ブログ

シュリーマド・バーガヴァタム 第68話

カテゴリー :

聖仙シュカは続けました。

「スワヤンブヴァ・マヌは、至高の主の知性(ブッディ)です。人間は主の住処です」
このことを注意深く聴いてください。主は、人間の中に住んでいます。

「主の卓越した能力は、悪魔の総体として現れます。ブラフミンは、至高の主の顔です。クシャトリヤ(戦士)は、主の腕です。ヴァイシャ(牛飼い、商人など)は、主の太ももです。シュードラ(労働者)は、主の足です」

シュードラは、宇宙の中で素晴らしい場所を獲得しています!

「ヴァス神群、ルドラ神群、その他多くの半神群を伴って、至高の主は宇宙という一つの姿で存在しています!

ヴェーダのマントラを唱えること、聖なる火の中にお供えをすることと関連した入念なヤグニャの儀式は、主の唯一の活動です。このようにして、私はあなたに、宇宙の形をした主の身体の各部位について説明しました。
霊性の志向者は、知性の媒体を介して、この宇宙普遍相に対してマインドを整え、集中させます。この普遍的な姿を除いては、この世界には何も存在しません。

至高の主は、すべての存在それぞれの中に、自己(アートマ)の形として存在しています。各存在の中に座って、精神的な活動の媒体を通して、この世界全体を知覚し経験するのは、主です!

夢の中で、人はさまざまな形で現れる自分自身を見ています。しかし夢の世界では、夢を見ている人以外は実在しません。同様に、この世界でも、至高の主以外は実在しないのです。主ではない存在、もしくは、もう一人の主という存在は、実在しません。

この理由のために、志向者は、至高の主のことを至福の人格化された姿と捉えて奉仕すべきです。志向者は、目に見える世界に関連した事柄に大いに注意を払うべきであり、それらに執着すべきではないです。これは、物質的対象物への執着により志向者たちが、下方へ引きずり落とされるからです。

これで第二編の第一章が終わりです。次は第二章です。

第二編 第二章

第二章では、著名な聖者(ヨーギ)によって示された安定した深い集中(ダーラナ)について説明されます。即時的な解脱(サドヨ・ムクティ)と進歩的な解脱(クラマ・ムクテ)も定義されます。

第一章では、パリクシットの質問に答えて、聖仙シュカは最高の主の普遍的な形を説明しました。聖仙は、アシュタンガ・ヨーガの実践を通じて、普遍的な姿に向けた一意専心を発展させることで、解脱が達成させられると述べられました。第二章では、ヨーガに関連したより多くの話題を説明します。

「王よ!宇宙の創造以前の時代、主ブラフマーはこの普遍的な姿への認識を失いました。上記の節で説明した通り、普遍的な姿(ヴィラート・ルーパ)を深く熟考しました。この瞑想に喜びを感じて、至高の主は彼に普遍的な姿の知識を取り戻させました。ブラフマーは無限なる最高の知識を得ました。創造に関する完全な知識を得て、彼はこの宇宙を以前の創造世界に存在したのとまったく同じ方法で創造しました。

音の姿に他ならないヴェーダは、行為を為しその結果(カルマ・パラ)を獲得する方法を説明しています。また、スヴァルガや他の天界についても教えています。しかし、真実は、これらの天空の世界(天国)は想像上の理論的なものであり、実在の存在ではないということです。それにもかかわらず、人間のマインドは、一時的な存在である天界に永遠に思考を巡らせます。

霊的無知(アジュニャーナ)に囚われている個人は、現世と来世の快適さを強く望みます。これらの欲望のために、実体のない想像上の世界を常に往来します。言い換えると、繰り返される生と死というサイクルに閉じ込められて、個人は最高真理の本質を忘れてしまい、ゆえにそれを獲得することができません。

細心の注意を払って次の話を聴いてください。必要に応じて何度も耳を傾けて把握するようにしてください。
永遠のもの(ニティヤ)と一時的なもの(アニティヤ)の識別能力を持つ志向者は、身体を維持するために必要なぶんだけ、想像的な世俗に属する快適さを取り入れるべきです。

このように必要最低限なものを手に入れる時でさえ、欲望や愛着を持ってはいけません。

最小限の必需品の助けがなくても体を維持することができる人は、それらを完全に慎む必要があります。言い換えれば、それらの助けなしに体を維持できる場合、最低限の生活必需品ですら求めるべきではありません。

身の回りにあるものだけで事足りるなら、さらなる快適さを求めるべきではありません。言い換えれば、余分な快適さを得るために努力すべきではありません。

人間が地べたで寝る時、なぜベッドとマットレスを探しますか?手を枕として使うことができるとき、枕を使う必要はありますか?食べ物を受け取るお皿の代わりに手のひらが使える時、容器が必要ですか?衣類を作るのに、樹木の皮や葉が利用できるなら、なぜ絹の服が必要ですか?

単に他の生き物を助けるために存在する樹木は、その果実を通じて飢えた生き物を養います。私たちはそのような果物を食べて生きることはできないのですか?川には水があります。飲料水を供給する川が利用できるとき、この水だけで渇きを潤せないのでしょうか。山の洞窟に住んではならないという法律はありますか?喜んでその洞窟に住んでいいのです。

至高の主は、主に完全に身を委ねた人を常に保護します。 主だけに祈り、身を委ねるだけでは不十分ですか? 過剰の富のために虚栄心で目が閉ざされている人たちは、偉大なマハトマとジニャーニ(英知を持つ人)に仕えることができますか。

不滅、永遠の主シュリハリは、「自己」という形ですべての存在物のハートに存在しています! 知識が主の姿です! 主は唯一の実在です!主はすべての存在の中に存在する自己(アートマ)であるので、あらゆる存在に愛を持っています。

霊的な志願者は、解脱を探求しながら、上記で説明した方法で離欲(ヴァイラーギャ)を実践すべきです。 至高の主について永遠に考え、そこから至福を得て、主のみに永遠に奉仕をするように努力すべきです。

ナーラーヤナ!ナーラーヤナ!

続く

PAGE TOP