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シュリーマド・バーガヴァタム 第206話

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スワヤンブヴァ・マヌは続けました、「時間という神のエネルギーによって、物質自然の三性質(トリグナ)の中に動きが生じる。三性質(トリグナ)が均衡を崩す。その時、純質、激質、暗質(サットヴァ、ラジャス、タマス)という性質が原因となって、創造、維持、破壊という区分が神のエネルギーの中に生じてくる。このようにして、主は実際には何の行為に巻き込まれることもなく、この宇宙を創造しているのだ。そして、主は破壊者になることなく、破壊しているのである。

神聖なる遊戯は、心の理解の範疇を超越している。時間の姿をとり存在している至高の主には、誕生、変容、あるいは、死というものはない。ある生き物が別の生き物を創造することによって、彼は創造主となっている。死は神の顕現であるが、動物が他の恐ろしい動物に殺されることによって、彼は破壊者となるのである。

至高の主は、時間の顕現である御方だ。主は、あらゆる生命体の中に等しく存在しておられる。主は時間となって、生命体の肉体を破壊する。この破壊の側面においては、主は中立を保ち、友人、親戚、敵という区別をすることはない。これが究極の真理なのだ。

風が吹けば、埃が宙に舞う。同様に、己の存在を享受していない人は、時間として顕現する至高の主の後について生きている。言い換えれば、生命体は、それぞれの運命に応じて、時間の影響を受けて輪廻転生の罠にはまるのだ。

至高の主は遍在している。主が成長したり、縮小したりすることがないことには疑いがない。神が変容することはない。主は永遠に彼自身の姿のままでいる。一方、人という存在は、その運命に応じて生きている。至高の主は、その人の運命に応じて報いを与えるのだ。神々や天上界の存在といった肉体を与えることによって、主は彼らに長寿を祝福する。そして、バクテリアや虫の肉体を与えて、その者たちを短命にするのだ。

おお皇帝よ!カルマ・ミーマームサカ派(祭式研究学派)の哲学者は主を運命(カルマ)として定義し、チャールヴァーカ(唯物学派)は生来の性質(スワバーヴァ)として呼び、ヴァイシェーシカ(自然哲学派)は時間(カーラ)と呼び、占星術家は諸惑星の姿で存在する御方と呼び、ヴァートサーヤヤナたちは願望と呼ぶ。言葉は違えども、彼らの全員が主の存在を受け入れているのだ!

我が子よ、主には性質がないから、目に見える証拠や知識という直接的な手段では、主を理解することはできない。この宇宙の創造にある様々なエネルギーは、神のみから生じている。全てのエネルギーを顕現させる神の意図を、創造物である誰が理解できるというか?そんな者は誰もいない。そうであるならば、己が誕生したところの至高の主の本質を、人が理解することなどできようか?

Na caite putraka bhrātur hantāro dhanadānugāḥ
Visargādānayos tāta puṁso daivaṁ hi kāraṇam

我が子よ、クベーラの従者であるヤクシャには、お前の弟の死に対する責任はないというのが真実なのだ。あらゆる生命体の生と死に責任があるのは、時間として顕現する至高のイーシュワラだけなのだ。

お前はヤクシャが弟を殺したと思って彼らを殺している。しかし、至高のイーシュワラだけが、この宇宙全体を創造、維持、破壊している。だが、神には「私が行為者である」という感覚は全くない。このため、主は純質、激質、暗質(サットヴァ、ラジャス、タマス)という性質、あるいは、その行為から生じる果報の影響を全く受けないのである。

Eṣa bhūtāni bhūtātmā bhūteśo bhūta-bhāvanaḥ
Sva-śaktyā māyayā yuktaḥ sṛjaty atti ca pāti ca

至高の主は、あらゆる生命体の真我(アートマ)として内在しているのだ!神が彼らを管理し支配している。主は御身の幻想の力で、それぞれの存在を創造、維持し、それから、御身の中に吸収していく。この至高の主だけが、創造全体の唯一の避難場所なのだ。

死は時間であるが、神は死となって顕現し、現象の世界に存在する。そして、意識(チャイタニヤ)や甘露となって心の中に存在する。それゆえに、愛する我が子よ、どうか、主はあらゆる生命体の中にあることを知りなさい。主に庇護を求めるのだ。あらゆる思考を止めて、心を完全に神に結びつけるのだ。

雄牛が鼻を縄につながれて引かれていくように、あるいは、家臣が皇帝に貢物をするように、(この世界の長である)偉大なプラジャーパティでさえも、花といった物質的な贈り物を神に捧げている。彼らは神に支配されて、一生懸命にその命令に従っているのだ。

お前は、五歳の時、義理の母親の侮辱的な言葉に心を痛めた。そして、母がいる家庭という快適さから離れて深い森の中に入り、厳しい苦行をした。感覚を制御し内面を見つめて(アンタルムカ)、至高の主シュリハリを瞑想した。お前は三界を超えた領域である北極星の地位を獲得した。

Tam enam aṅgātmani mukta-vigrahe
Vyapāśritaṁ nirguṇam ekam akṣaram
Ātmānam anviccha vimuktam ātma-dṛg
Yasminn idaṁ bheda masat pratīyate

おおドゥルヴァよ、シュリハリは永久に解放された存在だ。主が真我なのだ。主を見ることができるのは、完全に純粋な心の中だけである。主は無性であり、非二元性だ。内面を見つめて、己の中に不滅の主を求めるのだ。それと同時に、真我である主に対して自我意識のない愛を育てるのだ。」

シュリーダラーヤ・ナマハ

続く

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