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モディ首相による表敬訪問スピーチ掲載

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01-arrival
ダッタ・ピータムを訪れるのは今回が初めてですが、私にとってここの伝統は多年にわたっての結びつきがあります。ナルマダー川のほとりで時間を過ごす者は誰でも、あるいは川岸でサーダナ(霊的修行)を続ける機会を得る者は、グルデヴ・ダッタの祝福なしには、サーダナすらも始めることはできず、修行の成果も上げられません。ナレシュワラやムルデシュワラに行くにしても、これらの地域一帯がその影響下にあるダッタ神の恩寵があってこそなのです。ナルマダー川の岸辺でのサーダナの全て、この地域のサーダカ(修行者)、聖なるナルマダー川での回峯行を実践する者、彼らはただ2つのマントラ(真言)だけを日夜唱えています。その2つのマントラとは、「ナルマダー、ハラ!」と「グルデヴ、ダッタ」であり、このマントラがサーダナ全体の核となる部分を占めています。グルジが先週、カッチ砂漠を訪れラン・ウッサブでの会議に参加された後グジェラートから帰ってこられて私はとてもうれしく思っています。しかし最も重要なことはその地域にはカロ・ドュンガル(400年の歴史を持つダッタトレーヤのお寺のある場所)があるということです。グルデヴ・ダッタの生誕祭には大規模な集会がその聖なる巡礼の中心地で開催されます。そこはヒンドゥスタン(インド中央部の平原地方)の端にある地方で、その奥には砂漠が広がり、砂漠の先はパキスタンです。この地域にグルデヴ・ダッタの聖地があるのです。プージャ・グルデヴはダッタ神の生誕祭の頃その地域を訪れ、歓びを表されました。今日、ダッタピータムを訪れる幸運に恵まれ大変喜んでいるのはこの私なのです。

この伝統にあってこそ、社会的(奉仕)活動が生じるのです。私達の国、インドでは聖者や賢者、聖人によって始められた活動は何であっても、それらは全て社会に便益をもたらすものです。聖者の方々は社会の福祉に自らを捧げています。しかしながら、そうした活動は社会からの認知を求めるものではありません。なぜなら、彼らは、そうした活動は自らが生まれてきた目的の一部であると感じているからです。ですからそれらを宣伝するようなことはないのです。こうしたことを背景に、世間では聖者や高僧、サドゥー(修行者)やマハトマ(偉大なる魂)は寺院での活動に限られ、礼拝や聖典の研究に従事していると思われています。しかし、よくよく注意して見ると、我が国における聖者や賢者の伝統の全ては社会奉仕や社会の救済をもたらすことを中心課題としていることに気が付くのです、

プージャ・スワミジの様々な側面、例えそれが環境保護であったり、鳥の意識を理解する努力であったり、
ナーダ・ブラフマ・ウパーサナ(音を通じて神を礼拝すること)であったとしても、それら全てがこの事実を裏付けています。

ナーダ・ブラフマ・ウパーサナはとても独創的です。我々の伝統はナーダ・ブラフマ・ウパーサナの強力な効果を取り入れています。ほんのわずかな人だけがナーダ・ブラフマ・ウパーサナを実践する能力を備えています。このウパーサナ(礼拝)によって、ブラフマ(神)の御姿を感じることが可能となります。ナーダ・ブラフマの御姿が感じられ、体験されるのはこのウパーサナだけです。このサーダナを通じて、プージャ・スワミジは、一般の人々を音という媒体を用いてブラフマに向かって連れていくという任務に携わっているのです。それはまるで、知られているものから知られていないものへと移動するようなものです。一般の方々はどうしても歌や音楽に注意を向けがちですが、その背景にある霊性を理解し、音を通してブラフマと繋がるということは本当に賞賛に値するもので、そのことをスワミジは絶え間なく実践されているのです。プージャ・スワミジは,様々な重要な場所での演奏によって、偉大なるナーダ・ウパーサナを不滅のものとするため、全世界を自らのステージとして使われています。私ですらそうした場所のいくつかを訪れる機会を戴くことができました。しかし、今日初めて、幸運にもその発祥の地を訪れる機会を頂戴したのです。プージャ・スワミジにお祈りを捧げます。プージャ・スワミジによって実践されている社会奉仕活動がダッタトレーヤの祝福を受けることができ、神のエネルギーが最も貧しい人々やごく普通の人々にも行き渡って支えと助けになりますようグル・ダッタにお祈りを捧げます。このことを祈念しつつ・・・ グルデヴ・ダッタ!

翻訳元記事

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