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シュリーマド・バーガヴァタム 第209話

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ドゥルヴァは死を踏み台にして、天上界の飛行船に乗り込みました。死を踏みつけることが出来る人などいるのでしょうか?ここでは、彼が死を克服したと理解すべきです。彼を天上界の飛行船に乗せるために、死がやってきたのです。

その瞬間、ガンダルヴァが、天界のドラムやケトル、トランペットを鳴らしました。トゥンブラや年配のガンダルヴァたちが、美しい旋律で歌いました。花が雨のように降ってきました。

ドゥルヴァは聖なる飛行船に乗り込もうとした時、母親のスニーティのことを思い出しました。「おお、私は無力な母を残して、なんとも得難い、この神聖な飛行船へと向かっている」と思ったのです。サナンダとナンダは、ドゥルヴァの考えていることを読み取りました。彼らはスニーティが天上界の飛行船に乗って、自分たちよりも先に神の道を旅している様子をドゥルヴァに見せました。

神々はゆく先々でドゥルヴァに花を降り注ぎ、称賛しました。ドゥルヴァの飛行船はあらゆる惑星を通過して、素早く移動していきました。ドゥルヴァは天上界の飛行船で神の道を移動しながら、三界と七人の聖者の星団(サプタリシ・マンダラ)を通過しました。そして、これらの領域を超越したシュリハリの住まいに無事に到着しました。こうして、彼は、死を超越した永遠なる目的地を獲得したのでした。

シュリハリの住まいは、光り輝いています。その輝きの中で、三界は輝いているのです。この至高の目的地に到達できるのは、あらゆる生命を哀れんで吉祥な行為に従事する、非常に高潔な徳の高い人だけです。あらゆる生命体に同情心を抱くことのない邪悪な人は、決してこの領域に到達することはできません。

Śāntāḥ sama-dṛśaḥ śuddhāḥ sarva-bhūtānu-rañjanāḥ
Yānty añjasācyuta-padam-acyuta-priya-bāndhavāḥ

この至高の目的地にたやすく到達するのは、心が幸福で平安な人、遍在する至高の主を見る人、心がこの上なく純粋な人、あらゆる生命体を幸福にする人、シュリハリとその熱心な信奉者を自身の親戚のように思う人です。

ウッタナパーダの息子ドゥルヴァは、心が非常に純粋であり、シュリハリに対する断固とした信念を持っていたので、シュリハリの住まいという最終目的地に到達することができました。三界の全てに対して、彼は王冠の宝石のように輝いていました。」

このように、マイトレーヤ・マハルシは、ドゥルヴァの栄光を称えました。そして、ヴィドゥラに言いました、「牛の群れが、脱穀している田んぼの真ん中にある柱を素早く回るように、この太陽系は、この北極星(ドゥルヴァ・マンダラ)の回りを迅速に力強く循環し、その統御の下にあります。

ナーラダ・マハルシはドゥルヴァの偉大さに感銘を受けて、プラチェーターたちが執り行っているサトラ・ヤーガに出向きました。そして、ヴィーナを演奏しながら、次のようにドゥルヴァの栄光を称えました。

スニーティという純潔な女性の息子ドゥルヴァは、猛烈な苦行を行って、この究極の結果を手にしました。ヴェーダに詳しいマハルシでさえも、この至高の地位を獲得することはできません。彼らは、ドゥルヴァの努力に相当する内面的な訓練と苦行(アンタランガ・サーダナ)に取り組むことができないからです。こういうわけですから、王位にある者たちであっても、その地位を獲得できないとあえて言う必要はありましょうか?

ドゥルヴァは五歳の時、義理の母親の過酷な言葉が心に突き刺さって、大変苦しみました。彼はその侮辱に耐え切れず、森に向かって出発しました。そして、私の忠告を心に留めて、猛烈な苦行を行いました。シュリハリを喜ばすことは、疑いもなく難しいことです。神は、御身の信奉者の徳高き神聖な性質にのみ心を開かれます。ドゥルヴァは、主シュリハリの試験に合格して、主を己のものとしたのです。

この世の最良の皇帝たちでさえも、ドゥルヴァと比較すれば、その地位は彼に及びません。何年厳しい苦行を行っても彼らはドゥルヴァが獲得した究極の住まいに到達することはできません。また、彼らはその住まいを求めるにも値しません。

五歳のドゥルヴァは、数カ月という短期間の献身奉仕を行って、知性の聖所の中に住まわれる至高の主を喜ばせました。彼はシュリハリの住まいに到達したのです。」ナーラダ・マハルシは、このようにドゥルヴァの栄光を賞揚しました。

マイトレーヤ・マハルシは続けました、「おおヴィドゥラよ、あなたが求めた通りに、私はドゥルヴァの至高の物語を話しました。高貴な人はこの話を敬慕して、栄光を称えます。

Dhanyaṁ yaśasya-māyuṣyaṁ puṇyaṁ svasty-ayanaṁ mahat
Svargyaṁ dhrauvyaṁ saumanasyaṁ praśasyam agha-marṣaṇam

ドゥルヴァの物語は、繁栄、長寿、名声を授けてくれます。この純粋な物語は、あらゆる吉祥の宝庫です。この誉れ高い物語は、天界や北極星の地位(ドゥルヴァ・パダ)を祝福し、神々しさで満たしてくれます。そして、あらゆる罪を破壊して、心を幸福で満たしてくれます。

シュリハリは、ドゥルヴァをこの上なく愛しています。ドゥルヴァも同様に、シュリハリをこの上なく愛しています。ですから、この話を献身的に何回も聞く者は、シュリハリに対するゆるぎない献身を祝福されるでしょう。

このように献身的になることによって、霊的無知(アヴィディヤ)、自我意識、好意、嫌悪、死の恐怖という五つの精神的不幸の原因が消えていきます。

Mahattvam icchatāṁ tīrthaṁ śrotuḥ śīlādayo guṇāḥ
Yatra tejas tad icchūnāṁ māno yatra manasvinām

自らの意思でこの物語を聞く者は、多大なる富か神聖な輝き(ブラフマヴァルチャ)のいずれかを祝福されるでしょう。そして、善良な性格や高貴な資質が生じてきます。社会からの尊敬を求める者には、それが祝福されるでしょう。

Prayataḥ kīrtayet prātaḥ samavāye dvi-janmanām
Sāyaṁ ca puṇya-ślokasya dhruvasya caritaṁ mahat

栄光を称えるに値する、この純粋なドゥルヴァの物語を詠唱せんと欲する者は、多大な献身と集中力をもって、朝夕にブラフミンたちが集まる機会にこれを唱えるべきでしょう。

その者は全力を尽くして、満月、新月、ドワーダシ(月の二週間の十二日目)、シュラヴァナ・ナクシャトラ(宿星)の期間、サンクランティ(星座移行の時)、日曜日、ラタ・サプタミー(マガー月の満ちていく月の七日目)の日にこの物話を唱えなければなりません。

聖なるガンジス川を生み出したシュリハリの蓮華の御足に完全な庇護を求める信奉者は、何を期待することもなく、献身奉仕に励む者にこの話を語るべきです。人はこうして内なる幸福に満たされます。こうして、その人は真我に確立して(アートマ・ニシュタ)、人生の目標を実現します。

至高の真理に気づいていない人たちにこの物語を伝えて、「叡智」という甘露を分け与える人は、無力な人たちの幸福を求める哀れみの心の持ち主です。そのような人には、神々の祝福がもたらされるでしょう。

おおヴィドゥラよ!ドゥルヴァの物話は、この世界で喝采されています。彼は子供時代に母親のもとを離れ、おもちゃで遊ぶこともせずに、主シュリハリに庇護を求めました。私は、その物語の全てを話しました」と、マイトレーヤ・マハルシはヴィドゥラに言いました。

第四巻、第十二章はこれで終わりです。

続く

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