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シュリーマド・バーガヴァタム 第162話

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パドマナーバーヤ・ナマハ

時にどれだけ奮闘しても、その人は生活に十分な稼ぎを稼ぐことができません。心が貪欲に満ちているときには、その人にはそこまで稼ぐ力はありません。そんな時、心は他人の財産に向かいます。

お金を稼ぐ努力が失敗に終わり、家族を養えないとき、その人は無力になり、ひどく嘆くようになります。家族を養えないため、妻や他の親戚はその人に当初の愛情や敬意を持たなくなります。心の悪い農民が、年老いた雄牛を軽視するように、皆彼のことを完全に軽く見るようになります。それで彼の心は平静になることはありません!

この無力な状態で彼は、以前に養って守っていた人たちに翻弄されます。老いて醜くなり、姿は変わり衰弱します。家で横になって死を待ちます。

犬に餌を投げるように、今やその人は自分に投げられた食べ物を食べます。消化の火は弱くなり、少しだけ食べます。その結果、働くだけのエネルギーがありません。体内の上昇するプラーナの圧力により、その目は膨らんでいるように見えます。粘液のため胸はうっ血します。咳や息苦しさに苦しみます。喉から変なガラガラという音を出します。

そんな風に彼が苦しんでいると、周りの親戚たちは酷く悲しみます。彼は死の縄に捕まって、応答することもできません。
そのように、その人は稼いだり、家族を養ったり、感覚の統御に集中することを放ったからかしにして、健康な人生を無駄にします。最期の時には親戚たちが彼のために泣くと、彼は悲しみに浸ります。痛みに苦しみ、知性を失いながら、死んでいきます。

死の際には彼は主ヤマ(死の神)の従者たちを見ます。彼らの目は怒りに満ち、彼は恐怖を覚えます。尿と便を出してくるのを恐れて、彼は緊張で酷く震えています。
ヤマの従者たちは、罪を経験するのにふさわしい肉体に彼を入れます。首に縄をきつく結びます。兵士が犯人を引きずるように、従者たちはヤマの世界(ヤマの住まい)への長い困難な道のりを引きずっていきます。

彼らの恐ろしさを聞いて、彼の心臓はバクバクし、手に負えないほど震えます。道中は何匹もの犬に嚙みつかれます。自分の全ての罪を思い出して、道中彼は不幸に嘆きます。
彼はどうしようもない飢えと喉の渇きに苦しみます。太陽の灼熱の下で焼かれます。巨大な砂嵐と森の火災が旅の間じゅう彼を痛みつけます。熱く燃えた砂の上を歩かなくてはなりません。

途中は休憩所も喉を潤す水もありません。ヤマの従者は彼を無慈悲にも鞭打ちします。歩く気力がなくなってもそうせざるをえず、足をひきずり、大変な苦しみで歩き続けます。

今、彼は別の体にいることを思い出します。死の主は彼が旅路を完了し罪を経験するようにこの体を与えました。心と罪は彼についてきて、心は全てを経験します。
苦しみに終わりはありません。時々、疲れて倒れたり、意識を失ったりしますが、無情にも起き上がらせて、旅を続けるように言われます。ヤマの従者たちは、彼が倒れると鞭を打ち続けます。今になって彼は自分の行いの全てを思い出して、後悔して哀れに泣くのです。

このようにヤマの従者たちは生き物を、罪人にはふさわしい暗くて辛い道で、ヤマ・ローカ(ヤマの世界)に引きずっていきます。ヤマ・ローカへの道は99,000ヨージャナ(1ヨージャナは約8マイル、約12.8km)です。ヤマの従者はおよそ2、3ムフールタの時間でこの旅を終わらせます。

このヤマ・ローカではさらに残忍な罰を受けます。従者たちは燃える薪の大きな丸太に手足を縛ります。自分の肉を刻んで食べるように強要します。時に他のものたちに彼の肉を切って、彼に食べさせます。
このヤマ・ローカでは、犬や鷹が生きているにもかかわらず彼の腸を引き出します。蛇やサソリ、荒々しい昆虫が絶えず彼を刺して、痛めつけます。全ての手足は切り刻まれます。体は巨大な象に踏みつぶされます。巨大な山の頂上から投げ出されたりします。大海におぼれて、そこに留まるように言われます。

彼が受ける苦しみは説明することができません。無理です!この全ては幻想ですが、それでも痛みを経験します。幻惑的なエネルギーを使って、彼が自分の行いを悔いるために、そのような場面が作られます。
不道徳な性行為にふけった男女はこの酷い罪のために苦しみます。ターミシュラ、アンダターミシュラ、ロウラヴァなど呼ばれる最悪の地獄で苦しみます。

おお、母よ!人は天国も地獄もここにだけ存在すると考えます。私たちは地上でも地獄のような苦しみを見ることができます。
人間は自分の生計や家族を扶養するために罪をおかし、死ぬとここで体を置いていきますが、積もった罪は彼についていきます。

他人を騙しながら肉体を維持する者は、今こそ愛しい体を去って独りで地獄に旅します。自分の罪深い行いのために、ヤマ・ローカへの道中、体験する罰は、ヤマ・ヤータナと知られています。

このため、罪を犯すときには、注意深くなることが大切なのです。「パーパ・ビーティ」とは罪を恐れるという意味です。罪を恐れるというのは全ての人にとって肝心なことなのです!」
行為にかかわらず、私たちは最終的により高い界へと連れて行く道を歩むことを確実にしなければなりません。自分たちの行為はほかの存在を害するものであってはなりません。

カリ・ユガのときにやってしまう過ちのすべてのものは、非常に昔に作られたものであるバーガヴァタムで述べられています。全ての罪とそれに値する罰はそこで述べられています。

ダモダラーヤ・ナマハ

続く

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