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ラリタ・サハスラナーマの名の意味61~70

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61. Sudhā-sāgara-madhyasthā スダー・サーガラ・マディヤスター

意味)彼女は神酒(スダー)の海の中心に住んでいます。

大洋には多くの種類があります。乳海(クシェーラ・サムドラ)や甘い海(砂糖海)のような海について聞きます。神酒の海があり、そこに聖なる母は住まいます。
「アーガラ」は神酒であり、「サーガラ(サ+アーガラ)(海)」は神酒に満ちていることを意味します。スダー(神酒)は至高の知識に触れています。絶え間ない霊性修養によって、霊性志向者はサハスラーラ・チャクラ(頭頂に位置する)へと至り、至高の知識(ジニャーナ)が降りてきます。彼は神酒の海に至ります。この神酒・至福の経験は神性と一つになることを意味します。

ジニャーナは理論で、ヴィグニャーナはその知識の実際的経験です。ヴィグニャーナが完全性をもたらします。
七つの海(サプタ・サムドラ)についてよく耳にします。これらの海はさまざまな界層に存在します。例えば、個人の中、地上に、その他さまざまな世界にあります。それぞれの海は違った色と味があります。二つの海が出合う地点は独特です。二つの色が重なり、なおかつ分かれて見えます。アラハバードでのガンジス川とヤムナ川が合流する地点の近くで、二つの色がそれぞれ分かれて見えるのに対照できます。

第10番目の名「シヴァカーメーシュワラーンカスタ」のシヴァーを除く部分からは、彼女の住まいをトップダウンの手法で明記しています。
今度は彼女の住まいをボトムトップの手法で理解していきましょう。巨大な神酒の海の中に、島(マニ・ドウィーパ)があり、その中に素晴らしい蓮の森があります。その蓮の森の中にカダンバ樹の美しい大庭園があります。その大庭園の中に巨大な街があります。その街にはチンターマニ・グルハという大邸宅があります。その大邸宅のなかで彼女は荘厳な玉座、あるいは揺れ椅子に座り、それはパンチャブラフマーが支えています。彼女は全ての武具を手にし、ヴェーダを詠唱する聖者たちの中で微笑んでいます。

一息一息の中に彼女のこの姿を思い出す者を彼女は存分に祝福します。『ソウンダリヤ・ラハリ』第八詩句の「スダー・シンドル・マディエー」はこの彼女の住まいを表しています。
聖なる母は彼女のチンターマニ・グルハの中の玉座・揺れ椅子に座っています。この椅子は実際私たちの呼吸の呼気と吸気であり、彼女の椅子を揺らしています。その揺れ動きの上に座りながら、彼女は不動でいます。絶対的な信をもって彼女が私たちのサハスラーラに座っていると思って、彼女に祈りを捧げるべきです。

62. Kāmākṣī カーマークシー

この名前には多くの意味があります。
1) 彼女は恩寵と慈悲に満ちた魅力的な目を持ちます。
2) 彼女は見るだけ(アクシ)で帰依者の願望(カーマ)を成就させるので、カーマークシです。
3) シヴァは「カーマ」と言う名を持ちます。シヴァは彼女の目(アクシ)なので、カーマークシです。
カーマークシはカーンチプラム(タミルナドゥにある寺院都市)の主宰神です。

63. Kāmadāyinī カーマダーイニー

意味)彼女は帰依者の全ての願いを成就します。前述の名と同じ意味です。

64. Devarshi-gana- samghāta -stūyamānātma-vaibhavā デーヴァルシ・ガナ・サムガータ・ストゥーヤマーナートマ・ヴァイバヴァー

意味)神々の大集団(ガナ)と聖者たち(デーヴァリシ)が彼女の壮麗さ(ヴァイバヴァ、繁栄)を作詞し歌い、彼女に祈ります。

1) サンガータ(地獄・ナラカ)の苦しみの除去を求めて。
天国と地獄に関する一般的な見方は、身体を放棄した後に至る目に見えない世界というものです。真実は地獄(ナラカ)は身体を持ち生きている間に経験できます。地獄に生きるというのは、激しい苦しみ、悪い思い、悪い知性(ブッディ)、悪い言葉のことです。そのような行為(カルマ)によって、死後は地獄(ナラカ)に行くことになります。

2) 彼女が彼らのアートマ・ヴァイバヴァ(真我の知識)の知識を教えるために。
「アートマ・ヴァイバヴァ」という語には深い意義があります。至高の真実は唯一のアートマ(魂、内なる存在)だけが存在するが、それがたくさんの異なった姿で現れるということです。それはそれぞれの器のなかに存在し、かつ全てに浸透している空間のようです。器が壊れたら、その空間はどうなるでしょうか?器は消えますが、空間はそのまま存在しています。器は空間(アーカーシャ)を覆いますが、空間(アーカーシャ)は、元から存在しています。同様に身体は全てに浸透するアートマを覆っています。身体が放棄されると、アートマが元々あるように残ります。

無執着(ヴァイラーギャ)を得ることへの深く隠された恐怖が、人を真我認識(アートマ・ヴァイバヴァ)の理解と探求から遠ざけています。神に祈るとき、神は私たちの祈りによって何の恩恵を受ける必要がないということを覚えておく必要があります。祈りと礼拝は個人を高めるためにあります。寺院で詩句を詠唱するときは、あなたの知識を見せびらかすためではなく、神にもっと教えてくれるように願って行います。ここで神々が彼女にこの知識を彼らに教えるように嘆願しています。

65. Bhandāsura-vadhodyukta-śakti-senā-samanvitā バンダースラ・ヴァドードュクタ・シャクティ・セーナー・サマンヴィター

意味)エネルギーの軍勢(シャクティ・セーナ)と共に、聖なる母は悪魔バンダースラを破壊する準備ができています。
神々(デーヴァタ)の願いを聞き、四つの腕を持つ聖なる母が火の中から現れました。その刹那、彼女の四本の腕は八本になり、八本は十六本になり、一瞬で千本の腕になりました。彼女は自身の中に深く秘めていたエネルギー(シャクティ)を解放しました。ゴウダパーダ・スワミはさまざまな姿の女神(エネルギー、シャクティ)は彼女から出現し、女神たちは全ての彼女の顕現だと述べています。

バンダはエゴイスト、無知な者、愚か者を意味します。彼は私たちからプラーナ(生命力)を抜き去る悪魔(アスラ)です。生命の目的は真我の知識を得ることです。しかし、この悪魔(アスラ)はこの精神的成長を抑え込み、至高の知識へ至ることを妨げます。そのような状況下で、聖なる母は真の霊的志向者の祈りに応え、帰依者を守るために彼女の軍勢を送ります。

真のウパーサカ(志向者)は瞑想のために座るとき、ヴァジュラ・カヴァチャ(金剛の鎧)をまといます。ハヌマーンはラーマの名をカヴァチャ(鎧)としてまといました。私たちは礼拝のために座るとき、ビージャークシャラ(種字語)によって、このカヴァチャを呼び出します。トゥルシー(ホーリーバジル)が植えられている所、牛が守られている所、家が清潔でランプ(ディーパ)が灯っている所、庭がランゴーリ(幾何学デザイン)で飾られているところには、悪魔たち(ブータ、プレータたち)は攻撃できないと言われています。

66. Sampatkari samaarudha sindhura vraja sevita サムパトカリ・サマールーダ・シンドゥラ・ヴラジャ・セーヴィタ
(シンドゥーラではなくシンドゥラが正しい発音。これは十六のアルファベッド(アクシャラ)の名であり、止めずに一息で発音しなければならない)

この名前には多くの意味があります。

1) サムパトカリ・デーヴィが整列させた美しい象の一隊が、彼女に仕える準備を整え待っています。
富(サムパト)の女神ラクシュミーは、サムパトカリ、ガジャ・ラクシュミー(象のラクシュミー)として知られています。彼女は至高の母への奉仕として、強力な象の一団を整備しています。バドラ・ガジャ(偉大な繁栄の象)たち、微細な世界を動くマダ・ガジャたち、獅子(シンハ)に似ているが、象の鼻を持つムルガ・ガジャたちです。

ガジャ・ラクシュミーにとってジェームカーラ(象のラッパのような鳴き声)は、オームカーラ(原初音オーム)として親しいものです。
ジェームカーラ(ガジャ・ナーダ、象の音)は、私たちのアナーハタ・チャクラ(心臓近くに位置する霊的センター)から来ます。集中して内側に耳を澄ますと、穏やかで平安な音が聞こえます。この内的な音がジェームカーラ(象のラッパのような音、ガジャ・ナーダ)です。私たちのサーダナ(霊性修養)は、耳を外に広げていても、この内なる音だけを聞くことができる段階まで行くべきです。

2) サムパトは、悩ましい心の中の思い、欲望、心配(チンタナ)の集まり(サマローダ)でもあります。それらの攻撃は象の攻撃に比肩します。その強さの前には為す術がありません。しかし、ひとつの思いと別の思いの間に小さな隙間があり、それはヴリッティ・サンディと呼ばれます。その隙間は、ほんの瞬間しかありませんが、とても重要な意味があります。聖なる母への祈りは、この隙間を私たちに認識させ、精神的な打撃から私たちを保護します。

3) この名によって、真の富(サンパト)であるトリプティ(三つ組)が精妙に語られています。
この世界のすべては三つ組でできています。シュリ・チャクラのトップダウンの手法では、ビンドゥ(頂上の点)の次に三角形(トリコーナ)が来ます。これは三つ組であり、創造はここから始まります。世界の全様相が必然的にこの三つ組に収まります。例えば、見られるもの、それを見ようとする見る者、その見るという行為を完成させるサーダナ(霊性修養)は、この三角形に達します。数学を学ぶには三つの構成要素が必須です。学生、学習対象、学習のための努力です。これは別の三つ組です。
慈悲に満ち、限りない愛を持つ聖なる母は、まずは悪魔たちにこの聖なる知識を教えようとします。彼女の計画において、戦争は最後の選択肢です。

67. Ashvaaroodha dhisthitaatsva kotikoti bhiraavrta アシュヴァールーダ・ディスティタータシュヴァ・コーティコーティ・ビラーヴルタ

この名は次のように解釈できます。

1) 彼女は何百万もの馬(コーティ・コーティ・アシュヴァ)が構成する軍勢に囲まれています。この姿から、聖なる母は「アシュワルーダ」と呼ばれます。
この名は、アシュヴァルーダ+アディスタ+アシュヴァ、コーティ、コーティ、ビラーヴルタに分けられます。ヴェーダのシュリ・シュークタムは、次のように女神ラクシュミについて述べています。

Ashva-Puurvaam Ratha-Madhyaam Hastinaada-Prabodhiniim |
Shriyam Deviim-Upahvaye Shriirmaa Devii Jussataam
アシュヴァ・プールヴァーム・ラタ・マディヤーム・ハスティナーダ・プラボーディニム
シュリヤム・デーヴィム・プパハヴァイェー・シュリルマー・デーヴィ・ジュスサターム

この詩句は、彼女は馬にひかれる戦車に座り、象のラッパのような鳴き声によって姿を現すという意味です。

2) 少し深い意味に入ってみましょう。アシュヴァ(馬)はインドリヤ(感覚器官)を意味します。聖なる母は全ての感覚の主であり、それらの上に乗っているのです。何百万もの馬は、彼女が全宇宙の何百万もの生き物の諸感覚(インドリヤ)の主であることを意味しています。

『バガヴァッド・ギーター』の第三章で主クリシュナが述べています。

Indriyani parany ahur indriyebhyah param manah
Manasas tu para buddhiryo buddheh paratas tu sah
インドリヤニ・プラーナイ・アフル・インドリイェーバヤハ・パラム・マナハ
マナサス・トゥ・パラ・ブッデイルヨー・ブッデヘ・パラタス・トゥ・サハ

意味)この身体と呼ばれる戦車において、感覚器官(インドリヤ)は馬です。心(マナス)は馬の手綱です。知性(ブッディ)は心(マナス)より優れ、パラマートマはこの知性(ブッディ)よりも上にあります。

『カタ・ウパニシャッド』は述べています。

ātmānam rathinam viddhi śarīram ratham eva ca
アートマーナム・ラティナム・ヴィッディ・シャリーラム・ラタム・エーヴァ・チャ

意味)諸感覚(インドリヤ)は私たちを良くも悪くもあらゆる方向に素早く連れていく馬に比較できます。

悪い方向に引き落とす力の感覚器官(インドリヤ)は、同時に神の近くへ私たちを引っ張るように方向づけることができます。このように理解し、私たちは感覚を正しい方向に向けるように彼女の恩寵を求めるべきです。

3) 精妙な形でシュリスティ・クラマ(「ラリタ・サハスラナーマの紹介」参照、シュリ・チャクラにおけるトップダウンの手法)が説明されています。シュリ・チャクラの頂点と最初の三角形(トリプティ)から降り、アンタルダシャラム(内部の十の三角形グループ)、バヒールダシャラム(外部の十の三角形グループ)が始まります。

68. Cakrarāja-rathārūdha-sarvāyudha-pariśkrtā チャクララージャ・ラタールーダ・サルヴァーユダ・パリシュクルタ

意味)全ての武器を武装し、聖なる母はまばゆく輝く戦車チャクララージャに乗っています。
シュリ・チャクラは、チャクララージャ(チャクラの王[ラージャ]、至高のチャクラ)として知られ、彼女の戦車(ラタ)です。全ての武器を携えてその戦車に乗る姿は、彼女の普遍的な姿を表しています。

数千の武具を携え戦車に乗った彼女の荘厳な姿を見て、デーヴァタ(神々)は、助けの手がここにあり、今にも悪魔が破壊されるだろうとおおいに安堵しました。
武器は神々の聖なるエネルギーを象徴しています。これらの全ての武器を思い出すことは、心の泥を落とし清めるのに重要です。
さらに深い意味に入ると、チャクララージャは私たちの身体です。私たちの身体は霊的発展(サーダナ)のために使われる戦車です。ヴェーダは、ヤジュナ―ユダ・ニジャホーティ、つまりヤグナ(ヴェーダの儀式)と武器(アユダ)が、聖なる火(アフティ)に捧げられる真の捧げものだと宣言しています。

言い換えるならば、ヤグニャ(儀式)を行うことと、私たちの内なる敵(アリシャドヴァルガ)を注意深く打倒することがサーダナ(霊性修養)の進展にとって重要だと言えます。
霊性の志向者は、人生において悪い・邪悪な状況に向き合う出来事があるときに、全てのインドリヤ(感覚器官)を内に引き込む亀に習うべきです。そして状況が清浄になったときに、インドリヤ(感覚器官)を再び出して、日々の行いを続けるべきです。内なる敵を破壊する武器は私たちの中にすでに存在しています。それらを正しく使うことは私たち手に委ねれらています。

69. Geyacakra-rathārūdha-mantrinī-parisevitā ゲーヤチャクラ・ラタールーダ・マントリニー・パリセーヴィター

意味)女神マントリニーは、彼女の戦車ゲーヤチャクラに座り、聖なる母を礼拝し、随行しています。
女神シュヤマラは、マントリニーという名を持っています。彼女は全ヴェーダと全神々へのマントラの主宰神でです。全ての知識を授けるのは彼女です。
ゲーヤは「称賛された、歌われた」を意味し、ガーナ(歌、音楽)と関係しています。ヴィシュッダーチャクラ(喉に位置する)から生まれ、ゲーヤチャクラは実際のところヴィシュッダーチャクラとして理解することができます。
このチャクラは話す力と知識の力(ヴィディヤ・シャクティ)を与えます。これらを降り注ぎながら女神マントリニーは良い思いと良い知性で祝福を与えます。

『チャンディ・サプタシャティ』の詩句のなかで、神々は彼女を称賛しています。

Yaa devi sarva bhutesu vidya rupena na samsthita
Namastasyai namastasyai namastasyai namo namah
ヤー・デーヴィ・サルヴァ・ブーテーシュ・ヴィディヤ・ル―ペーナ・サンスティタ
ナマスタスヤイ・ナマスタスヤイ・ナマスタスヤイ・ナモー・ナマハ

女神マントリーニは知識の姿(ヴィディヤ・ルーパ)を取っています。彼女は全生類の良い思いと良い知性の根源です。彼女は知性(ブッディ)を芽吹かせます。
戦争においては、回顧し、考え、計画することは非常に重要です。「マントリ」は「大臣」という意味です。すなわち賢明な知性を持ち、戦略的に計画をする能力がある人を指します。大臣は戦争を指導します。ここでは女神マントリーニが知性の上に座し、内なる敵との戦いを指導していると言われています。
ゲーヤチャクラはシュリ・チャクラと密接な関係があり、シュリ・チャクラの礼拝(ウパーサナ)にとって重要です。

70. Kiri-chakra-rathārūḍha-danḍanāthā-puraskṛtā キリ・チャクラ・ラタールーダ・ダンダナーター・プラスクルター

意味)女神ダンダナータは彼女の戦車キリチャクラに座り、彼女の軍隊とともに至高の母を取り巻き、その命令を待っています。
女神ヴァーラヒは、杖(ダンダ)を持っているのでダンダナータとして知られています。彼女の顔は、戦車と同じで猪のようです。彼女の戦車もまた猪(ヴァラーハ、キリ)によってひかれています。彼女は聖なる七人の母(サプタ・マートゥルカ)の一人で、悪魔シュンバ、悪魔ニシュンバとの戦いにおいて、至高の母を助けました。彼女はタンジャブルのブルハデーシュワラ寺院の主宰神であり、その地の守護神(クシェートラ・パーラカ)として礼拝されています。

その顔に隠された意義を理解していきましょう。ヴァラーハ(猪)の名は、ヴァラ+アハです。「ヴァラ」は「至高・吉祥」であり、「アハ」は「日」を意味します。したがって、「吉祥の祭日」です。
マハーヴィシュヌの十の化身(ダシャアヴァターラ)において、猪(ヴァラーハ)としての化身は非常に聖なるものです。ヴィシュヌの陸上動物としての最初の化身です(その前の化身は魚[マツヤ]は完全に水の中にあり、亀[クールマ]は両性動物)。陸上動物でありながら、この猪(ヴァラーハ)は、悪魔ヒラニヤクシャを探し、倒すために海深くに潜ることができました。そして水中に沈んでいた大地を引き上げ、元の栄光を取り戻しました。この驚くべき偉業によって、この化身が現れた日は、祝祭・吉祥の日(ヴァラーハ)とされました。そしてこの化身の名自体もヴァラーハでした。

海中に沈んだ大地を引き上げるのはどのように可能になるのでしょうか?水没した大地を隆起させることは、実際には地上に住む人を高めることを意味します。人間は自分たちの習慣や性質を変え、より高いレベルに上昇する力を持っているため、隆起することができます。動物はこの能力を持っていません。
女神ヴァーラヒは帰依者の進歩を阻害する邪悪な力を打ち払い、彼が上昇(隆起)するのを助けます。

続く

⇒ラリタ・サハスラナーマ目次
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