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シュリーマド・バーガヴァタム 第128話

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サナカと彼の兄弟は続けました。

「主よ、私たちの父ブラフマーはあなたの姿に隠された秘密を詳細に説明してくれました。その瞬間、あなたは耳の穴を通り抜けて私たちの心に入りました。それ以降、あなたは私たちの知性にしっかりととどまっています。主よ、今日、あなたは善良さと純粋さ(サットヴァ)の特質で構成されるあなたの姿を私たちに見せてくださり、私たちに大きな喜びをもたらしました。あなたは私たちを十分に祝福してくださいました。

シャーストラ(経典)は純粋な特質に満ちたあなたの姿を称賛しますが、私たちの意見では、自己の知識(アートマ・タットヴァ)が最高と考えています。自我の意識(アハンカーラ)と好き嫌い(ラーガドヴェーシャ)の感情を脇に置いて集中してあなたを熟考する帰依者は、あなたの祝福により、最高レベルのバクティ・ヨガ(献身の道)に定まります。このため、彼らの心の中で自己の知識を視覚化して体験することができるでしょう。

シュリハリよ!この創造物に永続的なものと非永続的なものを区別する知識(ニトヤ・アニトヤ・フゲウ・ヴィヴェーカム)を持っているあなたの帰依者はあなたの御足に完全にひれ伏し、そこに避難を求めます。あなたの神の栄光を称賛する物語に含まれる味を嗜み尽くすと、彼らはあなたの祝福によってのみ得られる解脱さえも気にしません。

これは事実であり、完全に時間の支配下にあり、あなたの眉の動きによって発令された指示に従うだけの天国の主であるインドラのような、あまり重要でない地位のものついては何と言えるでしょうか?言うまでもなく、純粋な帰依者はそれらを求めません。

純粋な帰依者はあなただけを求めます。あなた以外に彼らが望むものは何もありません。彼らはあなたのダルシャン(謁見)を持ちたいだけです。このダルシャン(謁見)の前では、天国の主であるインドラの地位さえも彼らを魅了しません。主よ、この理由のために、私たちはあなたのダルシャン(謁見)を持つこと以上に偉大なものはないと述べています。

もし蜂に似た私たちのマインドが、蓮華の御足の近くで遊ぶことに専念しているなら、もし私たちの言葉が、トゥルシーの葉のように、あなたの蓮華の御足だけに舞い落ちる時のようにいつも美しいのなら、もし耳の穴があなたの神の物語を聴くことに専念しているなら、主よ、たとえ、私たちが罪深い行為に対する罰として地獄で生まれたとしても、私たちは異議を唱えません。

純粋な名声を持つ主よ!あなたはこの姿で私たちの前に現れました。あなたは私たちに自分自身を見えるようにしました。このダルシャン(謁見)のおかげで、私たちの眼は無限の至福を得ています。マインドを制御できない人は、あなたを決して理解することはできません。これは事実です。至高の主よ、あなたに私たちは従順を申し出ます」

これで、第十五章を終了します。

第三編十六章

この章では、至高の主によるサナカと他の聖人への訓告と慰め、および門番のジャヤとヴィジャヤのヴァイクンタからの追放について説明します。

ブラフマーはデーヴァタたち(神々)への話を続けました。「ヴァイクンタの主シュリハリは、自己の知識の指標であるサナカや他の聖仙たちによる祈りを聴いてとても喜びました。完全に純粋な知性において自己として輝く彼は彼らに向かって、主シュリハリは次のように述べました。

「おお聖仙よ!あなたによって呪われた二人の門番ジャヤとヴィジャヤは私の僕です。彼らはあなたを侮辱するという重大な間違いを犯しました。この間違いにより、彼らは私も侮辱したことになります。あなたはデーヴァタたちの化身です。デーヴァタを嘲笑することは、私を嘲笑することになります。私は誠実な帰依者であるあなた方が彼らに与えた罰に異論はありません。

おお聖仙よ!落ち着いてください。これは、私がブラフマーを知る人(ブラフマ・ヴェッタ、自己実現した存在)を神だと考えているからです。私はそのような存在を最も尊敬しています。私の僕がそのような至高の存在を侮辱するなら、私は彼らを侮辱したと言えます。

世間一般では、僕の過ちに対して、主人が責任を負います。ハンセン病の痕跡が美しい肌を台無しにするのと同じように、召使の間違いは主人の評判を台無しにします。

この世界では、私の栄光を聴く過程で、私の純粋な評判という池に浸る人は、たとえ彼がキラータカ(狩猟者または森林部族)であっても、即座に浄化されます。あなたのような偉大な聖人たちのおかげで、私は純粋で永遠の名声を得ました。それゆえ、あなたがたに反抗していることが分かったなら、私でさえも自らの手で断ち切ることを躊躇しません。

あなたがたのような自己実現した人間の蓮華の御足に仕えることによってのみ、私は純粋になりました。あなたがたの聖なる御足の埃は私を清め、私を完全に純粋にしました。ここで、そのような聖人の蓮華の御足に奉仕することによって、彼(主)の御足は、彼に仕える他の帰依者を浄化するために必要な純度を得たと理解されるべきです。そのような聖人の蓮華の御足に奉仕することで、私(主)は全世界を浄化する資格を得ました。

女神ラクシュミーの慈悲深い視線が彼らに降りかかることを求めて、インドラと他のデーヴァタたちは体に鞭打つような苦行、儀式、規律を引き受けます。そのようなラクシュミーは、私が彼女に執着していなくても、私の側を離れることはありません。その理由は、あなたのような聖人に仕えることで得た純粋な名声があるからです。

ホーマの炎の姿として、私はヤグニャを実施する者によってギーと一緒に提供される薪や他の材料を受け入れます。同様に、ギーを混ぜた食べ物の一部は、自分の行動の見返りを全く期待していない自己実現者によって消費され、私にも届きます。しかし、私は自己実現された存在がその口を通して私に提供される食物を味わうのと同様には、ホーマの火を通して作られたヤグナの供物を味わいません。

自己実現されたジニャーニ(ブラフマーの知識人)に提供される食べ物が私のビクシャ(食事)です!そのような自己実現した人に食べ物を提供すること(アンナダーナ)によって私が経験する喜びは他に類を見ません。

私の幻力は果てしなく、その評判は比類なきものです。私の足元にあるガンジス河は、それを頭に抱いているシヴァを含め創造物の全員を浄化します。その時でさえ、至高の主である私は、私の帰依者の御足から埃を取り除き、そこに私の冠を据え置きます。彼らの御足の埃は、シヴァを含め創造物の全員を浄化します。

こういった理由から、誰もが偉大な聖人とブラフミンに関する事柄において最大限の謹慎と忍耐を示すべきです。自己実現した人、孤児(無力な人間)、そして牛は私の身体の一部です。私と区別はありません」

マドゥスーダナーヤ・ナマハ

続く

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