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ダルマ(正義)を守れば、ダルマがあなたを守ります

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生き物を守ると、生き物は感謝の思いを伝えてきます。木に水をやると、そのうち果物や花、日陰など与えてくれます。しかし、私たちがすべてのものを破壊してしまうと、それらのものはいつか私たちを破壊してきます。同じように、ダルマ(正義、法、義務)を破壊する者はダルマによって破壊されます。ダルマはその人に神の恩寵を失わせて、屈辱にあわせます。(マハーバーラタの登場人物である)ドゥルヨーダナはアダルマ(不正義)の道を引き寄せて、破壊されてしまいました。彼はダルマに精通していたのにも関わらず、アダルマを求めて、固執し続けました。彼は最後どんな終わりを迎えましたか?そのような例はたくさんあります。ラーマーヤナのラーヴァナはラーヴァナ・ブラフマーとして呼ばれ迎えられていました。彼は偉大な聖者パウラスティヤの子孫でした。ラーヴァナはアダルマに走り、ついにアダルマは彼を破壊しました。自分の命よりもダルマを苦心して執拗に守っている人は、常にダルマの神によって守られます。(マハーバーラタの登場人物)ユディシュティラがその証拠です。彼はそれまでダルマから外れることはありませんでした。最後にはダルマが彼を護りました。名誉と名声を高めるために、ダルマは常に永遠の名声をもたらします

ドヴァーパラ・ユガの終わりに起こった物語を、昨日や一昨日に起こったかのように、今日も話し合っています。先にダルマとは何か、宗教哲学とは何か、そしてスヴァダルマ(個人のダルマ)にどのように従うべきかをお話しました。宗教哲学はダルマと同じものではありません。 私たちは誓願と儀式をダルマとして話し、ヒンドゥー教をダルマとして話します。私たちはこの2つを混同し、置き換えられるものとして話しますが、宗教はダルマとは異なります。たとえば、ラーマを崇拝することはあなたの宗教哲学の一部です。しかし誰もがダルマを必要とします。ダルマについては何度も話してきました。ダルマは誰もが従う必要のある人道的な哲学です。

dḥṛtiḥ kṣamā damōstēyam śoucam indriya nigraham,
dhīrvidyā satyamakrodhaḥ daśakam dharma lakśaṇam

ダルマの特徴とその詳細については話してきました。宗教哲学は特定の神々を崇拝することを規定している場合があります。しかし誰もがダルマに固守しなければなりません。私たちは常にスヴァダルマ(個人のダルマ)を守らなければなりません~真実を話し、許し、感覚の抑制、ダルマの道で勇敢になること、すぐに怒りに屈しないことです。これらはすべて人間のダルマです。私たちがこれを守り、常に従うなら、ダルマは私たちを守ってくれるでしょう。
この人間のダルマを滅ぼすべきではありません。ダルマを滅ぼすとはどういう意味でしょう?それはこのダルマに従わないこと、怠惰であること、信仰を持たないこと、常に嘘をつくこと、害を与えること、人を悩ますこと、非倫理的に富を貯めること、他者を尊重しないこと、適切な関係性を考慮せずに行動することを意味します。これらはすべてアダルマ(不正義)です。多くの人がこの道を歩み、ダルマの道を捨ててしまっています。これらの意義を正しく遵守するならば、それがダルマです。ダルマを守れば、ダルマが私たちを守ってくれます。木を守れば木が私たちを守ってくれるように、私たちがダルマを守れば、ダルマが私たちを守ってくれます。

誰も自分の破滅を望んでいませんが、私たちがダルマに従わなければ、ダルマが私たちを滅ぼします。同じようにダルマを守る人々はダルマに保護されます。私たちはこのことを知っていますが、ダルマを遵守していません。多くの人は、ダルマを破壊し、ダルマに反して行動したい人が確実に苦難に直面することをわかっていません。ダルマから逸れた人はダルマを滅ぼしているとみなされます。真実ではないことを話す、人に迷惑をかける、感覚の抑制の欠如は、全てダルマを破壊する方法です。これは最終的には人を破壊します。ダルマは火のようだと言われています。私たちは火を使って多くの善行(護摩焚き・ホーマなど)をすることができますが、家や体に火をつけることもできます。そのため何があっても、ダルマに従うのが最善なのです。

この世界には多くの惑わされた人たちがいます。彼らは罪深い行動を取り、それから罪滅ぼしが神に仕えるかのように、慈善と高貴な行為に取りかかります。しかしその贖罪によって、罪深い行為の報いは取り除かれません。善行の報いがあるように、罪深い行為の報いもあります。逃げ場はありません。神は執着していません。神が誰かに危害や利益をもたらす理由はありません。神はいつも慈悲深いのです。ダルマは私たちの神として守ってくれます。あなたのカルマの成果はあなたに良いものと悪いものを与えます。

マハーバーラタでは、カウラヴァは集会の見えるところでドラウパディーを屈辱することを決心しました。彼らはパーンダヴァに危害を加えたいと思いました。言い換えれば、彼らはダルマを傷つけたかったのです。彼らはそれに応じて計画しました。彼らはビーシュマ、ドローナ、クリパーチャーリヤなどを抑えこんで、話す機会さえ与えませんでした。カウラヴァはサイコロのゲームでパーンダヴァを不当に打ち負かし、ダルマの名の下で亡命させました。パーンダヴァは敗北を受け入れなければなりませんでした。彼らはダルマに反したくなかったので反乱を起こしませんでした。集会の長老たちは、ドゥルヨーダナの行為を容認することも、敢えて反対することもできませんでした。

そのような危機的な状況の中で、集会の全員が見ている中で王子は、ドラウパディーに脱ぐように命じました。もたらされた苦痛のためにドラウパディーは、彼らは無言の目撃者だと叱りました。彼女は自分を責め、怯え、苦しみ、頼みこみ、懇願し、祈り、泣いて、嘆願しました。彼女は降参することも含め、身を守るためにあらゆることを試みましたが、無駄でした。最後に、彼女はついに主クリシュナに祈りました。

自身を守るために、ドラウパディーはビーシュマや他の人々に、ドゥルヨーダナがダルマによって彼女を勝ち取ったのか、それともアダルマとして勝ったのかを尋ねました。誰も適切に答えることはできませんでした。聖仙ヴェーダ・ヴィヤーサでさえ明確な答えを出すことはできませんでした。5人のパーンダヴァはダルマでした。ドゥルヨーダナはアダルマでした。その時にはアダルマが勝っているかのようでした。ドゥルヨーダナはついにドラウパディーに最後のチャンスを与えて言いました「ダルマラージャ(ユディシュティラ)がアダルマだと認めるなら、そなたを解放しよう」しかし、ドラウパディーは、雷雨が降ったり、海が波立ったり、空が落ちたり、地球が真っ二つに分かれても、ダルマラージャは決して嘘をつくことはなく、アダルマを行ったりしないと言って叫びました。ダルマを固守したことが彼らを救ったのです。

ダルマは主クリシュナの姿でやって来ました。シュリー・クリシュナはサリーを盗ったり与えたりしません。ダルマはシュリー・クリシュナとしてやって来て、ドラウパディーを守るためにサリーを与えました。アダルマはサリーを盗もうとしたことです。ですからあなたがダルマを破壊するなら、ダルマがあなたを破壊します。自分の破滅を願う愚か者はいません。したがってダルマを守り、幸せに平和に暮らすのです。このことわざは私たちに教えてくれています。このことわざを思い出し続ける必要があります。

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