ブログ

シュリーマド・バーガヴァタム 第95話

カテゴリー :

オーム・トリヴィクラマヤ・ナマハ

ウッダヴァは続けました。

「海で泳いでいる魚が月の存在を認識していないのと同様に、ヤドゥ一族は「彼」の神性を認識できなかったために欺かれました。本能的にヤーダヴァたちは相手の感性や感情を瞬時に悟りました。しかしヤーダヴァたちはシュリ・クリシュナと生活し、寝食を共にしましたが、「彼」がすべての存在(人間)にとって唯一の避難場所である至高の主であることを認識できませんでした。

彼らは自分たちの仲間内では「彼」が最も優れていることは認めていました。しかし、「彼」が至高のパラマートマに他ならないとまでは理解できませんでした。

至高の主による幻影のせいで、ヤーダヴァ一族はこの幻影世界が現実のものであると勘違いしていました。その結果、彼らはシュリ・クリシュナの偉大さに重きを置かなかったのです。

こうした状況において、シシュパーラや他の者のような、明らかな理由もなく、クリシュナに対する敵意を増した愚かな者たちについては、何が言えるでしょうか?彼らは非常に軽蔑的な方法で「彼」について話しました。悪口は、真の帰依者を惑わせることはできません。これは、真の帰依者たちが、シュリ・クリシュナは万物に行き渡った永遠の「自己」であるシュリ・マハーヴィシュヌに他ならないという強い信念を持って生きているからです。

厳しい苦行を行った後でさえも、至高の主のビジョンを持つことは不可能です。主は、その純粋な慈悲によって、まったく苦行を行わない人々でさえも、「彼」のその存在により、彼らに恩寵を与えます。

三つの世界の美しさは、「彼」の神聖な美しさを前にすると消えていきます!彼と合ってきた幸運な人たちのうち何人かは、この美しい姿と出会うことができたというダルシャンに満足せずに、記憶の内に「彼」の姿を留め、常にそれを思い続けました。。すべての帰依者がこのように神を崇拝したとき、主は、地上からその身を引きました。

超越的な力を地上の生活者に示すことを決心した至高の主は、人間の楽しみを嗜むのに適した姿をとりました。吉祥さはこの神性なる姿において最高潮に達します!至高の主は、自身の素晴らしく輝かしい姿を見て驚きました!彼の手足から出る光がその装飾を照らしています!

ユディシュティラのラージャスヤ・ヤグナを執り行う最中に、集まってきた三界のすべての人々は、神聖な主のその肉体的な特徴の美しさと輝きを目の当たりにしてひどく驚嘆しました。彼らは、デーヴァタと人間を創造する主ブラフマーの全知識が、完全にクリシュナの粗大的姿において最高潮に達したと考えました!

その魅力的な笑顔、優しい愛情、笑いを誘う言葉、そして遊び心のある眼差しをもってして、「彼」はヴリンダーヴァンのゴーピカたちを楽しませました。これによって、彼女たちの目だけでなく彼女たちの心もまた彼に深く定められました。彼女たちは家事すら不完全なままにして、シュリ・クリシュナの元へ出向き、「彼」を見つめ続けたものでした。

神の主には、平和的なもの(シャーンタ)と凶暴なもの(ゴラ)の二つの姿があります。平和で高貴な存在は彼の平和的な姿であり、一方で、悪魔は彼の凶暴な姿です。主は、凶暴な姿が平和な姿をいじめていることに耐え難いと思いました。高貴な魂への思いやりが彼の中で高まりました。

「彼」に誕生はないというのが真実です!彼はすべての因果を背後から支える根本原理です。これが至高の真実ですが、高貴な人々のために、彼は彼の一側面であるバララーマと一緒に地上に転生することを決心しました。薪が起こす火のように、彼は母なるデーヴァキから生まれました。

本質的に出生のない主がヴァスデーヴァの家に生まれました。これは「彼」が示した遊び心のある娯楽でした。まるで「彼」がマトゥラで彼の敵を恐れているかのようにふりをして、ナンダ・ゴクラに行き、そこに住みました。彼の強さは言いようのないものですが、怖くて敵から逃げ出したかのように振舞いました。こういった主の驚くべき遊び心のある主の娯楽を思い出すと、私の心は悲しみに沈みます。

カンサを殺害した後、クリシュナは両親の足に敬意を払いながら、デーヴァキ・ヴァスデーヴァに謙虚に言いました。『凶暴なカンサが怖くなり、私はあなたに奉仕することができませんでした。私の過ちをお許しください。私を清めてください』

その言葉を思い出して私の心は悲しみに沈んでいます。

Ko vā amuṣyāṅghri-saroja-reṇuṁ vismartum īśīta pumān vijighran
Yo visphurad-bhrū-viṭapena bhūmer bhāraṁ kṛtāntena tiraścakāra

おそろしい形相で眉毛を動かすだけで、大地に負担をかけていた人々すべてを死に至らしめる、主の蓮の御足の香りを一度嗅いだならば、誰が主を忘れるでしょう?

ラージャスヤ・ヤグニャの開催中、シシュパーラがシュリ・クリシュナを軽蔑したので、最終的にはクリシュナは「彼」を殺しました。みんなが見ている前で、シシュパーラの中の「自己」はクリシュナに溶け込みました。知識を通して霊的な志願者は、主に溶け込むように努めます。ヨーギ(ヨーガの実践者)と霊的実践者は、主から離れる悲しみに耐えることができません。

クルクシェトラの戦争では、多くの勇敢な兵士たちが、主の蓮華の顔をしっかりと注視しながら、勇敢に戦い続けました。彼らはアルジュナの強力な矢に屈し、英雄の死を遂げました。彼ら全員がその主の最高の住まいに達したのです!

シュリ・クリシュナに匹敵する人は誰もいません!彼より優れている者は誰もいません!彼はその三つの構成要素(トリグナ)、そして自然(プラクリティ)の主です。彼は存在の三つの次元すべての主です。彼は自らを照らすものです。彼は永遠に至福です。彼が成し遂げるべき未完のものはありません。様々な宇宙の主が、彼に敬意を表します。彼らは彼の前で頭の王冠が足に触れるほど頭を下げ、従順さを示します。

ヴィドゥラよ!純粋にクリシュナの恩寵によってウグラセナは王として戴冠されたのです。ウグラセナが王座に着席した時、クリシュナは謙虚に彼のそばに立ち、彼に敬意をもって「私の王よ」と呼びかけました。彼がこのように謙虚な家来のように振る舞ったとき、以上の実例をすべて思い出してください。彼の行為すべてを通して、シュリ・クリシュナは永遠に正義の規則(ダルマ)を世界に宣べ伝えます。これはその一例です」

オーム・ヴァーマナーヤ・ナマハー

続く

PAGE TOP