ブログ

シュリーマド・バーガヴァタム 第42話

カテゴリー :

通りを歩く人が偶然に神の名前である「クリシュナ! クリシュナ! ゴーヴィンダ!」と耳にするだけで、その人は純化されます。この上ない幸運です。同様に、ヴィドゥラが河や池で沐浴した際には、その場所は純化されます。

ユディシュティラは続けました。「シュリ・クリシュナを主人として持つヤーダヴァ族は、私たちの友人というだけでなく、親愛なる親戚です。 ひょっとしてあなたは彼らの誰か一人にでもお会いになりましたか?何か便りをお聞きになりましたか?彼らは自分たちの街で幸せに生活しているでしょうか? 」

これらの質問に答えるために、ヴィドゥラは完遂した巡礼での体験の詳細を説明しました。しかし、彼はすでに滅亡していたヤドゥー族については言及しませんでした。

皆の嘆き悲しみを見るのには耐えられないほど慈悲深いヴィドゥラは、普通の人には耐え難いヤドゥ一族の滅亡の知らせを秘密にしていました。また、彼らの滅亡は自然に起こったからでもあります。この無限の宇宙と、最高主の無限の戯れの中で、その滅亡は自発的に起こりました。彼はヤドゥー族がパーンダヴァに非常に親切であったし、パーンダヴァにはその事実は聞くに耐えられないものなので、その知らせを公にしなかったのです。

非常に長い時間留守にした後に、皆と再会したときに悲しい知らせを伝えるというのは、正しいことではありません。 ヴィドゥラの帰還までには数年経っていました。誰もが彼の帰還を喜んで祝いました。そんな時には、この深刻な知らせを彼らにつきつけるのは間違っていたのです。

ヴィドゥラのこの行為は、虚偽を話すことと同等とはみなされません。人々の平安を維持することは彼の義務(ダルマ)でもありました。 逝去した人々の知らせが伝えられ、ショックを受けて人々が生活を投げ出したなら、それは不都合なことです。そういった知らせは、頃合いを見計らって人々と共有する必要があります。

ユディシュティラはヴィドゥラを神と同等に考え、それ相応の態度で扱いました。ヴィドゥラはしばらくそこにとどまり、彼の兄ドリタラーシュトラに最高の本質(タットヴァ)を告げて、彼に幸福をもたらしました。彼はそこにいるすべての人に幸福をもたらし続けました。

聖仙マンダヴァに呪われたヤマ(死の神)はヴィドゥラとして生まれました。 彼はシュ―ドラ(最低階級)として生まれ、100歳まで生きました。 当時、アールヤマが、死の神に任命されていました。正義(ダルマ)によって縛られた、アールヤマは邪悪な者を罰する任務を正当に全うしました。

ヴィドゥラはマハーバーラタにおいても、とりわけ特別な位置付けをなされます。『ヴィドゥラ・ネーティ』(ヴィドゥーラの金言)という書は、マハーバーラタの中でも重要な聖典です。最も偉大な学者でさえ、この神聖な言葉を崇拝し、深い尊敬の念を抱きます。ヴィドゥラは、最低の階級に誕生したものの、その言葉は非常に崇高なものです。

人々に価値をもたらすのは、彼のカーストではなく、知識です。これが私たちの古代インドの教義です。常にこのことを念頭に置いてください。

ある人が何者であっても、価値のあることを教えたり、良い知識を誰かと共有したりするならば、他の人に対してよき理解を示すのならば、他人に価値のある善行を勧めるならば、その人は尊敬されるべきです。私たちがマイクを通じて講義を聴いているとき、私たちにとって重要なのは講義の内容が聴こえるかどうかであり、そこからメッセージを受け取ることです。なぜ私たちはマイクのメーカーのブランドについて気にしなければならないのですか。同様に、私たちに貴重な教訓を示す全ての人は、最高主クリシュナの信者です。

ユディシュティラは、彼の孫である相続人パリクシットを養育することに加えて、世界の守護神のような弟たちと一緒に賢明に統治活動を遂行しました。彼は王の贅沢を楽しみながら幸せに生きました。

このようにして、行政上の問題、宮殿のような贅沢さと富に身を捧げたパーンダヴァは、時間の感覚を失いました。そうするうちに彼らの寿命は終わりに近づいていました。絶対に克服できない死が彼らに近づいていました。

誰もが死を迎えなければなりません。これはパラマートマが私たちに与える最後のマハ・プラサダ(偉大なる恩寵)です。私たちは死を恐れるべきではありません。やがて訪れる死に負かされることを恐れて、私たちは神性を悟るようにするべきだといわれます。ですが一方で、死を心配することなく、喜んで熱心に神について学ぶよう努力するなら、間違いなく最高の知識を身につけることができます。

死ぬことを心配している人が、この知識を得ることを急いでいるのなら、それは何の意味がありますか。それはマインドを目隠ししているだけです。それ以上の恩恵はありません。知性は変容を遂げたとしても、深いところに位置するマインドは変容しないでしょう。「私があの世へ旅立つ時には、慈善活動などすべてを急いで完了させます」 この言葉は何に役に立ちますか。慈善活動におけるどの行為においても、その人は全身全霊で関与しなければならないと言われています。

死は偉大なパーンダヴァたちにさえ近づきました。これを予見できるヴィドゥラは、ドリタラーシュトラに言いました。 「偉大なる王よ!あなたを打ち負かすために死が到来していることに気づいてください。 世俗的な束縛と呼ばれる罠から今すぐ逃れて、ヴァーナプラスタ(林住期)を探求してください。」

完璧な知識(ジニャーナ)を持つ人は、離欲(ヴァイラーギャ)を見つけるはずです。半端な知識から得られる離欲は、何の役に立ちますか。高齢期に離欲を行おうとするのは意味がありません。健康で賢明な人なら、離欲を習得するはずです。死に襲われる直前でさえも、慈善活動を行うはずです。これは神について学ぶ一つの方法です。

「今すぐに森林へ修行に出発してください。あなたが所有しているすべてのものを捨ててください。あなたの孫たちにそれを残すか、あなたを守った人にそれを与えてください。社会の福祉のためにあなたの財産を放棄してください。急いでください。生きている限り、死を免れることはできません。逃避の手段はありません。そのような死は今私たちに近づいています」とヴィドゥラはドリタラーシュトラに警告しました。

続く

PAGE TOP