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シュリーマド・バーガヴァタム 第159話

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Abhisandhāya yo hiṁsāṁ dambhaṁ mātsaryam eva vā
Saṁrambhī bhinna-dṛg bhāvaṁ mayi kuryāt sa tāpasaḥ

強い分離感(二元性)をもち、妬み、プライドや怒りの思いをもって私を崇拝する帰依者や、自分の素晴らしさを示そうとしたり、ダルマの原則への遵守を見せつけるために私を崇拝する帰依者は、タマサ・バクタ(無知/無明をともなった献身)と知られます。

Viṣayān abhisandhāya yaśa aiśvaryam eva vā
Arcādāv arcayed yo māṁ pṛthag-bhāvaḥ sa rājasaḥ

分離感(二元性)をもち、物質的な名声、富や繁栄を得るために、神像を通して私を崇拝する帰依者はラージャサ・バクタ(激情をともなった献身)と知られます。

Karma-nirhāram uddiśya parasmin vā tad-arpaṇam
Yajed yaṣṭavyam iti vā pṛthag-bhāvaḥ sa sāttvikaḥ

分離感(二元性)をもち、罪を払拭したり、自分の義務的な責務ととらえて、あるいは主に行為を捧げるためにプージャーや関連の活動に参加するそういった帰依者は、サートヴィクな帰依者(善性を伴った献身、信愛)です。

ニルグナ・バクティとは一切の条項のない純粋な信愛を指します。ガンガー(ガンジス川)が永遠に海に流れ出るように、そのような純粋な帰依者の心は、私の特質に耳を傾けて、私に流れてきます。そのような帰依者の愛と献身には何の期待もありません!純粋です!私をそのもの自身の内なる真我にほかならないと理解しています!これが最高の帰依者の特質です!

そのような最高の帰依者たちは私への奉仕(セーヴァ―)を捧げることに完全に集中しています。彼らはサーローキャ、サーリシュティ、サールーピャ、サーミーピャ、サーユジャの解放を与えられても受け取りません!サーローキャはシュリハリと同じ世界(界)に住むことを意味します。サーリシュティはシュリハリと同じレベルの繁栄があることを意味します。サールーピャとは、シュリハリと同じ姿であることを意味します。サーユジャはシュリハリに完全に溶け込んでいることを意味します。そのようなバクティ(信愛)の形は究極のものです!

そのような信愛のために、帰依者は根本原質の三つの特質(トリグナ)から生じるこの世俗的な縛りの足かせから解放され、私に溶け込みます。

何の期待もなく、帰依者は自分のダルマ(スヴァダルマ)に厳格にとどまる必要があります。プージャ―の花を摘むことより大切なことは、非暴力の原則を固守することです!どんな生き物に対しても害を与えないでカルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)を行うべきです。つねづね私の神像を見て、私の足に触れ、私を礼拝し、私のバジャンを歌い、私に従順である必要があります。

全ての存在の中にある真我として私を見るべきです。勇敢に無執着を実践する必要があります。年長者を尊敬し、貧しい人々には慈悲を示して同等に友好的であるべきです。非暴力、誠実(正直)、盗まないこと、禁欲を厳格に実践する必要があります。さらに、アパリグラハ・ヴラタ(贈り物を受け取らない誓戒)をともなって、物質的快適さを望まないようにするべきです。これらの五つの規律はヤマとして知られていますが、不可欠なものです!
加えて、五つのニヤマ、つまり内的・外的な純粋性、足るを知ること、苦行、真我の勉強、神(イーシュヴァラ)への全託を実践しなければなりません。

聖典を読んだり聴いたり、私の聖なる名前を唱える必要があります。聖なる存在との友情を維持するべきです。プライドは捨てる必要があります。これらの規律を実践して、帰依者の心は完全に純粋になります。私の特質を聴くことによって心はたやすく私に寄り添います。

神聖な香りは空気を介して鼻にたどり着きます。同じようにバクティ・ヨーガを介して、浄化されてきた心は本源である真我(アートマ)に達します。それは真我に溶け込むことを意味します。

Ahaṁ sarveṣu bhūteṣu bhūtātmāvasthitaḥ sadā
Tam avajñāya māṁ martyaḥ kurute ’rcā-viḍambanam

私は真我(アートマ)の形で全ての存在の中に永遠に留まります。私が全てに浸透するというこの概念を拒絶して、神像として私を崇拝するならば、それは愚弄に価します。欺くことです。
主は、全ての場所、人の中に存在することを理解することは知識の印です。そのような思考のプロセスに没頭しなければなりません。

Yo māṁ sarveṣu bhūteṣu santam ātmānam īśvaram
Hitvārcāṁ bhajate mauḍhyād bhasmany eva juhoti saḥ

トゥリヴィクラマーヤ・ナマハ

続く

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