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シュリーマド・バーガヴァタム 第205話

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第四巻、第十一章です。

この章では、ヤクシャ軍が壊滅していくのを見ていたスワヤンブヴァ・マヌが、孫のドゥルヴァに近づき、至高の本質を伝えます。そして、ドゥルヴァはヤクシャと戦うことを止めます。

マイトレーヤ・マハルシはヴィドゥラに言いました、「おおヴィドゥラよ、戦いの勝利を願うドゥルヴァは、主シュリハリの助けを求めるように忠告したマハルシたちに耳を傾けました。ドゥルヴァはすぐにアーチャマナ(浄化の儀式)を行って、ナーラーヤナ・アストラという矢を準備しました。

霊的な叡智(ジニャーナ)が生じると、霊的無知(アヴィディヤ)、自我意識(アハンカーラ)、好き嫌い、死の恐怖が消えていくように、ドゥルヴァがナーラーヤナ・アストラを構えた瞬間、ヤクシャが創りだした全ての幻想が消え去っていきました。

ナーラーヤナ・アストラという武器は、ナーラーヤナ・マハルシが顕現させたものです。ドゥルヴァがこの矢を弓につがえると、高貴な白鳥のような巨大な翼と金色の縞入りの羽をした無数の矢がそこから放たれました。シューという大きな音を立てて森の中に入っていく孔雀のように、矢は稲妻のような音を出して、敵の軍勢に切り込んでいきました。鋭い矢はヤクシャの肢体を切り裂き、多くの戦士がひどい怪我をしました。

ガルダが果敢に蛇に向かっていくように、激怒したヤクシャたちは武器を掲げて、あらゆる方向から寄ってたかってドゥルヴァに襲い掛かっていきました。ドゥルヴァは恐ろしいほどに力強い矢を放って、猛攻撃してくる敵方の頭、手、足、腹を痛めつけました。

この恐ろしい戦いの末、肉体を離れたヤクシャたちは、霊的な探求を行ったことにより、至高の聖者のように高位の天界に到達し、太陽系を通り越して、最終的な目的地であるサティヤ・ローカに到達しました。

ドゥルヴァは色彩豊かな戦車に乗り込むと、意気揚々と戦場を駆け巡り始めました。

孫のドゥルヴァが何の過失もない何千もの無実のヤクシャを殺しているのを見たスワヤンブヴァ・マヌは、穏やかならぬものを感じました。そして、ヤクシャに対する哀れみが内面から生じてきました。彼はマハルシたちを伴ってドゥルヴァに近づくと、言いました、

Alaṁ vatsātiroṣeṇa tamo-dvāreṇa pāpmanā
Yena puṇya-janān etān avadhīs tvam anāgasaḥ

愛する孫よ!人は強烈な怒りを感じると、罪を犯して地獄に落ちてゆく。さらに、生と死の終わりのないサイクルに捕らわれたままとなるのだ。お前は激しい怒りのエネルギーに負けて、罪のないヤクシャを殺してしまった。高潔な人は、この恐ろしい行為を非難することだろう。

ヤクシャを殺すというその行為は、我々の血統にふさわしくない。お前が、無実のヤクシャを殺すことに一生懸命になっていたからだ。弟に対するお前の愛が無比であることは本当だ。そしてまた、お前が彼の死に苦しんでいることも本当だ。しかし、大勢の中の一人が犯した過ちのために、お前が一族全体を罰しているのも本当のことだ。お前の行動は価値があって、正当化されると思うか?

Nāyaṁ mārgo hi sādhūnāṁ hṛṣīkeśānuvartinām
Yad ātmānaṁ parāg gṛhya paśuvad bhūta-vaiśasam

肉体を愛しているから、動物は殺し合う。同様に、この肉体を真我(アートマ)と思っているから、お前は他者を殺すのだ。お前の行為は卑劣だ。こんなことは、お前のように偏在する主シュリハリに献身奉仕する高貴な者が進むべき道ではない。

Sarva-bhūtātma-bhāvena bhūtāvāsaṁ hariṁ bhavān
Ārādhyāpa durārādhyaṁ viṣṇos tat paramaṁ padam

あらゆる生命体の大神であり、その内なる真我として住まわれる主シュリハリを崇拝するのは、たいそう難しい。お前は、あらゆる生命体は様々な姿をした主の顕現にすぎないことを理解して、遍在する主シュリハリを崇拝してきた。

お前は究極の目的地であり、ヴェーダが大いに称賛している主の住まいを獲得した。お前はシュリハリが覚えているほどの至高の信奉者なのだ。主の信奉者たちは、お前のことを神聖な気質の持ち主だと思っている。

さらに、お前は、高潔な聖人が守るべき規範をナーラダ・マハルシから直接学んだ。そして、お前はその模範的な態度を通じて、高貴で神聖な人たちの導き手となってきた。それなのに、どうしてこのような過ちを犯すことができようか?

シュリハリは、真我としてあらゆる生命体に内在しているのは分かるかな。そして、主は、あらゆる生命に対する忍耐、慈悲、愛を持ち、主は全てであるという信念を持つ人にこの上なくお喜びなるのだぞ。主に完全に祝福された人は、この微細な体や物質自然の三性質から生じる世俗の束縛から解放されるのだ。このような信奉者は、至福の権化である主の中に完全に溶け込んでゆくのだ。

五大元素は、この宇宙の男性性と女性性に変化してゆく。男性性と女性性が結合すると、また別の男性性と女性性が誕生する。

Evaṁ pravartate sargaḥ sthitiḥ saṁyama eva ca
Guṇa-vyatikarād rājan māyayā paramātmanaḥ

主の幻想によって、トリグナ(サットヴァ、ラジャス、タマス)のバランスが崩れ、その結果、肉体が創造される。肉体はある一定期間存在し、消滅してゆく。こうして、創造、維持、破壊が起こってくる。至高の主は、この創造、維持、破壊の行為をただ鑑賞しているだけなのだ。

磁石があれば鉄片が動くように、パラマートマーが存在するだけで、未顕現からこの世界が顕現する。その後、世界は再び主の中に統合されてゆくのだ。

シュリダラーヤ・ナマハ

続く

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