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ラリタ・サハスラナーマ31-40の意味

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31. Kanakāṅgada-keyūra-kamanīya-bhujanvitā カナカーンガダ・ケーユーラ・カマニーヤ・ブジャンヴィター

意味)彼女の腕は黄金の腕輪アンガダとケーユーラで飾れています。これらの腕輪は彼女の優雅さと女性的な美しさを際立たせます。

腕輪は決意とダルマ(正義の行い)を向上させる強さを表します。ダルマの設立者であるデーヴァタたち(神々)は、彼女の腕輪だと言うことができます。ダルマを向上させ守ることについて人間に霊感を与えるのはデーヴァタたち(神々)の恩寵です。
神(デーヴァタ)への礼拝の背後にある真髄・目的は、良い思いと良い意思をつくりだすことです。ダルマを強め、全ての人を高めようとする肯定的態度を培うことによって社会に福利がもたらされます。

32. Ratna-graiveya-cintāka-lola-muktā-palānvitā ラトナ・グライヴェーヤ・チンターカ・ローラ・ムクター・パラーンヴィター

意味)彼女は宝石や真珠でできた精巧な鎖(ハーラ)を体に巻いています。

真珠(ムトゥヤ)は心を象徴し、心を統御するために使用されます。それは心に純粋さを与えます。宝石に関する経典(ラトナ・シャーストラ)と占星学の経典(ジョーティシュ・シャーストラ)では、月による困苦(チャンドラ・グラハ・ドーシャ)を持つ人は真珠を身に着けるべきとしています。
真珠を身に着けることによって、信愛を持つ人に神聖なる母が純粋な心を与え、ヨーガを進展させます。信愛者が、デーヴィの像を見るときに、彼女のヴィシュッダー・チャクラである喉に心を定めると、純粋な心を授かり緊張から解放される祝福があります。

33. Kāmeśvara-premaratna-maṇi-pratipaṇa-stanī カーメーシュヴァラ・プレーマラトナ・マニ・プラティパナ・スタニー

意味)彼女は主カーメーシュヴァラの愛と引き換えにその胸を与えました。

これは、唯一なる至高の存在である至高のパラブラフマーが、その存在を把握しやすくするように二つに分離した、つまり夫と妻、主カーメーシュワラと女神カーメーシュワリになったのだと明瞭に理解すべきです。
カ―メ―シュワラは貴重な宝石(ラトナ)であり、聖なる母は彼女の胸を与えました。この名には深い意義が隠されています。
乳房は他の存在を成長させ支えるのに必要であるものを暗に示します。それらはこの創造世界を維持する彼女の仕事を表現しています。彼の愛に基づき、彼女は創造を始め、そして次に全ての存在に食べ物を供給して創造を支えます。

洪水、飢饉、さまざまな災害、あるいは人口の急増にもかかわらず、この地球は食べ物に満ちています。何兆年の間、この地上はその時代の必要性に応じて十分な食べ物で全ての住者を養っています。これはすべて、「彼女」が支えていることによって起こっています。
『マハーバーラタ』に聖仙ジャダバラタの素晴らしい話があります。彼は「マドゥカリ」を行っていて家から家へ食事の物乞いで回っていました。彼は女性の足以外はけっして見たことがなく、そのため女性がどのような外観をしているか知りませんでした。ある日、家にいた女性が食事を提供しようとしたとき、彼はうっかりその女性の顔と体を見てしまいました。彼は女性の体が自分と異なっていることに気づき、後ずさりしました。ジャダバラタは純粋な心の持ち主で、悪い思いはありませんでした。彼は無邪気に、「なぜあなたの体は私の体と違っているのですか?」と尋ねました。

ショックを受けたその女性は走っていき義理の母にこのことを報告しました。年配の女性は成熟した理解力を持っていて、外で待っている乞食はおそらく本当にそのことを疑問に思ったのだろうと悟りました。彼女が一人で外に出ると、聖仙が同じ質問をしました。女性は少し考えて言いました。「女性の体は神によってこのような形に作られています。そのためにやがて生まれてくる赤ん坊に栄養を与えることができるのです」
この答えが聖仙に深い変容をもたらしました。彼は考えました。「もし至高の母がまだ地上に生まれていない存在を養うのならば、すでに彼女が創造した者も養うはずではないだろうか?」
彼は乞食の皿を置いたままにして、静かに歩き去り、森へ入って瞑想をしました。彼は至高の母が食べ物を与えてくれると自信を持っていました。数日が経ち、その土地の王が偶然にそこを通りかかりました。乞食が何も求めていない姿を見て、王は新鮮な果物を持ってきて、彼の横に置きました。王がその乞食に給仕している姿を見ていた村人たちは、全員、彼のことを偉大な修道者と思い、毎日彼に食事を供えるようになりました。このようにして至高の母は彼に食べ物を与えました。

34. Nābhyālavāla-romāli-latā-phala-kucadvayā ナービャーラヴァーラ・ローマーリ・ラター・パラ・クチャドゥヴァヤー

意味)彼女の臍からツル植物(髪の毛)が生じ、胸はその二つの果実です。

彼女の臍と腰はとてもほっそりと痩せていて、細長い髪の毛、ツル植物のツルのようです。この細いツルから果物のような胸が生じます。
ヨーガにおいて、臍は一つの焦点であり、この名によってその焦点の重要性を際立たせています。

35. Lakṣya-roma-latādhāratā-samunneya-madhyamā ラクシャ・ローマ・ラターダーラター・サムンネーヤ・マディヤマー
(この行全体が一つの名前であり、止めずに発音するべき。アーダーラターは一つの言葉であるため、ラターダーラ、タ・サムンネーヤなどと分けてはいけない)

意味)彼女の臍から生じた髪の毛のように細長いツルの存在によってのみ(前述の名によって説明されたように)、彼女の腰は理解することができます。

彼女の腰はとても細く、微細です。彼女の腰は長い黒髪として比喩することができます。これは実際には、彼女が時間の現われ(カーラ・スワルーパム)であることを示します。彼女は永遠です。
彼女は永遠に至高の(ウンナタ)状態です。しかし、ここでは彼女の髪のように細い腰(体の中間部分)を描写することを通して、私たちの利益のためにマディヤマ(中間、始まりと終わりの間)の形をとったのだと理解するべきです。

36. Stanabhāra-dalanmadhya-paṭṭabandha-valitrayā スタナバーラ・ダランマディヤ・パッタバンダ・ヴァリトラヤ

意味)三重の腰巻が彼女のお腹に巻かれていて、彼女の胸の重さで腰が壊れてしまわないように支えています。

三重の腰巻は三つのヴェーダ(トライェーはヴェーダの別名)を表します。言い換えるならば、彼女は自身の腰巻としてヴェーダそのものを保持しています。

37. Arunaruna-kausumbha-vastra-bhāsvat-katītatī アルナールナ・カスムバ・ヴァストラ・バースヴァト・カティータティー

意味)彼女のサリーは深紅の色で、彼女の壮大で優雅な姿をさらなるものにしています。

ここで「アルナールナ」と、アルナーが二回繰り返され、サリーの色の深さを際立たせています。深紅色「アルナールナ」は日の出と日没の時間のことでもあります。赤は彼女の慈悲と愛を示します。
(「アルナー」の深い意義については瞑想のための詩句で言及されている)

38. Ratna-kinkinikā-ramya-raśanā-dāma-bhūśitā ラトナ・キンキニカー・ラムヤ・ラシャナー・ダーマ・ブーシター

意味)彼女の腰のベルトにはダイヤモンドや希少な宝石(ラトナ)が豊富に吊るされていて、彼女の神性な輝きを増しています。音楽的な音「キンキニ」がベルトから響きます。

「キンキニ」の語は、鳥の鳴き声、渓谷の谷から滝が落ちる音などの自然の音楽的な音も表しています。
腰のベルト(オーディヤナ・バンダ)はムーラーダーラの位置にあり、霊的探求者にとって非常に重要なバンダ(秘教的な結び目)です。ウパナヤナ(聖紐式)や結婚式の際にダルバ草でできた紐が腰に巻かれます。この紐に触れるだけで良い健康がもたらされるのに十分な祝福があると言われます。私たちの科学的伝統によるもう一つのものがあります。この科学から生涯にわたって腰に黒い紐(モーラタードゥ)を巻くという、全ての個人に適用される伝統が生まれました。腰の周りのこの結び目は、後の年齢で生じる可能性のある筋肉痛、足の痛み、こむら返りの予防策として機能します。
注)31~38の名は彼女のマディヤマ・クータ(中間部)であり、次からシャクティ・クータに入っていきます。このマディヤマ・クータも十六の音節からなる「ショーダシ・マントラ」の一部となっています。

39. Kāmeśa-jñāta-saubhāgya-mārdavoru-dvayānvita カーメーシャ・ニャータ・サウバーギャ・マールダヴォール・ドゥヴァヤーンヴィタ

意味)彼女の夫であるカーメーシャ(至高のパラマートマ)だけが彼女の腿の柔らかさと美しさを知っています。

これは彼女の貞淑さ(パティヴラタ)を際立たせていて、同時にシヴァとシャクティが実際には一つの存在(アイキャ)であることを再び強調しています。

40. Mānikya-mukutākāra-jānudvaya-virājitā マーニキャ・ムクターカーラ・ジャーヌドゥヴァヤ・ヴィラージター

意味)彼女の膝(ジャヌニ)はルビーで飾られています。

これはルビーと同じくらい強い膝を持っていると理解することができます。これはそのような強い膝を持つための基礎であるヨーガ・アーサナやスーリヤ・ナマスカーラ(太陽礼拝)といったエクササイズの重要性を強調しています。

私たちの聖典は膝や足をけっしてテーブルからぶら下げてはいけないと規定しています。テーブルで食事をすることは、この理由によって禁止されています。重力はエネルギーの流れを下向きにしますが、それにより一定期間、足が弱まります。足を組んで、お腹の方に向けて座るべき理由がここにあります。それは重力の影響に対して反作用的に働くだけではなく、足に強さの流れを戻します。椅子に座っているときは、足に体重がかからないように脚をスツールで支える必要があります。

<続く>

⇒ラリタ・サハスラナーマ目次
※シュリ・スワミジによる『ラリタ・サハスラナーマ』の詠唱アプリはこちらです。
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