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シュリーマド・バーガヴァタム 第88話

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主ブラフマーは続けました。

「シュリハリよ、私は「あなた」の粗大的姿と微細的姿を知りたいのです。蜘蛛が巣を作り、再びそれを回収するように、揺るぎない意志で、宇宙の姿として「あなた」は現れました。あなたは、幻力(マーヤ・シャクティ)に支えられ、二十五の原則に従い、無数の宇宙を創造しました。あなたはそれらを創造し、維持し、再び自身に吸収します。宇宙の姿として現れ、「あなた」はその中で遊戯します。どうかその「あなた」の普遍的姿に関する知識を私に与えてください。至高の主よ、「あなた」の命令に従えば、私は何の障害もなく創造が行えるはずです。また、このように創造に従事している私が創造された世界から何も束縛を受けないように護ってください。パラメーシュワラよ!あなたは私にとって最愛の世界の至福を祈る人です。あなたは私を友人のように敬愛してくれます。私は汚れのないマインドでそれを求め、様々な生き物の創造に従事すべきです!私は無数の生き物の創造に取り組んでいますが、私自身は誕生の束縛から解放されるでしょうか?どうか私が一個の切り離された存在であるという高慢からずっと自由でありますように」

私たちが話しているこの論題は、バーガヴァタムで最も重要な論題のひとつです。それはチャトゥシュローキ・バーガヴァータムとして知られています。 四つの詩句を用いて、主シュリ・ハリはバーガヴァタムの本質すべてについて主ブラフマーに伝授しました。

主ブラフマーの祈りを聞いて、主シュリ・ハリは次のように答えました。

「ブラフマーよ!献身的な経験の気持ちで、私があなたに伝えようとしている至高の知識とサーダナ(霊性修行)の方法を注意深く聴いてください。私があなたに教えようとしていることは、最も秘密の知識です。

Yāvān ahaṁ yathā-bhāvo yad-rūpa-guṇa-karmakaḥ
Tathaiva tattva-vijñānam astu te mad-anugrahāt
私であるものの全て、つまり私の姿、私の存在、私の本性、私の特質、私の行動は、私の恩寵により、それに到達するでしょう!どうかあなたが事物についての真の知識を得ますように。

Aham evāsam evāgre nānyad yat sad-asat param
Paścād ahaṁ yad etac ca yo’vaśiṣyeta so’smy aham
創造以前には私しか存在していません。つまり私以外には何も存在しません。創造以前には、この粗大的姿も、微細的姿も、その原因となる要素も存在しませんでした。創造以降でさえ、人の目で見える可視的世界はすべて私以外の何ものでもありません。破壊後に残されるであろうものもまた私そのものです」

つまり、サムサーラ(世俗的束縛)全体の破壊が終わった後に残されるものも、至高の主ということです。世俗的な束縛や生死の繰り返しと呼ばれるこの網は、「彼」のマーヤです。破壊の後、至高の主だけが残ります!

Re ‘terthaṁ yat pratīyeta na pratīyeta cātmani
Tad vidyād ātmano māyāṁ yathābhāso yathā tamaḥ

「宙に浮く二つめの月などという幻想物は根拠もなく存在してもいません。しかし、それらは実際に存在するかのように見えることがあります。しかしラーフのように存在しているが目に見えないものもあります。これらすべてが私の幻想的なエネルギー(マーヤ)に過ぎないことを理解しなさい。

Yathā mahānti bhūtāni bhūteṣūccāvaceṣv anu
Praviṣṭāny apraviṣṭāni tathā teṣu na teṣv aham
「土」などの五大元素は、創造物のなかに溶け込んでいるに見えますが、実際には中に入っているわけではなく、違う位置状態にいるだけです。同様に、私はすべての中に存在しますが、それと同時に私はすべての外にも存在します」

私たちを理解させるために、至高の主は創造された世界に入ったと言われます。しかし、実際は至高の主だけが唯一実在の存在です。したがって、彼が創造物に入ったと言うのは厳密には間違っています。これが上の詩句で言われていることです。仮に一リットルのヨーグルトにさらに二リットルを加えた場合、最終的な容量は二リットルになります。この論理で言うと、もし主が創造された世界に入り込んだというなら、どうなっていますか?ですので、主が創造された世界に入り込むとは解釈すべきではありません。そのように説明することは、この詩句の示唆に反しているのです。ここに容器があります。容器の内の空間(ガターカーシャ)があります。容器が壊れたとき、その内部の空間はどうなりますか?空間は存在し続けます。容器と呼ばれる外側の覆いは壊れました。ただ、それだけです。容器の内側の空間は全体の空間(マハーカーシャ)には、入り込みません。このように、神についても同じことが言えます。理解のために、容器の内の空間(ガターカーシャ)は全体の空間(マハーカーシャ)として扱われました。この違いを明確にして理解してください。

Etāvad eva jijñāsyaṁ tattva-jijñāsunātmanaḥ
Anvaya-vyatirekābhyāṁ yat syāt sarvatra sarvadā

「いつ何時も、どんな状況であっても、どの場所であっても、すべての物体の原因であり、しかもそれらの物体から明確に分離しているのが、「自己」(アートマ)です」

「自己」を理解しようとする人は、上記のことを理解するだけで十分です。これでチャトゥシュローキ・バーガヴァータムについての話は終わりです。

シュリ・ハリ・クリシュナ!

続く

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