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アヒンサー(非暴力)は最高のダルマ(正義)

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ahimsā paramo dharmaḥ tathā himsā paraṃ tapaḥ |
ahimsā paramaṃ jñānam ahimsā paramārjanam ||

全てのダルマ(正義)において、アヒンサー(非暴力)の誓いは最高のものです。ヒンサー(暴力)の道にいる人はどんなに激しい苦行や禁欲をしても結果を生みません。アヒンサー(非暴力)の誓いの実践がもっとも偉大な苦行です。動物への暴力だけではなく、森を伐採すること、大気や河川を汚染することも暴力です。そうした知識を持つことがアヒンサー(非暴力)の誓いを達成する鍵です。私たちが人生で得ることができるもっとも偉大な富は、アヒンサー(非暴力)の誓いの遵守です。そのため「アヒンサー・パラモー・ダルマハ」と言われます。

「ヒシ・ヒンサーヤーム(思い、言葉、行為によって他者を傷つけること)」がヒンサー(暴力)が生まれる根源です。通常、私たちは暴力は手足によるものと考えます。しかし思い、仕事、言葉において傷つけることも暴力です。聖典は言葉による暴力は手足による暴力よりも悪いと述べています。言葉で不必要に他者を傷つける人がいます。そのような言葉が知性であるとさえ思っています。

一部の大人は昆虫や静かな生き物を捕まえて子どもたちを楽しませます。これもヒンサー(暴力)です。聖典はアヒンサー(非暴力)より偉大な苦行はないと述べています。「タピャタ・イティ・タパハ」と聖典は述べます。厳格な自己規律によって身体を苦しめるのがタパス(苦行)です。どのような規律を持つべきでしょうか?多くの人が断食をし、宗教的な誓戒を行い、体をやつれさせています。しかし重要なのは心も律され、苦行に没頭しているべきということです。断食の際に、心は食べ物のことを考えるべきではありません。もし断食の際に、食べ物を思い浮かべ明日のメニューを計画しているなら、それは断食とみなされるべきではありません。健康のために年長者は私たちに断食をある方式や別の方式で勧めていて、それは医学も支持しています。ですが、より重要な霊的成果はゼロです(もし、心が律されていないならば)。

感覚器を律し続け、暴力を取り除くのもタパス(苦行)です。心はラジャス(激質)とタマス(暗質)からサットヴァ(純質)へと持ち上げられるべきであり、全てのグナ(性質)を超える状態に達するためにサットヴァ(純質)も取り除かれるべきです。それだけが真のタパス(苦行)です。単に鼻や目を閉じて座って、眠っているのはディヤーナ(瞑想)ではありません。至高のジニャーナ(知識)はアヒンサー(非暴力)のダルマ(正義)をその真の形で知ることです。神の原理はアヒンサー(非暴力)の姿の中にあります。アヒンサー(非暴力)を守っている人は神のダルシャン(謁見)を持っているに等しいとみなされます。

神は常に正義を執行しています。神は負債を持ち越すということがありません。私たちは道で犬や小動物に合うと、石や棒で追い払います。犬、牛、山羊、他の生き物には道を歩く権利がないのでしょうか?彼らは私たちと同じようにこの地上に生まれました。私たちだけが排他的にこの地上を歩く権利を与えられているわけではありません。誰が私たちに他の存在を不必要に害する権利を与えているのでしょう?誰もそのようにする権利を与えていません。私たちは強引にそのような力があると思っています。そのため、私たちが静かな生き物を理由のあるなしに関わらず害するならば、神が正義を執行するために相応しい罰をもたらすでしょう。道を注意して歩いているときに、後ろから気づかない車がやってきて後ろからはねることを考えてください。足は砕け、病院のベッドで三ヶ月地獄をみることになります。それは過去生の結果に他なりません。私たちは以前の生で犬の骨を折ったのであり、そのため今回の生で足を折ったのです。他の生き物の手を折った結果、私たちは手を折ります。顔を砕いたら、顔が砕けます。命を奪ったら、命を奪われます。ダルマ・シャーストラ(法典)によれば、他者に課した罰が私たちに課されます。神が負債を持つことがないと知ることはアヒンサー(非暴力)の真髄です。「アールジャヴァム」とは稼ぐことを意味します。私たちが稼いだ富は私たちと共に進みません。積み上げたカルマ(業)の結果だけが私たちについてきます。

誰もがこれを知っていて、雄弁に語ってさえいますが、驚くことに、敬虔で高貴な人だけしかこれを実践しません。善行をしてください。ダルマ(正義)を実践し、慈善を行ってください。意図して、あるいはそうではなくても、誰も傷つけないでください。罪は無知によってなされても、火が気づかなくても燃やすように、あなたについてきます。全ての結果が経験されなければならないという真実を知り生きることが賢明です。全ての行為の結果が私たちの本当の耳飾りです。今回の生でもたらすものが、未来の私たちについてきます。私たちは行為の結果を免れることができません。

私たちは主ガナパティに良い日々が来るように祈ります。自然災害や飢饉はクリタ・ユガ(時代)にもありました。神々が地上を歩いていましたが、何もできませんでした。聖者ヴィヤーサの時代にもありました。母なる女神がアンナプールナとしてやってきて全ての人に食べ物をもたらしました。シュリ・ラーマやシュリ・クリシュナの時代にもありました。私たちは今、様々な形での飢饉を見ています。感染流行という形で見ています。私たちは不必要に他の存在を害しています。私たちはその罪を分かち合わなければなりません。子どもが親の負債を支払わなければならないと言われるように、地上の全ての人が一部の人の罪を共有しなければなりません。選択肢はありません。可能な限り神に祈りましょう。誰もが勇敢であるべきです。今年は六十人のダッタの帰依者が亡くなりました。注意を聞かなかった人もいます。老齢で亡くなった人もいます。問題ありません。次の世界の面倒を私が見ます。私はアーディ・パラーシャクティ(原初の至高力)に彼らが至高の状態と世界を得られるように祈ります。恐れないように。恐怖は実際の病気よりも多くを殺します。家で怠惰に座っていてはいけません。バジャン(賛歌)を歌いなさい、マハーバーラタを聴きなさい。カヴァチャ、ラーマーヤナ、バーガヴァタムなどを持続的に聴きなさい。Youtubeにそのようなすばらしいシュリ・スワミジのコンテンツがあります。スワミジは18回マハーバーラタを聴くようにと言いました。それを聴き続けなさい。
可能な限りアシュラムを支えてください。あなたの子どもの一人なのだと考えてください。あながアシュラムを支えているのは疑いのないことです。さらにそれをしなければなりません。神はあなたに豊富に与えるでしょう。

ライブ・プログラムは計画されていませんでしたが、みなさんにダルシャンを与えるために来ました。
全員、マントラ・ダーナを行うようにしてください。それはみなさんを保護します。

2021年9月8日 アヒンサーについてのスークティより

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