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ラリタ・サハスラナーマの名の意味101~111

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101. Maṇipūrānta-ruditā マニプーランタ・ルディタ―

意味)ブラフマー・グランティの切断後に、クンダリニー・エネルギーはマニプーラ・チャクラにおいて見ることができます。
蒔かれた種は大きくなり、土を揺らし、芽吹きます。霊的探求によってムーラーダーラに眠っているクンダリニーエネルギーは目覚め、芽吹きます。それはスワディシュターナ・チャクラにおいてブラフマーグランティを切断し、マニプーラ・チャクラへと伸びていきます。これはとても重要なチャクラです。クンダリニーエネルギーとしての至高の母は、ここで宝珠(マニ)として礼拝されます。ここは超自然的な力(シッディ)が始まる場所です。
吸気においてプラーナ・シャクティ(生命フォース)はすべてのチャクラを渡っていき、完全に中へ入ります。同様に、完全に吐くべきです。そのようにすることによって、長寿になります。

102. Viṣṇu-granthi-vibhedinī ヴィシュヌ・グランティ・ヴィベーディニー

意味)彼女はヴィシュヌと呼ばれる結び目(グランティ)をマニプーラ・チャクラで切断します。
マニプーラ・チャクラとアナハタ・チャクラが共にヴィシュヌ・グランティを形成しています。この結び目は霊的な右側の心臓の近くにあります。この霊的心臓は物質身体には見えません。
これらのグランティ/結び目の背後にある重要性とは何でしょうか?目覚め(ジャーグラト)、夢見(スワプナ)、熟睡(シュシュプティ)の三つの存在状態があります。目覚めの状態においては、個人は彼の周囲、彼の名前などに気づいています。真実は個人の内にあるものであり、そこに「存在」がいて、目覚めているのはその存在です。

内なる存在は眠りに入り、まずは夢見状態(スワプナ・アヴァスタ)を彷徨います。内なる存在(ジーヴィ)は完全に疲れ果て、この夢見状態から彼の経験や周囲の状況にまったく気づいていない熟睡状態(シュシュプティ)に入っていきます。このことからある状態から別の状態へと移行しているのはこの内なる存在だと理解することができます。
ブラフマー・グランティでは、目覚め状態(身体意識、創造[シュリシュティ])に属する結び目が除去されます。マニプーラの段階では、存在の夢見状態が消し去られます。志向者はこの維持の状態を渡っていきます。ヴィシュヌの仕事は維持と保護(ステティ)と関係があります。このヴィシュヌグランティが切断されます。
志向者がアナハタ・チャクラを渡るとき、はっきりと美しく吉祥な音を聞きます。普通は何らかの音が生まれるためには、摩擦が必要です。しかし、アナハタ・チャクラにおいては何も摩擦がなく(アーハタ)音が生まれ、そのためこのチャクラはアナハタという名付けられました。この音を聞くためには、耳を塞ぎ、内部へと焦点を向けます。

103. Ājñā-cakrāntarālasthā アジュニャー・チャクラーンタラーラスター

意味)クンダリニーエネルギーの姿をした至高の母は、今やアジュナ・チャクラ(眉間に位置する)にあります。
この段階で、グル/デーヴィの許可(アジュナ)がさらに先へ進むためには必要になります。許可を受けた者だけがサハスラーラへと進む一方で、他の者は戻っていきます。言い換えるならば、サーダナ(霊性修養)はこの段階から厳しいものになります。

104. Rudra-granthi-vibhedinī ルドラ・グランティ・ヴィベーディニー

意味)彼女はこの場所にあるルドラの結び目(ルドラ・グランティ)を切断します。
ここで聖なる母はシュシュプティ(熟睡)の結び目を切り、志向者をさらに進ませます。このシュシュプティ(熟睡)の段階では、内なる存在(ジーヴィ)は、プラージュナという名をとります。

これらの三つのグランティ(結び目)はそれぞれAUM(オームカーラ)を表します。
『マーンドゥキャ・ウパニシャッド』は述べています。
bidyate hridaya-granthis chidyante sarva-samsayah
kshiyante casya karmani tasmin drishte paravare
ビディヤテー・フリダヤ・グランティス・チドヤンテー・サルヴァ・サムサヤハ
クシヤンテー・チャスヤ・カルマーニ・タスミン・ドリシュテー・パラヴァレー

簡潔に言って、至高のものへ達する三つの道があります。

●Tasyaivāham タスヤイヴァーハム
私は彼のものである。
「タスヤ」はあそこ(はるか遠い)を意味します。この状態では、個人は神(パラマートマ)を第三者の「彼」、つまり遠く離れて宇宙全体を支配している者として想像します。個人はこの第三者と、私は彼ものである、私は彼のみに属している、私は彼によって創造された、などと考え、つながりを作ろうとします。

●Tavevyāham タヴェーヴヤーハム
私はあなただけのものである。
「トヴァヴェー」はあなたのもの(すぐ近く)を意味します。この段階では、個人は神とさらに近く繋がります。神は二人称の「あなた」です。「私はあなたのもの」がその考え方です。

●Tvameavāham トヴァメーアヴァーハム
私はあなたである。
個人は神のエネルギーと自分自身だとみなしています。「私」はもはや存在しません。「私はあなたです」
三つの結び目を切ることは、これらの三つの状態を渡っていくことでもあります。その後にだけ、存在はさらに先へ進む許可を神から得ます。

105. Sahasrārāmbujārūḍhā サハスラーラームブジャールーダー

意味)至高の母は今やサハスラーラ・チャクラに着き、見事にそこに座しています。
アジュナー・チャクラの時点でグルから許可を得た霊的探求者は、さらに旅を進め、至高の母が千枚の花弁の蓮の上に座っている姿で想像されるサハスラーラに着きます。
『ソウンダリヤ・ラヒリ』はこの霊性の旅路を次の詩節で要約しています。
Mahim mooladhaare kamapi manipure hutavaham.
マヒム・ムーラダーラネ・カーマピ・マニプレー・フタヴァハム

106. Sudhāsārabhi-varṣiṇī スダーサーラビ・ヴァルシニー

意味)サハスラーラにおいて、彼女は甘露(アムリタ・スダー)を志向者(ウパーサカ)に降り注ぎます。志向者は説明することのできない至福と幸福に没頭します。
これは究極の状態です。この至福はすべての存在の中にあるものです。しかし、それはサーダナ(霊的修練)を通してのみ得ることができます。この至福はスダ(甘露)です。ガンジス川が主ハリの足から流れ出すように、サハスラーラの甘露は母の足から流れ、身体の72000のナーディ(アストラル神経)を浸します。その瞬間に経験される至福は言葉を超えています。

サハスラーラ・チャクラは彼女の聖なるパードゥカがあるところです。厳格なサーダナを行うことによって、志向者はサハスラーラに着き、彼女の御足(パーダ)のヴィジョンを得ます。これはパードゥカ・シッディと呼ばれます。バラタはラーマのパードゥカ(履物)をその正しい場所(家)として彼の頭に乗せました。私たちが座って祈りを捧げる瞬間、彼女の聖なる御足が私たちの知性にはっきりと銘記されているべきであり、心で視覚化されるべきです。

ヴェーダはデーヴィの御足の偉大さを賞揚しています。
Charanaṃ pavitraṃ vitatam puranām yena pūtastarati dushkrutāni.
Tena pavitrena shudhdena putāh. Atipāpmanāmarātintarema.
チャラナン・パヴィトラム・ヴィタタム・プラナーム・イェーナ・プータスタラティ・ドゥシュクルターニ
テーナ・パヴィトレーナ・シュドゥデーナ・プターハ
アチパープマンナーマラーチンタレーマ

107. Tatillatā-samaruchih タティッラター・サマルチヒ

意味)彼女の輝きは稲妻(タティッラター)に比肩します。
彼女の輝きは、二つの意味で稲妻に比肩します。稲妻が暗い空をまったく明るくするように、彼女の輝き(テージャ)は、存在を完全に照らします。二つ目は、稲妻と同じように彼女は一瞬の存在です。すなわち、彼女はサハスラーラの中にほんの一瞬だけ見ることが出来ます。
これは自己を照らす輝きです。多くの稲妻が空に輝きますが、それぞれはほんの一瞬だけ閃きます。そのようにサハスラーラに届くクンダリニーは、再びムーラーダーラへの下降を始めるまでに一瞬だけそこに留まります。彼女のヴィジョンを再び得たいのであれば、その後もサーダナを続けなければなりません。

108. Shatcakropari-samsthitā シャトチャクローパリ・サムスティター

意味)彼女は六つのチャクラの上に座っています。
彼女はサハスラーラに座っています。しかし先に説明したように、彼女をそこに留めるためには持続的な努力が必要です。
ヴェーダは『ナーラーヤナ・スークタム』において述べています。

Neelato yadamadhyasthādvidhyullekheva bhasvarād
Neevara shooka vattanvee peeta bha swatya noopama|
ニーラトー・ヤダマディヤスタードゥヴィドゥユッェケーヴァ・バスヴァラード
ニーヴァラ・ショーカ・ヴァッタンヴェー・ピータ・バ・スワティヤ・ノーパマ
意味)啓明は厚い青い雲に閃く光線のようです。このまばゆい光は、草の葉先のような小さな線(レーカ)のようである。

志向者はそれを永遠に留めることを学ぶべきです。これはサハスラーラに達した後も持続的に努力すべきであることを意味しています。

109. Mahā-Śaktih マハー・シャクティ

意味)彼女は計り知れず、限りなく、匹敵するものがなく、無限である至高のエネルギーです。それはブラフマーの尽きせぬエネルギーです。
マハトは「広大な」、あるいは「至高の」という意味です。マハト+シャクティ、つまり至高で限りないエネルギーを意味します。そのような無限のエネルギーは経験することだけが可能です。
ダーモーダラはこの名と同義語です。ダーモーダラは「その腰が測れないもの」を意味します。主パンドゥランガは腰に手を置いて立ち、彼の腰は測るることができないと強調して宣言しています。これは彼が無限であることを意味しています。もしそれを測ろうとすれば、それに合わせてその腰は際限なく拡大します。しかし同時に、もし真剣にそれに達しようとするならば、彼は助けの手を提供します。

110. Kundalinī クンダリニー

意味)クンダリニー、あるいはムーラーダーラ・チャクラが彼女の真の住まいです。ここで彼女は蛇のようにとぐろを巻き、その回転数は三回と半分です。
子孫(アヴァローチャナ)は常に祖先(アローチャナ)に従います。同様にサハスラーラの頭頂に達した後は、エネルギーはムーラーダーラに降り始めます。
『ソウンダリヤ・ラヒリ』は第十詩節において、サハスラーラでのヨーガ経験とそのエネルギーの下降を要約しています。

スダ・ダラ・サライス チャラナー・ユガランタ・ヴィガィタイヒ
クンダリニーの下降は、人生においてどれだけ高い位置についても、彼/彼女のルーツを忘れるべきでないこともまた意味しています。同様に最初の状態と、ただ努力によってサハスラーラに至ったのだと忘れるべきではありません。高みに至ったためにルーツを忘れたエゴイスティックな人は、安全に着地せずに墜落します。
私たちの72000のナーディをまっすぐに並べると、地球から月の長さになると言われています!ムーラーダーラは地の要素(ブー・タットヴァ)もまた象徴しています。

111. Bisatantu-tanīyasī ビサタントゥ・タニーヤシー

意味)彼女は蓮の茎の繊維のようであり、細い髪のようです。
蓮を支える茎は、その存在の基礎(ムーラ)です。その茎の外皮をはがすと、もう一つの茎が中にあります。茎を向く度に別の茎が出てきます。そのような茎の層が内部に九層あるでしょう。この九層の茎の中に、とても薄い、髪のような花糸(茎)があります。この小さな糸の構造が、実際のところ、蓮の支え/基礎となっています。
この糸のような基礎は、稲妻の閃きに例えられます。広大で終わりない空に比べると、稲妻の閃きは、無限に小さいものです。同様に、巨大な蓮の前では、意図のような繊維は無限に小さな存在です。しかし、それが蓮という存在の基礎です。それはスシュムナー・ナーディ(エネルギーの流れの最初のアストラル的経路)に例えられます。

稲妻とこの茎の違いは、稲妻には目に見える輝きがあるのに対して、蓮の茎にはそれがないことです。蓮の茎はムーラーダーラの領域にあるクンダリニーを象徴します。この眠れるクンダリニー(ビサタントゥ・タニーヤシ)が目覚めさせられ、サハスラーラへと連れていかれるとき、それは稲妻のように輝きます(タティッラター・サマルチヒ)。
有名な主インドラの話があります。天界の座を失ったインドラは一本の蓮のなかに一千年の間隠れていました。この物語には精妙な意味があります。インドラは彼の傲慢さのために女神ラクシュミーによるプラサーダムだった花輪を見下しました。これが金銭や権威、カーストによる私たちへの影響です。この彼の傲慢さによって、彼は不注意にもその花輪を彼の象の首にかけました。象は本来の性質によって、それを地に落とし、踏みつけ、歩いていってしまいました。プラサーダムに不敬を働いた罪によって、インドラは困難に遭遇し、最終的に蓮の茎に避難所を求めました。この場所で彼は主を賞賛する多くの詩句を作り、多くを熟考し、最終的に主ダッタのヴィジョンを得ました。多くの家で毎日詠唱されている『マハーラクシュミー・アシュタカム』はこのときに生まれた詩句の一つです。

最初の段階においては、この物語の教訓はけっして傲慢になってはいけないというものです。しかし、この物語に隠された秘密を掘り進めると、この蓮の茎はスシュムナー・ナーディ(クンダリニー・エネルギーが流れるヨーガ的経路)であることに気づくことができます。インドラは基礎に戻り、激しい霊的探求をスシュムナー・ナーディを通して行いました。これらの努力によって純粋さを授けられ、インドラはダッタのヴィジョンを授けられ、至高の母の恩寵をついに確保したのです。

ヴェーダは、インドラはパラブラフマー、パラマートマであると宣言しています。インドラの地位を確保するということは、絶対のパラブラフマーのヴィジョンを確保するという意味です。
最初の111の名は、『ラリタ・サハスラナーマ』の全構造におけるムーラ・グランタ(基礎)だとみなされます。これから進んでいく残りの889の名は、これらの内容についての注釈、詳細な説明に過ぎません。この111の名は家が建つ前に敷かれる強固な基礎に例えられます。
私たちはシャムバヴィ・ヴィディヤに踏み込もうとしています。それはバヴァーニの名から始まり、カーンティマティの名までです。

続く

⇒ラリタ・サハスラナーマ目次
※シュリ・スワミジによる『ラリタ・サハスラナーマ』の詠唱アプリはこちらです。
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