ブログ

シュリーマド・バーガヴァタム 第177話

カテゴリー :

サティデーヴィは、続けました。
「おお吉祥なるものの権化よ!おおシヴァよ!ずっと前から、私は親類全員に会いたいと強く思ってきました。そこに行けば、姉妹全員に会うことができるのです。さらに、私のことをとても愛している母に会うこともできます。また、至高のマハルシたちが執り行っている吉祥なるヤグニャを見ることもできるのです。高く上がるヤグニャの旗を見ることもできるでしょう。

Tvayy etad āścaryam ajātma-māyayā Vinirmitaṁ bhāti guṇa-trayātmakam
Tathāpy ahaṁ yoṣid atattva-vic ca te Dīnā didṛkṣe bhava me bhava-kṣitim

おお生まれることのない主シヴァよ!純質、激質、暗質の性質の組み合わせの結果として創造されるこの世は、すばらしいものです。この世界は、あなたの幻力を通して、あなたが創造なさっているのです。そして、この世界は、あなたの中に存在し、そこにあり、見事に美しく輝いています。

ですが私はあなたの至高の本質を理解することができない哀れで無知な女です。そのため私は両親の家を訪ねたいのです。

おお主よ、生まれることのないあなたは、友人、知人、親類と離れ離れになる苦しみをご存じありません。あなたは、人の安寧のためには毒でさえも喜んで飲み込むほどに慈悲深い御方です。あなたの青みを帯びた黒い首はそれを象徴しています。

おお主よ、どうか、今一度、空をご覧になってください。天上界の女性たちは夫に伴われて、美しく盛装し、ヤグニャの会場に殺到しています。彼らがこのように移動すると、空はその白い飛空艇に装飾されて、美しさが増します。

おお主の中の至高なる主よ!父の家で行われる祭祀について知った後で私の体は身動きもせずにじっとして座っていられましょうか?私の心は、そこに行きたがっているのです。招待状がなくても、人は、友人、夫、グル、父親の家を訪ねていくものです。

おお主よ、あなたは、慈悲の権化です。どうか、私の望みを聞いてください。どうか、私の願いを叶えてください。あなたは、全知の御方です。あなたは、慈悲深く自身の体の半分を私にくださいました。どうか私の願いを叶え、私を祝福してください。」

シヴァは、愛しい妻が彼に言わなければならなかった全ての話を聞きました。彼は、過去に義理の父親がプラジャーパティ全員の前で発した、心がねじれるほどに意地悪な侮辱を思い出しました。シヴァは、高貴な心の持ち主が幸福であることを願っており、優しく微笑んで言いました。

おお美しい人よ!あなたが言ったことは本当だ。招待されずとも、親戚の家を訪問できるというのは正しいことだ。しかしながら、中には肉体を己と思っているために、思い上がりで、自信家で、怒りと憎悪の感情でいっぱいの人もいる。親類がそうした類の人たちでないならば、招待されずとも、彼らの家を訪ねるのは正しい。

叡智、苦行、富、美、若さ、名門の生まれは、高貴な人の六つの特徴だ。しかし邪悪な人であれば、これらの特徴は傲慢さにつながる。そして、識別力ある知性も枯渇していく。そのような思い上がりの者は尊大で慢心しており、高貴な人や偉大な魂の持ち主の栄光を理解することはできない。

ダクシャの心は、安定していない。彼の中には、差別心がある。たとえ親戚であろうとも、そのような人の家には敷居のそばでさえも近づいてはいけない。彼らとは、目を合わすことでさえも避けなければならない。理由は、彼らは、不道徳な心で客人のことを見るからだ。そして、眉毛を上につり上げて、憎悪に満ちた怒りの目つきで客人の目をのぞき込んで、その人を侮辱する。

近親者が邪悪な心で矢のように心に突き刺さる残酷で意地悪な言葉を発すれば、人は耐え難い苦しみを経験する。その深い悲しみが、日夜、彼らを苦しめる。戦争でひどい怪我を負った戦士でさえも、近親者に侮辱された人が経験するのと同じほどには苦しまない。そのような苦しみとは、意地悪で侮辱的な言葉が引き起こす苦しみだ。

おお美しい人よ!ダクシャ・プラジャーパティが、娘たちをとても愛しているのは疑いようのない真実だ。そして、私は、娘たちの中でも、あなたが特に彼にとって愛しい存在であることも知っている。愛しい人よ、それでも今あなたが好意的に迎え入れられることはないだろう。

私があなたの夫であるという事実が、これに関する唯一の理由だ。彼は、私に腹を立てている。内なる意識が、全ての存在の精神的活動を見ている。ダクシャの心は、憎悪に満ち満ちている。彼の感覚は、終わることのない悲しみのために苦しんでいる。

マハートマであれば、真我の中に確立すること(アートマ・ニシュタ)によって解脱という究極の状態を手にすることができるが、ダクシャの物質的な繁栄はそれを達成する助けにならないだろう。その無力感が、彼の中に嫉妬と憎悪の感情を強めた。そのため悪魔がシュリハリを嫌うように、ダクシャは私を嫌うの。

おお美しい人よ!この世では、親戚が集う時、彼らは起立して、愛情深くお互いを歓迎する。彼らは、挨拶をしてお互いにお辞儀をする。マハートマは、全ての存在の心の中にいる至高の主に対して、精神的なレベルでこれと同じことをする。しかしながら、彼らは、己を肉体であると考えているような無知な人のことは認識しない。

心が純質(サットヴァ・グナ)で満たされており、激質(ラジャス・グナ)や暗質(タマス・グナ)のかけらもない時には、心は完全に純粋な状態だ。そのような純粋な心の中では、暗質の仮面は、完全に粉々に壊されてしまう。至高の主は、そのような心の中で真我(アートマ)の形で輝いている。そのような純粋な内なる心をヴァスデーヴァと言う。そしてそのような純粋な心の中で輝いている主が、ヴァースデーヴァと呼ばれている。

感覚で主を知ることはできない。感覚が完全に引っ込んで、心が本来の姿と一つになる時、主は内なる真我として明らかになる。それゆえに、主はアドクシャジャなのだ」

アドクシャジャーヤ・ナマハ

続く

PAGE TOP