ブログ

シュリーマド・バーガヴァタム 第197話

カテゴリー :

Dharmārtha-kāma-mokṣākhyaṁya icchec chreya ātmanaḥ
Ekaṁ hy eva hares tatra kāraṇaṁ pāda-sevanam

人生の四段階の原理(プルシャールター)で吉祥を求める人は、必ず主シュリハリの蓮華の御足を崇拝しなければなりません。これが唯一の道です。

ですから、愛する息子よ、ヤムナー川のほとりにあるマドゥヴァナの森に行きなさい。そこはとても純粋で清浄な場所です。シュリハリは、いつもそこにいます。あなたに吉祥が祝福されますように!

ヤムナ川の清浄な水で一日三回、沐浴しなさい。最善を尽くして、ヤマとニヤマを訓練しなさい。適切な姿勢(アーサナ)を組みなさい。適切なヨーガのポーズをとり、息を吸って、吐き出し、そして、止めて、プラーナーヤーマを練習しなさい。

時間をかけて規則正しく練習することによって、プラーナやアパーナ等の動きは、均等に混ざり合います。心から不安定さ等の弱点がなくなります。感覚に揺さぶられることも少なくなっていきます。言い換えれば、心と感覚が制御されるということです。

そして、意識を完全に集中して、至高の主シュリハリを瞑想しなさい。彼はこの宇宙の創造の神であり、御身の信仰者を永久に祝福してくれるのです。

シュリハリは、嬉々とした美しい目をしています。鼻はきれいで高く、美しい形の眉毛、愛らしい頬をしています。美において主は神々の全てを超越しています。永遠の若さを保っています。全ての肢体は好ましいものです。目や唇は赤い色をしています。主は心地良さをふり注いでくれます。全託する人たちの避難場所でもあります。そして、慈愛にあずかる価値のある人たちにとっては、慈愛の海のような御方です。

胸には、スリーヴァスツァという美しい印があります。御顔は青みがかった黒い雲のようです。長いヴァナマーラの花輪をかけています。そして、四本の手には、巻貝、円盤、蓮、槌矛を持っています。

腰には黄色い絹の布を巻きつけています。金色のウェストバンドにはたくさんの小さな鈴が装飾されています。そして、目が眩むほどの明るさの金色のアンクレットを身につけています。主は全ての美の象徴です!その姿形は嬉々としていて、心と目に大きな喜びをもたらしてくれます。

指の爪はルビーのように光っています。信仰者は、己のハートの蓮華の中心に主の聖なる御足をつかんで離しません。そのような熱心な信者のハートの蓮華の中に、主は住んでいるのです。

眼差しからは、愛と慈悲があふれ出ています。主は恩恵を与えてくれる者の中で一番の存在です。霊的求道者は、主シュリハリに己の心を結び付けて、心を制御しなければなりません。心を完全に集中して、至高の主の御姿を瞑想するのです。

Evaṁ bhagavato rūpaṁ subhadraṁ dhyāyato manaḥ
Nirvṛtyā parayā tūrṇaṁ sampannaṁ na nivartate

主の最高に吉祥な御姿だけを瞑想する求道者は、その心がすぐに至高の至福に満たされることでしょう。瞑想の対象、すなわち、主の御姿から心をそらすことなく、意識をそこに集中し続けます。

おお王子よ!これらの教訓に加えて、どうか、私がこれから伝えるマントラを唱えてください。人は、このマントラを七日間唱えることによって、天上界の真我を確立した存在(シッダ・プルシャ)のダルシャンを受けることができます。

oṁ namo bhagavate vāsudevāya
mantreṇānena devasya kuryād dravyamayīṁ budhaḥ
saparyāṁ vividhair dravyair deśa-kāla-vibhāgavit

「オーム」(オームカーラ)は、至高の主を単に言葉で象徴したものではありません。この言葉は、主の御姿について教えてくれます。至高の主は、この宇宙に創造された全生命に内在する意識(チャイタニヤ)の中にいます。そのような主に対して、私は尊敬の念を込めてお辞儀します。これが、オーム・バガヴァテー・ヴァースデヴァーヤというマントラの意味です。

知力のある信奉者は、様々な季節、時間、場所に応じて主を崇拝するプロセスを理解しなければなりません。こうした状況や季節に応じて、入手した材料で主を崇拝し、同時にマントラを唱えなければなりません。

信奉者は、澄んだ清浄な水、花輪、森で見つけた様々な果物や野菜で主シュリハリを崇拝しなければなりません。聖典に定められているように、主シュリハリに対して、植物(ガリカ)、様々な葉、そして、最重要なこととして、主の大好きなトゥルシーの葉を捧げなければなりません。

信奉者は、石やその他の金属で出来た偶像を手に入れなければなりません。可能であれば、自分自身の偶像を用意しても良いのです。または、清浄な土や水でシュリハリを崇拝するべきです。信仰者は心を制御して、心穏やかに沈黙を守ります。おしゃべりも慎むべきです。

森で見つけた果物や野菜のみを食するべきです。食事の量は、最低限に留めなければなりません。

至高の主は、御身の自由意思によって化身して、数多の神聖な御業を行います。主の神聖なる遊戯について、信奉者は思いを巡らせなければなりません。

Paricaryā bhagavato yāvatyaḥ pūrva-sevitāḥ
Tā mantra-hṛdayenaiva prayuñjyān mantra-mūrtaye

マーダーヴァーヤ・ナマハ

続く

PAGE TOP