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シュリーマド・バーガヴァタム 第146話

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プルショッタマーヤ・ナマハ

造物主(プラジャーパティ)カルダマは息子の聖仙(マハーリシ)カピラの許可を得て、大喜びで彼を回って礼拝し、森に入って行きました。完全に真我(アートマン)に避難することを求めて、彼は世俗的な束縛(サムサーラ)に対する傾倒を完全に拒否しました。完全な放棄により、彼は火の礼拝の奉仕などの義務からも解放されました。沈黙の誓いを受け入れ、彼は世界中を旅しました。

パラブラフマーは、因果関係(カールヤ・カーラナ)を超越しています。彼は無属性(ニルグナ)です。彼は自ら光を放ち、純粋さ(サットヴァ)、行動(ラジャス)、無知(タマス)の特徴を照らします。純粋で一心集中的な信愛(エーカーンタバクティ)によってのみ、この主を真我(アートマン)として見ることができます。

聖仙カルダマは、至高の主に一意専心し、世界中を旅しました。

彼は自我(アハンカーラ)と執着の感覚が全くありませんでした。また彼は、幸福や悲しみなどの二元性の感覚を超越していました。非二元性の感情で、彼は至高の主が被造物のすべてに浸透しているのを理解することができました。真我のみに専心した彼の知性は、原初の姿にしっかりと定められ、幸福でした。

この創造における真我(アートマ)と非真我(アナートマ)を峻別する知識を持った造物主カルダマは、波のまったくない深遠で穏やかな大海のようでした。

Vāsudeve bhagavati sarva-jñe pratyag-ātmani
Pareṇa bhakti-bhāvena labdhātmā mukta-bandhanaḥ

全知であり、真我の姿としてすべての人の中に存在する至高の主ヴァースデーヴァに対する無限の崇敬の念のために、造物主カルダマの知性(ブッディ)は不動のものとなりました。彼の世俗的な束縛は完全に破壊され、彼はジーヴァン・ムクティ(生きながらにして解放された状態)を達成しました。

Ātmānaṁ sarva-bhūteṣu bhagavantam avasthitam
Apaśyat sarva-bhūtāni bhagavaty api cātmani

彼は至高の主を、あらゆる存在の中に存在する真我(アートマン)として見始めました。さらに、彼は全生類が至高の主の内に居住していることも見出しました。

至高の人格を持つ造物主カルダマは、好き嫌いの感情を持っていませんでした。主は創造全体に浸透していると見ているため、差異化と二元性の感覚から完全に自由でした。彼のマインドは主への絶対的な崇敬の念に満ちていました。彼は解脱と呼ばれる最終段階に到達しました。

これで、第三編第二十四章を終わります。

第三編第二十五章

この章では、デーヴァフティと聖仙カピラの会話について説明します。カピラは母親にバクティ・ヨーガ(信愛のヨーガ)を教えています。

聖仙ショウナカは言いました。

「スータよ!本来は誕生することのない主は、人間に真我の知識(アートマ・タットヴァ)を伝えることを欲しました。このため、彼の幻力(マーヤ・シャクティ)を使い、カピラとして化身し、この宇宙にサーンキヤ・シャーストラと呼ばれる哲学を広めました。

私は至高の主の物語を数え切れないほど聴きました。しかし、人間の中でも最高のヨーギであるカピラ・バガヴァーンの栄光を何度も聴いても、私の感覚は満たされません。

彼の帰依者の願いに応じて、至高の主は粗大な身体(肉体)の形をとり、化身します。聖仙カピラの活動一つ一つが称賛に値します。私はそれらに深く献身的に耳を傾けようとしています。それらについて詳しく説明してください」

聖仙スータは、答えてこう言いました。

「至高の知識(ブラフマ・ヴィディヤ)の獲得を望んでいたヴィドゥラは、全く同じ質問を聖仙マイトレーヤにしました。聖仙マイトレーヤはヴィドゥラの献身に非常に満足しており、次のように答えました。

「父親の造物主カルダマが去った後、カピラ・バガヴァーンは母親デーヴァフティへの親孝行のため、ビンドゥ・サロヴーァラ湖のほとりに住み続けました。

カピラ・マハーリシは、至高の知識の終わりを見ていました。したがって、彼がゆっくりと座って、彼の日常の行為を終わらせたとき、デーヴァフティはブラフマーの予言を思い出しました。彼女はカピラに近づいて言いました。

「至高の化身よ!私の邪悪な感覚(インドリヤ)を満たすために永遠に、私は非常に苦しみ、無知という暗い穴に落ちました。

霊的な無知(アヴィディヤ)を乗り越えることは不可能です。あなたは、この完全な闇を通り抜けることのできる眼です。純粋にあなたの恩寵のために、私はあなたを息子として持つことができました。数え切れないほどの誕生の後、私は今、霊的な知識を得る機会に恵まれています。これが私の最後の誕生です。

Ya ādyo bhagavān puṁsām īśvaro vai bhavān kila
Lokasya tamasāndhasya cakṣuḥ sūrya ivoditaḥ

あなたはすべての原因の原因である至高の主であり、すべての存在の主です。あなたは太陽のように現れ、創造全体を包み込んでいる無知と呼ばれる暗闇を払拭しました。

主よ!あなたが私に自分の身体に対する「私、私のもの」という陶酔を引き起こしたので、それを払拭できるのはあなただけです。

Taṁ tvā gatāhaṁ śaraṇaṁ śaraṇyaṁ
Sva-bhṛtya-saṁsāra-taroḥ kuṭhāram
Jijñāsayāhaṁ prakṛteḥ pūruṣasya
Namāmi sad-dharma-vidāṁ variṣṭham

あなたは完全にひれ伏した帰依者の世俗的な束縛(サムサーラ)と呼ばれる木を細断する斧です。主よ、私はあなたの加護を求めます。根本原質・真我(プラクリティ・プルシャ)が本来はどのような姿なのかを知りたいです。あなたは、解放に関する知識(モクシャ・ダルマ)を持っている人たちの中で一番です。そのような主に、礼拝いたします」

「カピラ」とは、感覚を完全に支配した高貴な存在によって得られた果実です!彼は母親の祈りを聴きました。彼女の純粋な祈りには、人間の解放への欲望を作り出す力がありました。このため、カピラは心の中で彼女を称賛しました。彼は陽気に微笑みながら言いました。

「母よ!人が解放を求めるなら、その人は真我に確立した人(アートマ・ニシュタ)であるべきだと、私は強く信じています。

これがその人のサーダナ(修行)であるべきなのです。彼は喜びと悲しみとして知られる二元性から永久的に自由を得るでしょう。徳高き女性よ!私はあなたに、サーンキヤとして知られる最高のヨーガを説きます。今まで私はこの知識を習得したい聖仙たちに伝えてきました。

Cetaḥ khalvasya bandhāya muktaye cātmano matam
Guṇeṣu saktaṁ bandhāya rataṁ vā puṁsi muktaye

聖仙は、マインドこそが束縛と解放の両方の根源であると述べています。快適さに結び付けられたマインドは束縛を引き起こし、至高の主に完全に捧げられたマインドは解放を引き起こします。

「私、私のもの」という感覚のために、欲望(カーマ)、怒り(クローダ)、貪欲などの不純物が生まれます。マインドがそのような不純物から解放された瞬間、物質的な快適さを求めて激しく揺さぶられることはなくなります。それは幸福の時に膨らむことも悲しみの間に縮小することもありません。それは、あらゆる条件下で落ち着いた状態になります」

アドクシャジャーヤ・ナマハ

続く

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