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シュリーマド・バーガヴァタム 第61話

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聖仙シャミカは続けました。

「王がビシュヌ神に他ならないことが記された聖典の文章をお前は理解できなかったのだ。お前は凡人と王を同等とみなした。お前がしたことは絶対に間違っている。

王は無敵だ。あの方の傑出した強さと力による保護のお陰で、民衆は恐れを知らずに活動できる。彼らは幸福と経済的繁栄を享受できる。

息子よ!円盤を握っている主ヴィシュヌは、ご自身が王の姿となり、この世界を保護している。王が不在となったなら、民衆は何の保護も受けないだろう。社会には悪人がはびこり、羊の群れのように、この世界全体は瞬く間に破壊されるだろう。王なき世界では、泥棒がすべての富を奪うだろう。私たちが彼らに直接関与しなくとも、私たちは罪で汚れることになる。

社会に悪人が増えるにつれて、暴力が広がる。人々はお互いを殺し合う。富、女、動物が盗まれる。支配者のいない社会では、ヴェーダで規定されているダルマ(正義の遵守)が無視される。カースト(ヴァルナ)と人生の段階(アーシュラマ)に関する規則は誰も守らないので効力が失くなるだろう。

人々は物質的富(アルタ)を得ることと、欲望(カーマ、安易な満足感)を満たすことだけに集中するだろう。正義(ダルマ)の遵守や解脱(モクシャ)の達成に関する思想はなくなる。人々は猿のように気まぐれになるだろう。人々は犬のように物質的な快適さを好むだろう。いつでも、どんな状況においても、肉体的な安楽さが求められる。

少しは自分の失態がわかったか?

熱心にダルマを守り、アシュヴァメーダ・ヤグニャを何度も執り行った聖なる王パリクシットは、大いなる名声を得た方だ。あの方は、主の至高の帰依者であられる。疲労により喉が渇き、水を求めてアーシュラマに来られた。そういった事情なのだから、あの方は呪われるに値しない。

神よ!この無知な子は、その未熟な知性と幼稚さのために、罪と善との区別もつかず、世界を敬虔に統治し、民衆の利益を守る偉大な王に対して重大な罪を犯しました!

宇宙の主よ!どうか、この子の罪をお赦しください。至高の主の帰依者らはとても慈悲深く、たとえ彼らが超人的な能力を持っていても、虐待、不正行為、叱責、殴打、あるいは侮辱を行う者に決して復讐などいたしません」

このように聖仙シャミカは息子の罪を深く懺悔し、悲しみに暮れていました。彼は王の行動にわずかな誤りを見つけることはできませんでした。彼は王の行為を侮辱とはみなしませんでした。彼は自分の息子の過ちを煩悶していました。

prāyaśaḥ sādhavo loke parair dvandveṣu yojitāḥ
na vyathanti na hṛṣyanti yata ātmāguṇāśrayaḥ
俗世間の人間は、常に快楽と苦痛のような相反する事象の間に自ら追い込まれてしまいますが、気高い人々はそのようなことを経験しません。なぜなら、二元性と三つの特質(トリグナ)を超越した自己の至福を常に享受しているからです。

これで、第一編の第十八章を終わります。引き続き、第十九章を始めます。
第十九章では、パリクシットがガンジス河の岸辺に行き、食べ物と飲み水を控えて、死を待っていること、偉大な聖者がそこへ到着したこと、パリクシットが聖仙シュカに質問したことについてお話します。

パリクシットは、森での出来事を回想し始めました。彼は間違いを犯したことに気がつき、激しく動揺しました。

「なんということだ。私は、完璧で、神々しく輝く、偉大な聖者に対して無礼な態度をとった。己の行動に嫌気がさす。なんということをしたんだ!私は神と同等の人を侮辱した!このことで、私の身にひどい災難が降りかかるのは間違いない。

「聖仙の怒り」という火の中で、この哀れな人間である私が所有する富、王国、軍隊のすべては、完全に燃え尽きるだろう。これが私が求めるものだ。

私は罪人だ。凶悪な罪を犯した。完全に瞑想に耽っていた偉大な聖者を侮辱した。その罪によって私は完全に燃やし尽くされよう!私の財産と所有物のすべて焼いてくれ!私の子供がそれに苦しめられないのであれば、幸いだ。私は聖者、ヴェーダ学者、神々、牛たちに対して今後一切不注意になってはいけない」

王はこのように彼の悪行を懺悔した時、聖者の息子の呪いのために、タクシャカという猛毒のヘビの咬傷を受けて七日以内に死ぬという知らせを受けました。マハムニ・シャミカが、王の元へこの知らせを伝えるために弟子を使わせたのでした。

シュリ・ハリ!ナーラーヤナ!ナーラーヤナ!

続く

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