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シュリーマド・バーガヴァタム 第104話

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プルショッタマーヤ・ナマハ

まるで我々は、ヴィシュヴァルーパ(普遍的な姿)に関して同じ説明を何度も繰り返しているようにも思えますが、実際にはそうではありません。以前の説明では、体の各部に関する詳細な説明はなされませんでした。それらの働き(行動)は説明されていません。四肢については、その主宰神のみが言及され、我々の各感覚器の機能は、それら主宰神に起因すると述べられました。今から説明することは、次の段階に入っていきます。主題はより深くなり、より詳細になっています。慎重に耳を傾け、それぞれの感覚器の守護神について理解してください。

「眼が普遍的な姿に現れたとき、世界の守護神である太陽は、彼の一部(アムシャ)である「視覚器官」と共にすぐにそれに入りました。視覚によって、個人(個々の存在)は物体の形を知覚することができます(単語アムシャは、微かな側面、一部分、または一断片を意味します)。

肌が普遍的な形に現れました。すぐさま、世界の守護神である風は、彼の一部分であるトヴァク、「触覚器官」と共にそれに入りました。私たちに触感を与えるのはこのトヴァク(表皮)です。 トヴァクがないと、肌は触覚を失います。私たちが見ることができるのは肌です。見ることができないのは、その奥深くにあり、そのおかげで見て、聞いて、感じて、嗅ぐなどができるこれらの感覚器官です。その見えないエネルギーはパラマートマです!

耳が普遍的な姿に現れたとき、全ての方角の守護神たちが「聴覚器官」と共に耳に入りました。聴覚のおかげで、各人は音を聴く能力を獲得し、それを通して知識を得ます。この器官が機能しなくなると、その人は聴覚障害者になります。外的な耳は一見完璧な形を持ち、美しくすらありますが、内的な耳が正しく機能しない限り、音は聞こえません。方角の守護神(ディク・デーヴァタ)が聴覚の器官と共に耳に入りました。この聴覚器官の存在により、我々は音が聞こえます。

普遍的な姿に、チャルマとして呼ばれる内側の皮膚が現れました。すぐにオーシャディというすべての守護神が彼らの一部である「体毛」と共にそれに入りました。体毛を引っ張ると、ヒリヒリする、または痛みを伴う感覚があります。この体毛を通して、個人はかゆみを感じます。

性器が普遍的な姿に現れました。そして、プラジャパティ(創造者)は彼の一部分(アムシャ)である「精液」と共にそれに入りました。これにより、個人は快楽を経験します。

肛門が普遍的な姿に現れました。世界の守護神であるミトラは、彼の一部分である「排泄器官」と共にそれに入りました。これにより、個人は排泄の過程を完了することができます。これらの神がいなければ、人は、この過程を完了することができなかったでしょう。

両手が普遍的な姿に現れました。天界の主インドラが、「行為を為すために必要な力」と共に両手に入りました。目に見える手がエネルギーを欠いているなら、何の役に立ちますか?両手は主の存在によってのみ活気づけられます。これらの手の助けを借りて、個人は生活を営んでいます。

両脚が普遍的な姿に現われたとき、宇宙の主であるヴィシュヌが、彼の一部である「運動エネルギー」と共に両脚に入りました。この運動エネルギーがなければ、人は身動きがとれないでしょう。この部位(器官)の助けを借りて、人(存在)は自らの目的地に到達することができます。

知性が普遍的な形に現れました。主ブラフマーが、彼の一部分である「知性のエネルギー」と共にそれに入りました。この知性を使って、個人は物事や物体について理解することができます。それがなければ人は何も理解できなかったでしょう。

心が普遍的な姿に現れたとき、月が彼の一部分である「マインド」と共にそれに入りました。マインドの助けを借りて、人はすべての変容を経験します。例えば、たとえ体がその人のものではないとしても怪我の痛みに苦しむことがあります。それらすべてを引き起こすのがマインドです。足を怪我したとき、怪我が直接痛みとなるわけではありません。マインドを通じて、痛みとなるのです。

アハムカーラ(自意識の感覚)が普遍的な姿に現れました。この偽りの自我の主であるルドラは、「行動のエネルギー」という彼の一部分と共にそれに入りました。この行動のエネルギーの助けを借りて、人は彼の活動を完了することができます」

以上の説明は、深い主題ですので、ゆっくりとそして少しずつ理解していくことになるでしょう。一度に理解することはできません。熱心に取り組んでください。

アドクシャジャーヤ・ナマハ

続く

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