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ダッタ・スタヴァの唱え方(第五詩句)

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Brahmanyaṃ dharma tattvajnam bhakta keerti vivardhanaṃ ǀ
Bhaktābhiṣṭa pradaṃ vande smaṛtrgāmi sano’vatu ǀǀ
ブラフマニヤム・ダルマ・タットヴァグニャム・バクタ・キールティ・ヴィヴァルダナム
バクタービーシュタ・プラダム・ヴァンデー・スマルトルガーミ・サノーヴァトゥ

この句では非常に特別な意味が説明されています。
私たちはこの主には名前がないということをいつも覚えておく必要があります。ダッタートレーヤとは「アトリの贈り物」という意味であって、彼の名前ではありません。「スマルトルガーミ・サノーヴァトゥ」が主自身の名前であることを理解しなければなりません。私たちが主のことを考えるだけで彼は喜びます。シヴァは「アビシェーカ・プリヤ(洗礼を好む者)」と言われています。つまりシヴァにとってはガンガー(ガンジス川)の水でのアビシェーカ(洗礼)は非常に大切なものです。ヴィシュヌは「アランカラ・プリヤ(装飾を好む者)」、ヴィシュヌは様々な花とピータンバラ(黄色の衣服)での装飾を好みます。ダッタは「スマラナ・マートラ・サントゥシュタ(わずかな思いに満足する者)」であり、彼のことをただ思うだけで非常に喜びます。「ダッタ」と私たちが思うと彼はすぐに喜びます。
少しひねった微妙な方法で主ダッタが信奉者を助けるときにとる方法がこの句で説明されています。

「ブラフマニヤム」

ブラフマーにとって好意的/友好的であり、ブラフマーの幸せをもたらすもの、ブラフマーの繁栄をもたらすものはブラフマンニャです。ダッタートレーヤは真のブラフマンニャです。
ではブラフマーはどのような存在でしょうか?
ブラフマーという言葉には多くの意味があります。タパス(苦行)、ヴェーダ、カースト(ジャーティ)、ジュニャーナ(叡智)、創造主(シュリスティ・カルタ)、またパラマートマ(真我)などの意味もあります。

苦行(タパス)に繁栄をもたらすものはブラフマンニャです。タパスとはジュニャーナ(叡知)、ディヤーナ(瞑想)、エーカグラタ(一点集中)、必強固な決心を意味します。例えば、始めた仕事についての強固な決意や完全な集中はタパスです。
ブラフマンニャは、ヴェーダを実践したり、全ての生き物にヴェーダを聞こえるようにする人のことを意味します。全てのカーストの人たちに幸せにさせる人、人に叡智(ジュニャーナ)を与える人のことも指します。どうやって知識は分けられるのだろうかと疑問に思うかもしれません。どんな存在も知識のために祈ると、彼はその人の知識が増すような形でその人を祝福することができるはずです。この創造や創造主にとって好ましい道を歩く人はブラフマンニャです。ブラフマンニャはパラブラフマーを理解した(真我を悟った)人のことも指します。

このように説明された全ての定義が当てはまる人が真のブラフマンニャです。それは主ダッタートレーヤ以外の何ものでもありません。

ブラフマーという言葉は「グル・ブラフマー」という言葉を思い出させます。
上記の特質は同時にサッドグルにも見られます。このためサッドグルは「グル・ブラフマー」と呼ばれます。どうしてグルはブラフマーと呼ばれるのでしょう? それは、「ブラフマー」という言葉の意味で説明された一部、または全てのある人を祝福できるからです。グルがシヴァの姿で私たちの全ての罪を除去するときは、彼のことをグル・デーヴォー・マヘーシュワラと呼びます。。

「ダルマ・タットヴァグニャ」

上記で説明した全ての理由のために、彼はダルマ・タットヴァグニャ(ダルマの本質を知る者)です。
彼はマーナヴァ・ダルマ(人間のダルマ)の知識に熟達しています。また彼は定められたダルマを人間が遵守するときに人間が得るものを完全にわかっています。また彼は、ダルマ(ダルマ・シャーストラ)に関連するすべての聖典で説明されているタットヴァ(本質)を熟知しています。人類を高めるために必要なものとは何でしょう?人類が到達する目的地/最終的な真髄とは何でしょう?この全てを彼は非常によくわかっています。

「バクタ・キールティ・ヴィヴァルダナム」

ダッタートレーヤは最初のグル(アーディ・グル・ムールティ)です。彼はブラフマーの本質とダルマの本質(ダルマ・タットヴァ)を信奉者につねに説きます。ブラフマーという言葉の意味については理解してきました。ダルマは正しい行為の一連の規定です。この知識をいつでも信奉者に授けて、彼はキールティ(栄光)で彼らを祝福しているのです。つねに彼の焦点は信奉者の栄光を確実にすることにあります。

「バクタービーシュタ・プラダム」

彼はまた信奉者の全ての望みを叶えることを確実にします。
信奉者の名声を高めることに加えて、いくつもの転生の間、心にあった望みを叶えます。信奉者にとって正当なものだけを与える一方で、求めてきた全てを達成したという思いを引き起こします。その幻想を通して彼は信奉者たちの気持ちを高めます。

「この個人の望みが100%叶うことを望みます」と断固として述べる信奉者は、実際には信奉者でもなんでもありません。真の信奉者とは自分の望みを完全にパラマートマに任せる人のことです。信奉者たちは様々な欲望を楽しみます。そのすべてを叶えることは無理です。二人の患者がホールにいて、同じ医者が両方とも治療することを仮定してみましょう。一人には自由に歩けるようにするために注射をします。ベッドに寝ている二人目は、一人目が処方された治療と同じものを要求することはできますか?異なる病気は異なる治療の手順が必要です。二人目の患者は回復するまでしばらくの間ベッドに寝ていなければなりません。彼は医者に不当だと文句を言うことはできません。

「私のグルはあの人に富を祝福した。彼は全てを与えた。あの男性を見てください。グルは、最初は非常に無知だった彼を学者にした」など、他の信奉者を見てそのような比較をするのは間違っています。彼らがこの治療を必要としたことを理解する必要があります。彼らのカルマはそのような方法で書かれていたのです。そこから彼らはまた落とされるのです。そこからまた問題(ターパトラーヤ)に直面するのです。それはあなたには関係ありません。
彼は時間と状況にもとに、望むものと必要なものをそれぞれに与えます。同時に主は、彼や彼女が求めていたものを正確に与えたような錯覚を引き起こします。ですが「私が望むものは重要ではない。主が望むものを与えていただこう」と考える人がいます。彼らは真の信奉者です。「この欲望を楽しむことは私の側の間違いでした。どうぞお許しください。あなたの御心のままに」そのように信奉者は言います。「この小さいことは運命づけられたものです。それなら、どうして大きいものを期待しなければならないのでしょうか?このかえってきた小さいもので満足です」

このように信奉者の望みを叶えながら、主はジュニャーナ(叡知)を授けます。ブラフマー・ジュニャーナとダルマ・ジュニャーナのプロセスを通して、彼は望みを叶えます。これが主ダッタが彼の信奉者を祝福する一つのやり方です。そのような素晴らしい方法です。

ヴァンデー:この主に敬意を捧げます。

スマルトルガーミ・サノーヴァトゥ:呼びかければすぐに応えてくださるその主が私たち皆を守ってくださるように!

どのような状況においてもこのスマルトルガーミ・サノーヴァトゥのキーワードを忘れてはいけません。

<続く>

☞ダッタ・スタヴァ(全詩句)
☞ダッタ・スタヴァ 音声(英語表記あり)

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