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シュリーマド・バーガヴァタム 第66話

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サーダナ(霊的実践)の手順について:

ナーマサンキールタナもまた解脱を与えます。
聖仙シュカは続けました。

「世俗的な物質的快適さというのは、霊的な無知と呼ばれる完全な暗闇でしかなく、それに深い愛着を持ち、傾倒している人の人生は、無意味であると言えます。一方、人間の誕生の意義が理解されてからの一時間ほどの短い時間の人生であったとしても、長く有意義な人生に匹敵します。そのような結果が授けられます。

主シュリハリの栄光を歌うことが人生の主な目的であることを認識している人は、解脱を達成するためにひたむきに努力するでしょう。

聖なる王であるカトヴァーンガは、もはやムフルタ(48分に相当する時間)しか余命が残されていないことを悟りました。彼はただちに物質世界の束縛から解放され、シュリハリについて熟考したので、この短い時間で解脱を達成しました!

ゆえに、至高の王よ!何も動揺する必要はありません。まだ七日間残っています。あなたの時間を賢く活用し、解脱をもたらす道を歩みなさい。

人生の最後の瞬間、どんな人でも必ず死の恐怖を捨てるべきです。

離欲(ヴァイラーギャ、無執着)という道具を使って、人間は世俗的な欲望から完全に解放されるべきです。諸感覚を克服するために、家を出るか、家事から距離を置いてください。

神聖な河で沐浴し、人里離れた場所を選ぶべきです、シャストラ(聖典)で定められたように座るべきです(アーサナ)。しかるべき位置にしっかりと座って、雑念を取り払い、全神経を集中させて「オーム」マントラを唱えるべきです。

オーム・マントラは、A、U、Mの音節の組み合わせであり、至高の主を表す音のなかで最も重要です!

オーム・マントラからマイドをそらさないようにし、プラーナーヤーマを通して呼吸を整え、マインドを抑制すべきです。

一般に、五つの感覚は、それらに付随した物質的対象物につながっています。五感を媒介として、マインドは絶えず世界の対象物を追います。マインドが絶えずこの世界で動いているのは、これらの感覚のせいです。

したがって、精神的修行の志願者は、マインドという強い手綱を使って感覚という馬をしっかりとつなぎとめ、身体という馬車の御者である揺るぎない知性(ニシュチャヤ・ブッディ)によって世俗的な快適さの追求を防ぎ、世俗の対象物から身を引くべきです。

世俗的な快適さを大いに警戒すべきです。マインドは必然的にそれらから退き、内面に向かうべきです。過去の行為の精妙な残余印象(ヴァーサナ)に影響され、マインドは絶えず撹乱されます。

良いサムスカーラ(潜在意識、傾向)が満ちている知性(ブッディ)を使用して、精神的な志願者は、すべての吉祥なるものの宝庫である至高の主の姿にマインドを整えて集中させるべきです。」

これが、霊的実践(サーダナ)を行うための手順です。これを何度も聴けば、より深く理解できるでしょう。把握するのが容易な課題ではありません。集中して聴く人だけが、理解できます。

「その後、志願者は、主の完全な姿に対して雑念をなくして完全にマインドを整えて集中させながら、至高の主の手足のそれぞれに注意するべきです。至高の主の姿以外のことを考えてはいけません。この状態はサマーディと呼ばれます。このサマーディが、ヴィシュヌの住居であることを理解してください。この状態でマインドが安定すれば、人は究極の平安を体験します。

主の姿以外の他の対象物にマインドが自ずと整い、集中し、究極の平安を感じるなら、その対象は、至高の主の姿の一つであると理解してください。

マインドが持つ情熱と活動の特質(ラジョ・グナ)はその集中を妨げ、台無しにします。怠惰さと無知(タモ・グナ)といったマインドの特質は、人から、至高の主を視覚化する能力を引き離します。
そのような時に、志願者は希望を失うことなく、再び至高の主の姿を瞑想すべきです。マインドを制御するためには、絶え間ない努力が必要です」

マインドがあちらこちらにそぞろにならないようにして、よく聴いてください。本章は、バーガヴァタムの非常に重要な箇所です。聖仙シュカは、このようにパリクシット王に教えています。パリクシットは帰還の旅の真っ只中です。至高の主の知識だけが荷物カバンに詰め込まれています。これ以外の事柄については背後に置き去りにします。そして、注意力を高めます。

「マインドを制御することは非常に重要です。こうして制御されたマインドだけがパラマートマと合致します。そのように整列したマインドにはもはや情熱と惰性の特質(ラジョ・グナとタモ・グナ)は影響しません。このようにして、マインドが絶対的に安定した志願者が、至高の主の幸運な姿に専心すると、その心には非常に速やかに主に対しての献身が芽生えます。この献身(バクティ)の影響により、すぐにその人は主に到達することができます」

このように聖仙シュカは、アシュタンガ・ヨーガ(八肢ヨーガ)についてパリクシット王に説明しました。
ともすれば難解になりがちなこの主題について、聖仙シュカは理解しやすい方法で説明しました。

パリクシットはこれを聴いて、質問しました。

「聖仙よ!人が絶対的な専心を達成できる方法とは何ですか?マインドの汚れを容易に取り除く専心とはどのような形ですか?一意専心のためには、どのような練習が必要ですか?何に焦点を合わせるべきですか?」

聖仙シュカは答えました。

Jitāsano jita-śvāso jita-saṅgo jitendriyaḥ
Sthūle bhagavato rūpe manaḥ sandhārayed dhiyā
「絶え間ない実践(アビャーサ)により、志願者は座る姿勢を完璧にするべきです」

座る姿勢が重要です。長時間同じ姿勢で座ることができない人はたくさんいます。パドマーサナ(蓮華座)を忘れ、心地よい姿勢になった場合でも、数分後には落ち着かなくなります。非常に頻繁に姿勢を変えたり、脚を伸ばしたりします。長時間座った際は脚や背中の痛みを訴えます。座る姿勢を完全にするためには、健康であることが非常に重要です。健康な状態とは、食生活、思考、欲望の一つ一つの上に成り立っています。健康であれば、長時間でも同じ姿勢を維持できます。

ナーラーヤナ!ナーラーヤナ!

続く

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