーガラナとは何でしょうか?

ジャーガラナは単に起き続けているというだけではなく、サルヴァ・インドリヤ(知覚の五器官と、行為の五器官)を注意深くコントロールしていることでもあります。ジャーグラト(目覚め)の状態にあるとは、スワプナ(夢見)、シュシュプティ(熟睡)の状態にいかないことも意味しています。それは絶えず起き続けていることを意味します。この絶えず起き続けている状態が、解放(モクシャ)です。それ自体が真我の知識(アートマ・ジニャーナ)です。

 どうやってこの永遠に目覚めた状態に達するのでしょうか?そこに至るためには、まずは現在の起きている状態で、ジャパ、プージャ、ホーマなどの伝統的で宗教的な実践(アヌシュタナ)が行われるべきです。誰もがスワプナ(夢見)状態で行わたことが、無意味であることを知っています。夢の状態ではよい活動をしていても、目覚めたならば無意味になります。目覚めた状態での活動だけが、私たちの真のアヌバヴァ(経験)です。アヌバヴァ=アヌ+バヴァです。「バヴァ」の語は一般にサンサーラ(人生)を意味します。しかし私にとって「バヴァ」は繰り返しくりかえし戻って来る場所への魂の旅路を意味します。もしアートマが本当にアヌバヴァに達することを望むならば、目覚めの状態の間に達しなければなりません。シヴァ・ヨーギが帰依者に「目覚め続けなさい」と伝授する理由、あるいは今夜、ジャーグラトを実践するように伝授する理由はここにあります。目覚めの状態(ジャーグラト アヴァスタ)の間にだけ、リンゴッドバヴァ(リンガの出現)ができます。リンゴッドバヴァとは、繰り返しくりかえし旅をするアートマがスシュティラ(不動、いかなる動きもない)になることです。このような知識は崇敬の念を通してだけ得られることができます。ムリガシラの星が今夜の夜空に見ます。それは崇敬の念の象徴です。みなさんはこの崇敬の念を学ばなければなりません。朝になり、あなたが望むなら寝なさい。しかし、明日の朝は寝ていないように気をつけなさい。もし明日、日の出と日の入りのあいだに眠るならば、今日のアヌシュタナ(霊的な、あるいは良い規律の行い)はすべて、無駄になってしまいます。悪魔がこのヴラタの成果を盗んでいってしまいます。しかし、病気の人はこのルールから免除されます。
 シヴァラートリの儀式はヴェーダンタに他なりません。シヴァはヨーガを意味します。そのためシヴァラートリはヨーギと自由の探求者にとって、とても重要なのです。今日は不必要に話してはいけません。今日、シヴァは彼の二十四のカラー(形態)で存在するでしょう。それはとても強力な光線であり、その光線を逃すことは勧められません。好きなマントラを繰り返しなさい。「ハレー ラーム」、「オーム ナマッ シヴァーヤ」あるいは「オーム」だけでもいいです。あなたがグル・マントラを持っていないなら、今日特別に許可を与えましょう。指か、植物の茎で、あなたの舌にマントラを書いてください。それから唱え始めなさい。あなたの舌はあなたのカルマになるでしょう。日の出までこれをしなさい。ジャパに一晩中集中してください。あなたの疑念と問題は解消されるでしょう。健康を求める人は、健康を得るでしょう。ジニャーナを求める人はジニャーナを得るでしょう。この化身が来て留まるとき、あなたが私と共にいるように、祝福をしています。あなたが完全な信を培い、全託するときにだけ、私をもっとも良く使うことができます。私の祝福はスワミジをシヴァとして扱う人と共にあります。
 すべての存在は、知ってか知らずか、自由を求めています。肉体を媒体として使う霊的実践(シャリカ・サーダナ)はとても重要です。あなたの霊的実践(サーダナ)が大いなる自由を得るために十分かどうかなどといった弱い考えを助長してはいけません。同時に自分が偉大な霊的実践者であるというエゴに追い言ってもいけません。このサーダナには特別なところがあります。肉体は、揺れ動く知性(ブッディ)、不安定、病気、罪、グルや両親への悪口、その他多くの悪いことすべての原因です。しかしこのすべての悪を渡るために、もう一度、この肉体に頼らなければなりません。私たちはそれをパラーマトマから贈られた美しい花として扱い、その態度で自分たちの悪を克服するために肉体を使うべきです。肉体を誤用するべきではありません。
 霊的実践のためにデザインされている心と体は誤用されていて、この揺れ動く心とその他の習慣によって病に侵されています。これらの欠点を克服するために肉体をつかうことが真髄です。
 シヴァラートリは肉体を使って、これらの悪を克服できることを私たちに教えます。シヴァラートリを特殊な儀式にだけ関係するものとみなすべきではありません。それは混乱の原因となります。絶え間ないバガヴァン・ナーマ・スマラナ(神の名を詠唱)自体がシヴァラートリ・ヴラタです。
 このヴラタを有用にするもう一つの技術があります。あなたの過去のカルマをすべて忘れなさい。古いカルマを忘れること自体が霊的実践です。それらを忘れてしまい、そして神の名の詠唱に集中しなさい。これはとても有用な方法です。

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