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シュリーマド・バーガヴァタム 第65話

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シュリーマド・バーガヴァタムの第二編の第一章に移ります。

第二編の第一章では、聖仙シュカが瞑想(ディヤーナ)の手順を説明します。この章では、瞑想状態に到達するのを援助する主の普遍的な姿が説明されています。
聖仙シュカは、パリクシット王の質問を受けて次のように答えました。

Varīyān eṣa te praśnaḥ kṛto loka-hitaṁ nṛpa
Ātmavit-sammataḥ puṁsāṁ śrotavyādiṣu yaḥ paraḥ
「王よ!あなたの質問である 『聴き、賞賛され、記憶に残った事柄の中で最も尊い位置を占めるものは何ですか?』は、まぎれもなく最も栄光ある質問です。これは世界の平和につながります。霊的に聡明な人間であれば、尚更この質問を正しく理解します。

一般家庭の世帯主は、財産、配偶者、子供、家庭、収入など、世俗的な束縛にがんじがらめになっています。その人に知識がなければ、日常行為を遂行する過程で多くの間違いを犯します。

世俗的な束縛に完全に埋没する者は、自己の本質を理解することができません。世俗の無数の関心事に隷属しています。睡眠または肉体的快楽のために夜の時間を無駄にします。富を得たり家族をケアしたりするのに昼間の時間を使い果たします。

人間は永遠の情欲と願望との戦争状態にあります。究極的には、肉体も子供も配偶者も、他の道具や軍隊も、この戦争に勝つための助けになりません。端的に言うと、これらの手段のどれも現実的には存在しないものです。ともすれば、それらは害をさらに与えるものです。しかし、物質的世界の対象に酷く執着している人間は、目の前で父親や親族が死ぬのを見ても、肉体や環境が非永続的な存在であるという現実を理解できません。

日常的に、人間は他者の死を見聞きします。様々な形で困難に直面します。それでも、警戒心を持ち、聡明になることを学習しません。いつの日か、すべてのものを置いて、往かなければならないことを理解していません。

これらの非永続的な対象にどっぷり浸った人生を歩みます。完全にそこに囚われています。一時的なこの世界がすべてであると信じます。これを解放とみなしています。一時的で、非現実的で、未完成なものを、永続的で、現実的で、完全なものと考えています。この非現実的な虚構の世界に強く執着しています。肉体のケアは些細なダルマ(正義)ですが、そのことを極端に考え、専念します。

Tasmād bhārata sarvātmā bhagavān harir īśvaraḥ
Śrotavyaḥ kīrtitavyaś ca smartavyaś cecchatābhayam
バラタ王朝の皇帝よ!解脱を望んでいる人間が栄光をたたえるべき存在は、シュリ・ハリだけです!彼は、記憶し、その話に耳を傾け、賞賛すべき対象です。それは、彼が宇宙全体の主だからです!主はあらゆる存在の中に『自己』という姿で存在しています!

したがって、人間誰でも、それぞれに自らの義務を確実に果たす一方で、カルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)を実践する必要があります。人間は、自己(アートマン)と非自己(アナートマン)を区別することができるはずです!人間は、自己についての知識(アートマ・ジニャーナ)を得るために努力すべきです。このような人生を歩んだ人間は、死の時には、シュリマン・ナーラーヤナに専心すべきです。そうやって人間は至高の徳を享受して、人生の目的を達成します。

Prāyeṇa munayo rājan nivṛttā vidhi-ṣedhataḥ
Nairguṇya-sthā ramante sma guṇānukathane hareḥ
偉大な皇帝よ!行動のすべてを放棄することで(サルヴァ・カルマサンヤーサ)、聖仙は、行動が規則に準じているか否かを線引きしている原理原則そのものを超越します(ヴィディ・ニシェーダ)。彼らは、姿も特質もない至高のパラブラフマに一意専心していますが、主シュリマン・ナーラーヤナの栄光を歌うことにこの上ない喜びを感じます」

聖仙シュカは、至高の超越的知識を獲得した偉大な聖者たちでさえも、主ナーラーヤナの栄光を歌うために時間を費やすと言及しています。

「カリ・ユガの初期に、私は私の父である聖仙ドゥワイパーヤナ・ヴェーダヴィヤーサからヴェーダと同等の価値があるバーガヴァタ・マハープラーナを学びました。聖なる王よ!私の内なるマインドは、トリグナを超越した主に完全に専心しています。今なお、私のマインドは、評価が最も高い至高の主の栄光と享楽に引き寄せられます。このため、私はバーガヴァタ・プラーナを徹底的に研究しました。

バーガヴァタを普通の文章だと考えないでください。熱心に向かい合っている人のマインドは純粋になります。これを通じて、マインドは、即座に解脱を与えるシュリ・ハリに直ちに定められます。

あなたはシュリ・クリシュナに特別に親しいので、私はこの神聖なバーガヴァタムをあなたのために暗唱します。 古参の賢者たちは、主シュリハリの栄光を歌うことは、至高の離欲を持ち究極の解脱を求めるカルマ・ヨーガ実践者だけでなく、現世と来世の両方で安らぎを求める一般の人々にとっても究極の道具であることを確信しました」

このことより、私たちはナーマ・サンキールタナ、つまり至高の主の栄光を歌うことの重要性を理解することができます。主の栄光の御名を何度聴いても聴きすぎるということはありません。

ナーラーヤナ! ハリナーラーヤナ!

続く

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