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シュリーマド・バーガヴァタム 第188話

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ヤグニャに集まった客人たちは続けました、「おお主よ、この世界では、悲喜や勝敗等の二元性が、人が繰り返し陥ってしまう深い落とし穴となっています。さらに、世の中には「不道徳な人」という獰猛な野生動物がいるため、彼はひどく苦しみます。その苦しみには際限がありません。

おお主よ、サンサーラという森には、深い悲しみという大きな火が絶えることなく燃えています。この道で人は肉体、家、富、苦闘という重たい大きな荷物を背負っているのです。そして、感覚的な喜びという蜃気楼を熱心に追いかけています。欲望があるからこそ、人はこの世の道に夢中になるのです。おお主よ、そのような愚か者であっても、あなたの蓮華の御足にすがりつけば、彼らは必ずやあなたの守護を得ることができます。おお主よ、いつになったら、彼らは、あなたの御足という庇護を求めることを学ぼうとするのでしょうか?

スワミジの説明:

絶え間ない苦しみの後でさえ、なぜ人は主に服従できないのでしょうか?ただ服従しさえすれば、彼らは苦悩から解放されるのです。彼らは肉体の痛みを嘆きます。しかし、ただの一度でさえも、その痛みをパラマートマに差し出しません。このような愚か者は、痛みを経験しているのは彼らの肉体なのだから、パラマートマにはその役割はないと考えているのです。彼らは、この肉体が全てであると考えています。彼らによれば、肉体的な喜び自体が解放なのです。

人が経験する肉体的・精神的苦悩には、際限がありません。人は自身の三つの体の全てで苦しみます。彼が心の底から主に服従しさえすれば、主は必ず守護してくれるのです。

人を陥れているこの幻想とは何なのでしょうか?どの瞬間においても、「私と私のもの」という感情が彼らの心の中で動いています。「これは私のものです」「彼は私の親戚です」「彼女は私の娘です」「これは私の肉体です」「具合が悪いので、私は手術をして治療する必要があります」「これは私の痛みです」―彼らはこのように考えるのです。その痛みを治療すべきではないと言っているのではありません。医者に行って治療を受けるのは、正しいことです。しかし、その一方で、この肉体と痛みを主に差し出すのです。とどのつまり、いつかは、あなたは、この肉体を離れなければなりません。どんなに注意して病気にならないようにしても、また、病気を治そうとして治療し続けたとしても、実のところ、いつか、あなたはこの肉体を離れなければならないのです!肉体を連れていくことはできないのです。

あなたは、「生きている限り、この肉体で快適に過ごさなければならない」と言います。これは、あなたは肉体を離れた後の幸せを探求しないという意味でしょうか? あなたが肉体を放棄した後でさえも少しでも幸福を求めるならば、感覚と痛みを主に差し出してください。「この肉体に痛みを経験させてください。結局のところ、これが私の運命です。私はこれを経験する必要があります」というのです。どうして、誰も、苦しみと痛みに対するそのような堅固な態度を発達させることができないのでしょうか?

その他のあらゆる点においては、人は断固とした態度を取ります。彼は、欲望は叶えられるべきだ、あらゆる議論に勝利するべき、病気から回復しなければならない等、と断固主張します。ここでもう一度、私は医療や治療に反対しているのではないと繰り返します。日常的な混乱や誤解は正されるべきではないと言っているのではありません。しかし、回復に向けて行動するのと同時に、精神的に主に全託してください!どうして、あなたはこれを実践できないのでしょうか?これが、ヤグニャに集まった客人たちが疑問に思ったことでした。さあ、バーガヴァタムに戻りましょう。

それから、ルドラは祈りました、「おおシュリハリよ!おお恩恵を与えてくださる御方よ!欲望でいっぱいの幻惑された生命体も、何の欲望もないマハルシも、この宇宙の創造物は皆、あなたの蓮華の御足を崇めます。」

スワミジの説明:

ただ欲望を叶えるために主を崇拝するのは、間違った考え方です。真実は、欲望のない人でさえも、主の聖なる御足を崇拝するのです。彼らは主に守護を求めます。彼らは至高の主そのものを得ようとするのです。欲望のある人は、自身の肉体を愛しています。

欲望のない人には、そうした肉体に対する執着や愛はなくなっていたでしょう。彼は、肉体のある間は、経験は必須であると理解しています。そのため、存在するのに必要な分だけ肉体を保持します。彼は生きていくのに必要な分だけを食べます。彼は生命をつなぐ分だけ呼吸します。彼はこの一線を越えては奮闘しません。

これに反して、私たちは肉体を保持するために永遠に奮闘しています。これよりも重要なことは、私たちは一生懸命になって資産を獲得しようとしていることです。あなたは、なぜ資産の獲得に奮闘しているのか分かっていますか?あなたは子供たちの健康を求めて奮闘します。しかし、その過程では、子供たちは、奮闘してお金を稼ぐことが何なのか、分かっていません。鳥でさえも、ひな鳥の翼がしっかりしてくれば、自分でエサを取ってこさせるようにします。鳥も奮闘して、自らの道を模索します。これがカルマの法則です。

しかし、人間は、三歳までは両親を頼りにしています。幼児は、三年間、母親にきちんと栄養をもらえば、生きていけます。その他の生命体は皆、はじめから独立してエサを獲得し生きています。

続く

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