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シュリーマド・バーガヴァタム 第53話

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アハンカーラ(自我意識)がなく、この世界に対して全くの無関心に到達したユディシュティラは、王宮の衣服や装飾品をすべて手放しました。彼は、感覚器官(インドゥリヤ)をその活動とともに抑制し、それらを自分のマインドに引き込みました。そして、マインドを呼吸に溶け込ませました。そして呼吸をプラーナ(生命の力)に溶け込ませ、アパーナをアパーナ(身体の下方に流れる気息)に合わせ、死と死を合わせました。このように彼は精神的に、土、水、風、火、空の五つの要素で構成される肉体にこれらすべてを統合させました。彼は精神的なホーマ(火の儀式)にすべてを捧げました。

その後、瞑想に慣れていたユディシュティラは、精神的に、その肉体をトリグナ(サットヴァ/純質sattva、ラジャス/激質rajas、タマス/暗質tamas)で構成されるプラクリティ(根本原質:自然)に溶け込ませました。彼は精神的に、プラクリティ(根本原質:自然)を霊的無知(アヴィディヤ)に統合しました。霊的無知は自己へと、自己は永遠のパラブラフマーへと統合されました。

ユディシュティラの身なりはぼろぼろになり、断食し、マウナ(完全な沈黙)に従事し、髪をほどきました。彼の姿は、他人には自力で動けない正気ではない人間か幽霊のように映りました。振り返ることなく彼は家を出ました。ろう者のように彼には何も聞こえませんでした。

皆さんはユディシュティラがどれほど幸運だったか気づきましたか?彼が人々にカリの影響が及ぶのを観察するために待っていたならば、この話はもっと複雑になっていたでしょう。パラマートマに一意専心し、彼はマハトマたちが同じ目的のために歩んだ道に沿って北へ進み始めました。

我々のシャーストラ(聖典)には、このように自分の人生を終えた人々は、生まれ変わりの束縛から完全に自由であると記録されています。
カリが地上の人々への影響力を急速に高めていたことに気づき、決断力のある知的なパーンダヴァの兄弟四人は、長兄の足跡をたどりました。

このパーンダヴァ兄弟は生涯の間、プルシャルタを真面目に守っていました。プルシャルタとは、人生の四つの目的、すなわちダルマ(正義)、アルタ(物質的収入)、カーマ(欲望の実現)、モクシャ(自由の達成)のことです。主ナーラーヤナの蓮華の御足自体が、プルシャルタであると彼らは気がつきました。

彼らは最高の主の蓮華の御足について沈思黙考しました。この沈思黙考のお陰で、主に向かっての彼らの帰依は著しく強くなり、身も心も捧げる形となりました。彼らの内なるマインドは完全に清められました。

その至高主の蓮華の御足に彼らの心が完全に一致したので、この物質的世界とその贅沢品に完全に無関心になりました。すべての不純物から解放されて、最高の自由を獲得しました。それは不道徳な人の手の届かない境地であり、そのような人には達成できない境地です。

感覚を完全に抑制したヴィドゥラは、主シュリ・クリシュナに完全にマインドを一致させました。彼はプラバーサの神聖な地で自らの肉体を放棄しました。先祖と一緒に彼は自分の住まいに行きました。

離欲を達成した夫たちが家を出たことを知って、ドラウパディはシュリ・クリシュナに一意専心し、主と同化しました。

yaḥ śraddhayaitad bhagavat-priyāṇāṁ
pāṇḍoḥ sutānām iti samprayāṇam
śṛṇoty alaṁ svastyayanaṁ pavitraṁ
labdhvā harau bhaktim upaiti siddhim

パーンダヴァ兄弟たちは至高の主のことをこよなく愛していました。彼らは主の絶対的な恩寵を受けました。この物語は、最も崇高で最も幸運なものです。パーンダヴァ兄弟の昇天の物語を全身で受け止めた人は、シュリハリ(ヴィシュヌの別名)に対する絶対的な愛も育むでしょう。最終的には、彼らは生まれ変わりから解放されることにも恵まれます。

これで第一編十五章を終えます。

第十六章では、パリクシットが国王になったとき、世界を征服するために行った彼の遠征、そして大地の主宰神(ブゥー・デーヴィ)と正義の神(ダルマ・デーヴァタ)との対話についてお話します。

聖仙スータは続けました。

「聖仙ショウナカよ!パンダヴァ兄弟が天国に昇天した後、パリクシットが王になりました。有名な占星術師が誕生の時刻を予言したように、気高い特徴を持つ高貴な人間に成長しました。知的で博学な人たちの指導を受けながら、彼は非常に効果的に分別を持って国を統括しました。彼は、ウッタラ王の娘イラヴァティと結婚しました。二人の間には、ジャンメージャヤと他の三人の息子が生まれました。

グル・クリパチャリヤの指導のもと、彼はガンジス河畔で、三頭のアシュワメーダ・ヤーギャ(馬の捧げる儀式)を行いました。彼は豊富な贈り物で司祭を敬いました。驚いたことに、これらの儀式(ヤーギャ)では、ホーマの火の供物を受けとる神々(デーヴァタ)が人々の目にも見えたのです。

勇敢なパリクシットが世界を征服しようとしていた時(ディグヴィジャイ・ヤトラ)、彼はカリ・ユガの主宰神であるカリプルシャに出くわしました。その姿は、黒い肌艶で、王様のように着飾り、雌牛と雄牛によって牽引された乗り物に乗車していました。このカリプルシャは動物たちの足を蹴り、怪我を負わせていました。パリクシットはカリプルシャの腕を掴みました」

このことを聖仙ショウナカは耳にして尋ねました。

「聖仙スータよ!この世界征服の遠征(ディグヴィジャイ)にいたパリクシットはなぜこのカリプルシャをつかまえたのですか?理由は何ですか?王のように着飾り、聖なる牛を蹴っていたこの者は誰ですか?マハトマ様!この事件が主クリシュナの物語に何か関係があるのか、あるいは神聖な蓮華の御足へ献身し、ご利益を受けている聖なる人々と直接関係があるのなら、質問にお答えください。

さもなければ、最高の真理を悟るための時間はほんの一瞬しか与えられていない私たちのような普通の人間はそのために時間は割けません。私たちは、クリシュナと関係のない無駄な幸先の悪い話題には何の興味もありません。無駄な話題について議論することに時間を費やすことで、どのような恩恵がありますか。私たちの寿命を食いつぶすこと以外に、他の結果ももたらしません」

人々は無駄な話題について議論をして時間を無駄にすることが多いです。人生の一秒一秒が非常に貴重です。それを無駄にすることなく、効率的に毎秒、毎分を使ってください。いい気晴らしになるからといって、主の物語を聴く人がたくさんいます。その信念は間違っています。過ぎ去った時間は決して戻りません。むしろ、主の物語を聴くために時間を効率的に使用していることに緊張感を持つべきです。それを娯楽と考えてはなりません。人は幸運な運命に感謝すべきです。

ハリ シュリハリ ナーラーヤナ

続く

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