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シュリーマド・バーガヴァタム 第39話

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ユディシュティラの高潔な行為を非常に喜んだ博識な学者たちは、謙虚さでいっぱいの彼に次のように言いました。「おお、クル族の珠玉よ!あなたの一族全体が殺されたとき、あなたに対する慈悲から、この上なく有能な主シュリ・マハーヴィシュヌがこの子を救い、あなたに渡したのです。

Tasmān nāmnā viṣṇu-rāta iti loke bhaviṣyati
Na sandeho mahā-bhāga mahā-bhāgavato mahān

この理由から、この子はヴィシュヌ・ラータ、すなわちヴィシュヌに祝福され守られし者として世界で有名になるでしょう。彼は終わりなき名声を得るでしょう。主の最高の帰依者(バーガヴァタ・バクタ)になるでしょう。彼は偉大なマハトマになり、その名声は永遠に続くでしょう。このことは疑いようがありません」

ユディシュティラはその後尋ねました。「この少年は名声を得て、それは聖者たちに称賛されるようなものになるのでしょうか?」

幼児のホロスコープがあるとき、その子の未来について尋ねるのは通常のことです。年長者たちは、その幼児がさまざまな人生の段階で、どう暮らしていくか知ることを切望するでしょう。彼らはその子どもの人生における健康や他の事象に影響がある種々の惑星の結合について知りたがるでしょう。
同様にユディシュティラもその少年が自らの行いによって、聖者方が彼を尊敬し、名声を得るのかどうかを知りたがりました。

彼はなんと見事な質問をしたのでしょう!これに反して、私たちは一般的に、自分たちの子どもが勉強がよくできるか、アメリカに行くのか、物質的繁栄を得るかどうか、素晴らしい政治家になるかどうかなどを知りたがります。一方でユディシュティラはパリクシットが得る名声が、聖者たちもが彼を尊敬するようなものかどうかを知りたがっています。彼は自分の周りの一般的な人々が積み上げる賞賛については無関心でした。

最近の人々は、人から与えられる間違った賞賛を、個人的な期待から真の賞賛とみなします。人々が彼らに拍手をすると感動します。追随者がたくさんいるとプライドを持ちます。自分が開催する催しもので人がたくさん集まっているのを目にすることは興奮します。これは本当の賞賛ではありません。真の賞賛は卓越した聖者が与えるものです。一般的な間違った賞賛とは、自己中心的な目的を満たすために、自己中心的な人たちによって与えられるものです。

ユディシュティラはさらに尋ねました。「孫は、私たちの家系のラージャ・リシ(王仙)方によって敷かれた道に従うでしょうか?私たちの家系では、聖者(ラージャ・リシ)の道をふさいだ王たちがたくさんいました。彼は先祖方が敷いた道を守るでしょうか?」

この質問は皇帝ユディシュティラの偉大さを明らかにします。彼は自分の孫が帝国を拡大し、富を獲得し、この上ない物質主義的な繁栄にいたるかどうか、彼が勝ち誇って戦争を行うかどうかなど知ることを求めませんでした。それよりも孫が神の道を歩くかどうか知ることを気にしました。孫が聖者方を尊敬するかどうか?主の熱心な帰依者として素晴らしい評判を得るか?市民たちをよく面倒みるかどうか?正しい道を歩むだろうか?を気にしていました。

ユディシュティラはなんと立派な人だったのでしょうか!そのような純粋な心でユディシュティラは、自分の孫の将来を知りたいと思いました。ユディシュティラのこの質問から、卓越した聖者方によって真価を認められた道を歩むことは、人生でもっとも必要なことそのものであることは明らかです。
それでも人々は好きなように主張することができます。しかしもっとも重要なことは、人はその道を歩み、聖者方に真価を認められた方法で行動することです!シュリハリへ向けた信愛を身につけるべきです!

シュリマン ナーラーヤナ!

続く

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