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1996年グル・プールニマのスピーチ

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(1996年7月30日)

バラタの伝統の上にグルプールニマという神聖な機会があります。

我々は知識やマントラや霊的なサーダナ(修行)を授けてくれる先生やグルたちに、尊敬して会い、話し、礼拝し、祈るべきです。

この道はタパス(苦行・熱)でもあります。このタパスは賢人バーダラーヤナ(ヴェーダンタ学派の開祖)、ヴィヤーサ、サプタリシ(七聖仙)、ヴァールミーキから来ているのです。

なぜこの日が重要なのでしょうか?
グルプールニマの完全な意味は何なのでしょうか?

グルプールニマは形式やお祝いとして飾り立てることではありません。
多くのことを成し遂げることを意味しています。

完全な意味は、六つのチャクラを啓発し、無知の暗闇を取り除くことです。
サッドグル(霊性のグル)のダルシャン(一瞥)は罪を取り除きます。
グルプールニマはとても重要なものです。

ただマントラを唱えることでは、利益をもたらしません。
我々はマントラを与えたグルに奉仕するべきであり、物質や言葉や心で奉仕すべきです。
たとえマントラを唱えることに熱心に専念、集中して、強力であっても、この肉体のカルマには浄化が必要なのです。それが適切なセヴァ(奉仕)です。

マーナサ・セヴァ(精神的な奉仕)で充分ではないでしょうか?物質や身体のセヴァは必要なのですか?と現代の人たちは尋ねます。しかし、物質的身体は純粋な心を病ませることができます。
この身体にはタバス(苦行・熱)を教える必要があるのです。
インドリヤス(器官、諸感覚)はタパスを学ばなくてはなりません。
外的な浄化は必要なのです。

今から二千年前は違っていましたが、このカリユガの時代は状況が違います。
黄金の時代においては、強いサンカルパ(意思)だけで、心と体を浄化することができました。しかし今は違うのです。

現在の心や意識はインドリヤス(感覚器官)の奴隷ではないでしょうか?
カーヤカ(体)の浄化は必要です。

その為には身体によるグルへのセヴァが必要です。
マントラの成就はその後に来ます。
その時にマントラディクシャが来るのです。

どのくらいの期間、身体によるセヴァが必要なのでしょうか?
それは死ぬまでです。

皆さんはマントラの成就を得ることができないかもしれません。
この一生では、身体を調整することができないかもしれません。

私たちは贅沢品で甘やかされています。それは熱湯(戒め)を必要としているのです。

私たちは身体の欠陥を疑い始めなくてはなりません。それがスタートです。
座り続けることはつらいことであり、枕が欲しいとあなたは要求するでしょう。
なぜそれが必要なのでしょうか。
それは小さな欲求のように思えるかもしれません。
しかし、眠気は必要ありません。払いのけなさい。
冷たい水で入浴してください。あなたは震えるかもしれません。それが全てです。
これにより、この肉体は教訓を学ぶのです。

このタパスはヤントラもマントラも必要ありません。
グルの助けこそが、全てであり、必要なものです。

ヴァシシュタはラーマや他の弟子を固い地面で寝るように訓練しました。食事は1日1度だけ。彼の妻は心配しました。彼の母さえ心配しました。

しかしヴァシシュタはその兄弟たちに最悪な事態に備えなくてはならないと断固として主張しました。
それは後で非常に有益だったとわかったのです。それらの欲望は制限されたのです。

私たちはそのように訓練されていません。
しかし、私たちができることから、どのような方法でも始めてください。
インドリヤスは定期的な食べ物の摂取を要求します。
内臓の働きは一定の意思と力に頼っています。

皆さんが起きるとすぐに、舌がコーヒーを要求します。
コーヒーを飲むことを遅らせることで、トレーニングを始めてみてください。
そしてその次はコーヒーを飲むことを辞めます。
これは小さいことのように思うかもしれません。
しかし、価値があるのです。あなたの習慣を変えてください。
インドリヤスはずっと前からあなたを騙してきました。
今、あなたは感覚の奴隷とならずに、感覚を騙し始めてください。

魔王ラーヴァナがラーマと戦って死んだ時に、ラーヴァナの妻であるマンドーダリは戦場に来て、夫の死を嘆きました。彼女は言いました。「ああ私の親愛なる夫ラーヴァナよ。何があなたの上に降りかかったのですか?あなたは、インドリヤスと三つの世界を征服していました。おそらくインドリヤスは復讐の機会を待っていたのでしょう。それはあなたに影響を与えて、誘惑して、あなたを崩壊させたのです。インドリヤスがあなたを統率してきました。今、その代償をあなたは払ったのです」

アシュラムの中でさえ、多くの人がタバコを吸いたいと思っています。
しかし、スワミジがあなたをいつの瞬間か呼ぶかもしれない、そして祈祷ホールに留まるかもしれないと言い聞かせています。祈祷ホールに留まることを延長すると、喫煙は少なくなります。その日は4本のタバコを我慢することができるでしょう。

身体のインドリヤスの要求は長い年月で増大してきました。皆さんは、願望や心の屈辱感を過度な欲望で騙してきたのです。心は常に集中を渋ります。今における精神のタパスとは集中することなのです。しかし、皆さんが集中すると、思いや考えがたくさん頭にちらついてきます。身体や感覚を置いていく時がタパスなのです。
しかし、心は眠くなり・・・制御しようと考えると、激しく走り回ります。集中ができない。たくさんの思いが来て、その思いはその時々に発生して止まらない。そして過去の感情が通り過ぎ、心はぐらつきます。たくさんの望ましくない昔の事や出来事を思い出すのです。そして心に恐ろしい未来を描きます。いくつかの恐ろしい思い、楽しい思い、インドリヤスに関係するもの、罪作りではあるけど楽しみなこと、友人たちや隣人のこと、自分の生活や人生で好きなもの、が座って瞑想している時に現れるのです。

なぜ座って瞑想をするのでしょうか?
皆さんの心はコントロールされていません。
誠実な動機で瞑想として座らなければならないのです。
しかし心は、鳥のようであり、羽ばたいたままです。
音楽を聴くことは必要です。その時、心は音楽に集中しています。それはスワミジが皆さんが瞑想をする時に音楽を聴くように言っている意味なのです。心は音楽に夢中になり没頭するでしょう。音楽をしばらくの間聴いた後は、心は疲れて眠ろうとするでしょう。それは10分でちょうど良いくらいの、心が寝ている状態なのです。毎日、この練習は必要です。これは心のタパスなのです。
次の ヴァーチカ(言葉を使った)タパスはサットサンガとサットサンガでバジャンを歌うことです。口は詠唱します。
「ハレ― ラーマ ハレ― ラーマ ラーマ ラーマ ハレ― ハレ―
ハレ― クリシュナ ハレ― クリシュナ クリシュナ クリシュナ ハレ― ハレ―」
(スワミジはとても面白い身振りを行いました。スワミジは耳をきれいにしたり、頭はひっかき、あくびをしました・・・)
これは、ヴァーチカ のタバスでしょうか。これはインドリヤスです。目の意識は詠唱の間、とても活発です。チャンティングはテープレコーダーのようです。

多くの帰依者はアナガ・ヴラタを歌います。
帰依者は全ての彼の家族そして友人たちにヴラタ(供犠やお祈り)を見るようにと招きます。彼はヴラタを行うために座り、そして、誰かが家に入ってきます。彼はそれを見て、微笑み、彼らを中に招き、座るように手招きします。彼がそれをやっている間、聖職者は次のシュローカを唱和しています。一方、隣の部屋の人たちはテレビで見て音楽を流しています。あなたは聖職者のマントラよりテレビの音を聞こうとするでしょう。他の隣人の子どもたちは、クリケットをし始めて、騒音と大声が聞こえてきます。

そのヴラタの失敗の後、彼はスワミジに手紙を書きました。「スワミジ、私はアナガ・ヴラタを歌いました。これは十二回目のヴラタであり、私は5000ルピーを使い、二百人のために機会が提供されました」

これがスワミジが求めることでしょうか?いいえ違います!
スワミジは皆さんの集中の改善を求めているのです。
ヴァーチカのタパスは皆さんがバジャンを歌っている時に何もかも忘れることを要求しているのです。

三つ目のタバスは重要です。
三つ目のタパスの部門があります。
これは二十四の真理に発展します。
今はそれらを論議する時間ではありません。

ダッタ・ピータムは、ダッタートレーヤ・サンプラダヤ(ダッタの伝統)に従っています。クリタ・ユガ、トレタ・ユガ、ドヴァーパラ・ユガ、カリユガの四つのユガ期の太古の昔から、ダッタ・タットヴァ(ダッタの原理)は実在していました。ダッタはデーヴァター(神々)たちのグルでした。ラーマでさえダッタを探しに行きました。しかしアトリとアンギラスだけがそこにいました。ラーマが王位に就いた日、ダッタートレーヤーがどこからともなく現れて、ラーマとシータを祝福して、姿を消しました。全ての賢人はその日にラーマを祝福に来ました。
ダッタの伝統は全ての障壁を超越しています。
それは素晴らしい伝統なのです。
シャンカラチャリアはグル・アシュタカ(八行詩)でグルタットヴァ(教師の真理)の説明をしています。

もし心がグルの神聖な御足を求めないなら、美しい身体を持つことや、家族を持つこと、富の山を持つことは何の意味があるのでしょうか。

六つのシャーストラの学者やヴェーダ学者、詩人、文学者であっても、神聖なグルの御足を求めないのなら、何の意味があるのでしょうか。それを学ぶことができるならとても有益です。

資質があり、有名な海外の大学で高度な教育を受けたり、金メダリストであっても、神聖なグルの御足を求めないのならそれに何の意味があるのでしょうか。

彼は皇帝で足下に全ての世界を支配し、皆は彼に奉仕します。しかし、神聖なグルの御足を求めないのならそれは何の意味があるのでしょうか。

彼は寄進者として有名です。彼の名声は遠くまで広がっています。しかし、神聖なグルの御足を求めないのならそれに何の意味があるのでしょうか。その時、彼の名声は限定的なものとなります。

ヴァシュヴァーミトラの名声の物語を見てください。彼はブラフマグルに降参し帰依するまで、ブラフマリシとは呼ばれませんでした。
ヴァシュヴァーミトラは偉大な苦行を完成した方でした。しかし彼はグルを求めませんでした。そのため彼はブラフマリシとは認められませんでした。
あなたは偉大な帰依者であるかもしれません。
あなたは女性やお金、健康や名声に興味がないかもしれません。
しかし、神聖なグルの御足を求めないのなら、それに何の意味があるのでしょうか。

あなたは森林の中にいて人生に興味を持っていないかもしれません。
妻や家、人生に邪魔をされていないかもしれません。
あなたは放棄者であるかもしれません。
神聖なグルの御足を求めないのなら、それに何の意味があるのでしょうか。

あなたは偉大な宝石を所有して楽しんでいました。神聖なグルの御足を求めないのなら、それに何の意味があるのでしょうか。

誰かがグル・アシュタカを聞き、真の帰依者になるとします。ヨーギやブラフマチャリアの口から多くのことを聞いたとします。もしそこにグル・カルナ(グルの慈悲)がなければ、人生に何の意味があるのでしょうか。

それはまさに凄い車を持ってはいても、どうやって運転するかを知らないことに似ています。
我々は運転者を見つけるべきなのです。その運転者はとても良い道を通り、あなたを連れて行くことが可能になります。それはクリシュナがアルジュナや偉大なバラタたちを導いたようなものなのです。クリシュナはアルジュナを安全に導き、そして最後に勝利を与えたのです。
最後にクリシュナはアルジュナに言いました。「もし何もできないのなら、少なくとも私に全てを明け渡しなさい。私はあなたを助けるだろう」
皆さんは本当に幸運です。偉大なグル・アシュタカをスワミジよりグルプールニマの日に聞けたのですから。

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