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シュリーマド・バーガヴァタム 第58話

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パリクシットは、カリに賭け事、飲酒、売春、屠殺が行われている家に居住するように指示しました。

賭け事をしている最中のカリはどんな姿でしょうか。彼は不誠実という姿で居住しています。賭け事は不正行為の一種です。不正行為とは、不誠実という意味でもあります。飲酒して何時間も眠りこける人々がいます。それはさらに渇望を人に引き起こします。渇望という姿と、また動物への残虐という姿でもカリは居住しています。

パリクシットの要請すべてに従ったカリは、それでもまだ別の場所への居住を求めていました。そのため、パリクシットは彼に黄金を割り当てました。上記の四つの場所に加えて、カリは黄金のなかに住むことができました。黄金は人々の間の敵意を強めます。

カリは、不正義の主要な原因でしたが、王の命令により、これら五つの場所に限って住むことが許されました。こういった理由から、賢明な人は善意から来るものでも黄金を受け取りません。彼らは黄金に手をつけようとしません。彼らはそこがカリの住処だと知っているので怖がります。黄金色というだけで厄を惹きつけるのに十分だと言われています。

したがって、真に賢明な人は、五つの罪深い活動のどれも楽しむべきではありません。さらに重要なことは、人々を指導するグルがそうであるように、国を治め、民衆に繁栄をもたらす王、指導者、統治者は、絶対にこれら五つの活動に関与する環境に身を置くべきではありません。

このようにして、パリクシットはダルマの他の三つの脚、すなわち苦行(タパス)、慈悲(ダヤ)、潔癖(ソウチャ)を取り戻しました。その上、彼はそれらを養い、強化しました。さらに彼は母なる大地を慰め、その栄光を高めました。彼はカリを追い出したので、この成功をおさめることができました。

ユディシュティラが森の修行へと出発するとき、彼は孫のパリクシットに戴冠し、自分の帝国全領土を彼に引継がせました。 ハスティナープラを支配していたパリクシットは、クル血統の王権の珠玉となり、栄光を手にしました。アビマニュの息子であるパリクシットの繁栄には限りがありません。

「彼の覇権の下だからこそ、あなた方は聖なる誓いを立て、聖なるヤグニャ(火の儀式)を始められました」と聖仙スータはそこに集まった聖人たちに語りました。

これで、第一編の第十七章を終わります。次に第十八章を始めます。
この章では、パリクシット王が聖人の息子によってどのように呪われたかを話します。ここで物語が転機を迎えます。

聖仙スータは、これまでどうやってパリクシットがカリを捕らえたかを説明した上で、続けて言いました。

「ショウナカよ!母親の子宮にいたパリクシットは、強力なブラフマーストラのために殺されました。シュリ・クリシュナの至高の恩寵のために、主の奇跡的な遊戯には際限がなく、パリクシットは生き延びました。

このパリクシットに、聖者の息子によって唱えられた呪いを媒介として、死がヘビの姿で現れたのです。しかし、彼の心は、至高の主の蓮華の御足に永久に定められていたので、彼は死さえも恐れませんでした。

これは彼が母の子宮内にいた時でさえも主を見ていたからです。彼は生まれた瞬間から、彼は強い眼差しで、彼が出会った人すべてをいつもよく見極めていました。彼は母親の子宮内にいる間に一度目にした神の姿を、万人、万物に対して探し求めていました。彼がいつまでも周囲の人を吟味(パラクシャ)していたので、彼はパリクシットとして呼ばれるようになりました。

至高の王は、死が近づいても恐れることはありませんでした。彼は聖仙ヴィヤーサの息子である聖仙シュカの弟子となりました。完璧な離欲に到達し、彼は至高の主シュリ・ハリの本質を理解し、ガンジス河のほとりで肉体を離れました。

nottamaśloka-vārtānāṁ juṣatāṁ tat-kathāmṛtam
syāt sambhramo ‘nta-kāle ‘pi smaratāṁ tat-padāmbujam
主の栄光を永遠に語り続けて時を過ごし、その輝かしい物語という甘露を永久に飲み続け、主の蓮華の御足に一意専心する志向者(サーダカ)は、死を迎える際の恐怖と混乱に全く動じません。

上記の詩句は、実に素晴らしいマントラ(真言)です!そこから教訓を得てください!

アビマニュの息子であるパリクシットが全土を統治している限りは、カリがその地で勢力を拡大させることはできませんでした。

ある日突然、シュリ・クリシュナは、地上を去って主の住処へと戻り、不正義の神(アダルマ)のカリが地上に足を踏み入れました。

カリ・ユガの時代では、徳業や善行の活動への参加を願うような人だけが、プンヤ(功徳・幸運)の恩恵を受けられます。一方、実際に罪深い行為に耽溺するような人は罪で汚れます。ただ罪深い行為を計画しているだけでは、人は罪になりません。

主は私たちのために簡単にしたのです。たった一言「私は巡礼に行きたい、または私はこの善行をしたい」と発するだけで、その人は功徳(プンヤ)を積むことができます。しかし、単に「私は人を騙したい」と言っても、その人はいかなる罪も負いません。その人が実際に不正を行うときにのみ、罪を負います。これがカリ・ユガの法則です。単にカシに行くことを望むだけで、その人の幸運は倍増し始めるでしょう。

パリクシットはこの本質を完全に理解していました。ミツバチのように甘い蜜を吸いました。それゆえ、彼はカリに対する嫌悪感を全く抱かなくなりました。」

シュリ・ナーラーヤナ!ダッタ・ナーラーヤナ!

続く

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