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シュリーマド・バーガヴァタム 第164話

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十ヵ月となった胎児は祈り続けます。「トリグナ(サットヴァ、ラジャス、タマスの三グナ)の影響、または、トリグナによる行為のために、生き物は、サンサーラという、終わりのない輪廻転生の道に固く縛り付けられるのです。主のマーヤーのせいで、彼は本当の形相(すがた)を忘れています。そして、想像を絶する苦難を経験しながら、このサンサーラの道を歩み続けるのです。

主の恩寵をなくしては、サンサーラの足かせに縛られている生き物が、己の本当の形相を覚る方法はありません!

おお主よ、いま、過去・現在・未来がはっきりと見えます。あなた以外の誰がこの叡智を私に恵んでくださるというのでしょうか?内なる真我として生物と無生物の万物に宿っておられる至高の主だけが、私にこの叡智を授けてくださるのです。

生き物は、過去の行為の報いに応じて作られる道を歩み続けます。私はそのような者ですから、トリグナによる心身の苦悩から己を救い出さんがために、主の召使いとして奉仕しているのです。

おお至高の主よ!肉体をまとっている私は、同じく肉体を持ち、母親と呼ばれる別の生き物の子宮の中に投げ込まれました。私は、血液、粘液、尿、便からなる落とし穴に捕まってしまいました。そして、胃の中で働く消化の炎にひどく苦しめられています。私の心は、どうしようもなく惨めな思いを感じています。いつになったら、この苦しみから逃れることができるのでしょうか?私は、ここから解放される日を指折り数えています。おお主よ、いつになったら私を助けてくださるのでしょうか?あなたが私を救い出してくださるのは、いつの日のことでしょうか?

Yenedṛśīṁ gatim asau daśa-māsya īśa
Saṅgrāhitaḥ puru-dayena bhavādṛśena
Svenaiva tuṣyatu kṛtena sa dīna-nāthaḥ
Ko nāma tat-prati vināñjalim asya kuryāt

おお至高の主よ!私は、無力な十ヵ月の胎児にすぎません。それにもかかわらず、あなたは、その無限なるご慈悲により、私の全過去生の叡智を授けてくださいました。おお主よ!あなたは、比類なき御方です!あなたは、か弱き、無力なすべての存在を統べられる御方です。あなたが顕現されたこの親切な行為が、御身に歓喜をもたらされますように!おお主よ、両の掌を合わせて祈ること以外に、あなたへの感謝の気持ちを表現することができましょうか?

鳥やその他の生き物は、七つの構成要素(ダートゥ)からなる肉体に完全に縛られています。彼らは、己の肉体に関係する幸不幸だけを経験します。しかし、至高の主のお恵みで、私は識別力のある知性を授けていただきました。

真我(アートマ)は、アハンカーラ(私という感覚)の避難場所です。私は主であり、叡智という形で真我として輝いています。目には見えませんが、私は直接的にこのことを覚っています。永遠なる真我(アートマ)である御方が、覚醒した状態で永遠に輝いているのです!

So ’haṁ vasann api vibho bahu-duḥkha-vāsaṁ
Garbhān na nirjigamiṣe bahir andha-kūpe
Yatro-payātam upasarpati deva-māyā
Mithyā matir yad-anu saṁsṛti-cakram etat

おお主よ!私は、この子宮の中で最悪の状態にあり、惨めな苦しい思いをしています。それでも、私は、ここから出て行って、現象界として知られる落とし穴に落ちていこうとは思いません。現象界というこの世は、暗闇と無知でいっぱいなのですから。私はその世界に入るや否や、あなたのマーヤーに覆われてしまいます。ですから、私は、そこには行きたくありません。偽我にしっかりと握りしめられてしまいます。このようにして、私は輪廻転生の車輪の中に落ちて、回転し続けることになるのです。

ゆえに、今、私は、この不幸のもとを手放します。私は、知性を使って、ハートの中におられる至高の主の御足にすべてを委ねます。このことだけが、私に幸福をもたらしてくれるのです。こうすることによって、私は、輪廻転生という落とし穴の暗闇からすぐに出ていくことができるのです。そして、九つの穴を持つ肉体に再生するというこの不幸が、私に生じることはなくなります。」胎児は、このように懇願して祈ります。

カピラ・マハルシは、続けて言いました。「おお母よ!十ヵ月の胎児は、識別力のある知性をもって至高の主を瞑想し、己の霊性を高めることを固く決意します。皮肉なことに、ちょうどその頃、出産を促進する風が胎児を刺激して、胎児は出産に備えて準備を始め、下方へと向かっていくのです。

出産の間、胎児は、この風の影響を受けて激痛を味わいます。そして、頭を下に傾けて押し進み、多大なる困難を経験しながらこの世に誕生するのです。彼は、呼吸ができなくなります。そして、過去生の記憶が失われます。それから、血液と尿と一緒になって落ちてきて、ウジ虫のようにその中でのたうち回ります。至高の叡智が失われたがために、彼は己を肉体であるとみなして、大きな声で泣き叫ぶのです。

母親は、新生児の心を理解していません。新生児は、自分が欲していることを分かってくれない人たちに育てられなければならないのです。彼は拒否することもできず、無理矢理に出されるものを受け入れるしかないのです。そのため、いつも泣き悲しんでいます。

彼は、トコジラミなどの小さな虫に食われる不潔な寝所に寝なければなりません。彼は、ひっかくこともかゆみを止めることも知りません。座り方、立ち方、寝返りの打ち方、動き方すら知らないのです。トコジラミや蚊などの虫に柔らかな肌を食われても、己を守ることもできず、ただ泣き続けるしかないのです。

その結果として、幼児期から少年時代は、苦悩に満ちた時期となります。青年時代になると、己の望みが叶わなかったときには、怒りではらわたが煮えくり返ります。そして、さらに大きな不幸に見舞われるのです。

人間の形相をした存在にあるのは、どの成長段階においても不幸と悲哀ばかりです。彼が、この困難の原因に気づいていようといまいと関係なく、不幸は必然です。(胎内にいたとき)臨月に覚ったあの至高の叡智がわずか一秒でも己の内に生じたならば、すばらしい果報が授けられるのです。しかしながら、そんなことは起こりません。

サンカルシャナーヤ・ナマハ

続く

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