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シュリーマド・バーガヴァタム 第165話

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幼少期と少年時代の両方で、人は苦しみます。青年期には、欲求が叶わないと怒りを爆発させます。これはまた別の形の苦悩です。年齢を重ねると、肉体に性的な欲求が増していきます。同時に怒りと悲しみも増えていきます。

人は、性的な行為にふける不道徳な人たちと付き合うようになり、転落を招きます。無知や、脳裏によぎる邪悪な罪深い考え、不道徳な行為につながる大きな弱点のせいで、彼は五大元素からなる肉体を己の真我(アートマ)だと思うようになります。こうして、「私と私のもの」という感覚が己の内に強まっていきます。

Tad-arthaṁ kurute karma yad-baddho yāti saṁsṛtim
Yo ’nuyāti dadat kleśam avidyā-karma-bandhanaḥ

肉体を維持するために、生き物は、さまざまな行為に従事します。しかしながら、肉体のために行っているこうした行為は、彼をさらに束縛して、輪廻転生のサイクルに投げ込むのです。これは終わりのないサイクルです。霊的な無知(アジュニャーナ)によって行われる行為が、肉体が存在する原因です。

この肉体は、全ての苦悩の源にすぎません。肉体は、どこまでも彼に付きまといます。

高潔で信仰心に篤い人であっても、生活のために、または、己の欲求を満たすために不道徳でよこしまな人たちと付き合うようになり、その付き合いを通じて、官能的で性的な欲求に負けてしまえば、再び地獄に落ちてしまいます。

悪い付き合いのせいで、誠実、清潔、同情心、静寂、精神的な落ち着き、識別力、謙遜、富裕、名声、忍耐、心のコントロール、感覚のコントロール、叡智といった資質は全て消えてしまいます。不道徳な人たちは、行き過ぎた執着や激情があるために、心の平安を味わうことができないのです。

肉体を真我とみなしたり、女性の言いなりになっている無知で愚かな人たちとの交友関係はやめなければなりません。このような人たちは、友人としてふさわしくないし、哀れみの対象でもありません。こうした交友関係や付き合いは、完全に断ち切るべきです。

その中でも最悪なのは、女性との関係性です。不道徳な女性やこうした女性と付き合っている男性とは距離を置くことが非常に重要です。これは危険なことです。最も恐ろしい罠なのです。こうした女性との関係性で生じてくる類の(サンサーラの)束縛は、他の客体との関係性ではないことです。

昔々、ブラフマーは自分の娘を見かけて、突如として彼女の肉体的な美しさに取りつかれてしまいました。これに気づいた娘は自らの姿を牝鹿に変身させて、ブラフマーに捕まらないように素早く逃げました。主ブラフマーは牡鹿の形相をとって、彼女を追いかけました。この例から、この(女性との関係性の)問題で取り組むべき訓戒を理解することができます。この話は、過剰な情熱がはらむ危険性について語っているのです。ブラフマーは創造神です。つまり、創造神が、彼自らが創造したマーヤーの罠にいかに捕らえられてしまったのかということです。

最初に、ブラフマーは、マリーチやマハルシ等を創造しました。そして、彼らは、カシュヤパやプラジャーパティ等を創造しました。このプラジャーパティが神々や人間を創造したのです。こうした創造物の中で、唯一、「女性」というマーヤーに溺れることがなかったのが、ナーラーヤナ・マハルシです!

おお母よ!女性という形相の、私が創造した幻想の力(マーヤー)をご覧になってください。女性は、ほんの少し眉を動かすだけで、最も力強いこの世の覇者でさえもコントロールしてしまいます。彼女は、力強い男性たちを足で踏みつけることができるのです。

創造物の中で、何が永遠なもので何がその場限りのものであるのかを識別する叡智を身につけ、私に奉仕したいと願う人や、ヨーガの頂点に到達したいと望む人は、邪悪な心の女性とは必ず距離を置かねばなりません。

同じことが女性にも当てはまります。女性はそうした(邪悪な心の)男性から離れなければなりません。そうした関係性は、地獄への入り口にしかすぎないのです。

女性という形相をした幻想(マーヤー)が近づいてきた場合、男性は、これを草で覆われて見えなくなっている井戸だと思わなければなりません。細心の注意を払って、その女性から離れなければなりません。深い落とし穴の上が草で覆われていて、そこに牝象のイメージがあるようなものです。つまり、牡象を捕まえるための罠ということです。同じように、男性と女性は、お互いに異性に惹かれ合うがために、マーヤーというこの深い罠に落ちていくのです。

ここまでは、男性に注意を促してきました。ここからは、女性に警告していきます。

男性は、前世において女性に執着した結果、今生では女性として生まれ変わります。これは、執着と罪の結果です。この女性は、夫として尊敬し、お金や子供、家、その他の必需品を与えてくれるこの男性を、男性という形相の幻想(マーヤー)にしかすぎないと理解しなければなりません。

男性という形相も、女性という形相も、異性を陥れるための単なる幻想(マーヤー)であるということを理解してください。男性は、女性は彼を陥れるために創造されたマーヤーであると認識して注意すべきです。そして、女性もまた、男性はマーヤーであることを理解しなければなりません。

存在するものは、一つの段階から別の段階へ、そして、微細体(スークシャマ・シャリーラ)という媒体を介して、一つの肉体から別の肉体へと移動します。一方では、彼は過去の行為の報いを経験して、他方では、(今生の)新しい行為に絶えず浸っており、その果報をいずれ刈り取ることになるのです。この微細体は、彼が解脱するまで共に(輪廻転生の)旅を続けます。

感覚、五大元素、心からなるこの肉体は、この世の経験を享受するための道具にしかすぎないのです!肉体は徐々に小さくなって、消えていきます。生命も肉体も、最終的には破壊されます。行為を行う力が肉体にある限り、死ぬことはありません。肉体が行為を行う力を失う時、死が訪れるのです。

サンカルシャナーヤ・ナマハ

続く

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