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シュリーマド・バーガヴァタム 第210話

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第四巻、第十三章です。

この章では、ドゥルヴァの血統にある皇帝プリトゥの誕生や、皇帝アンガが息子のヴェーナの悪事に嫌気がさして王国を去る場面が描かれています。

スータ・マハルシは、ショウナカ等を呼び止めて言いました、「マイトレーヤ・マハルシは、ドゥルヴァのヴァイクンタへの帰還を含め、全ての話をヴィドゥラに語りました。ヴィドゥラは、この話を聞いた後、心と感覚の理解を超えた主シュリハリへの献身をしっかりと確立しました。そして、彼は質問しました、

「おおマハルシよ、あなたは、以前、ナーラダ・マハルシは、プラチェータ等がヤグニャを執り行った犠牲の会場におけるドゥルヴァの偉大な行為を大いに褒めたたえたと言いました。プラチェータという人たちは何者ですか?彼らはどの系統に属するのでしょうか?彼らはどこでサトラ・ヤーガを執り行っていたのでしょうか?

Manye mahā-bhāgavataṁ nāradaṁ deva-darśanam
Yena proktaḥ kriyā-yogaḥ paricaryā-vidhir hareḥ

ナーラダ・マハルシは、主シュリハリの洞察力を持ち、それゆえに、人生の目標を実現した至高の人格者です。彼のダルシャンを受けられるのは神々だけです。彼は、主シュリハリの洞察力を獲得するための様々な方法を絶えず信奉者に教えています。そして、主シュリハリの崇拝や巡礼を行う手順を含め、行為のヨーガ(クリヤ・ヨーガ)を教えてきました。

信奉者は、プージャのプロセスを通じて、シュリハリに到達することができます。プラチェータは、彼ら自身のダルマに則った仕事(スワダルマ)を行うことに絶えず心を傾けています。プラチェータたちがサトラ・ヤーガを執り行いながらヤグニャの権化である主シュリハリを崇拝していると、最高の信奉者であるナーラダ・マハルシがやってきて、シュリハリの解放を獲得したドゥルヴァの栄光を称えました。

おおマハルシよ、私は、このサトラ・ヤーガでナーラダ・マハルシが語られたように神の話を聞きたいと思っています。どうか、詳しく教えてください。」

マイトレーヤ・マハルシは、ヴィドゥラがこう話すのを聞いて答えました、「ドゥルヴァが引退して森で瞑想(ヴァーナプラスタ)を行うようになると、息子ウトカラが国王になりました。しかし、ウトカラは、物質的な豊かさや王国の統治には関心を示しませんでした。

Sa janmanopaśāntātmā niḥsaṅgaḥ sama-darśanaḥ
Dadarśa loke vitatam ātmānaṁ lokam ātmani

ウトカラは、生まれながらにして、この世界には無関心・無執着(ニッサンガ)でした。彼は、世俗の快楽や愛着には少しも傾くことはありませんでした。そして、父親のように、遍在する主シュリハリに確固として献身していました。

この世は押しなべて、真我の光(純粋意識、アートマ・チャイタニヤ)の中に存在しており、この世界にはアートマ・チャイタニヤが充満していることを、彼は経験的に理解していました。そして、世界全体が彼自身の中に存在し、また、彼自身が世界全体に充満していると理解していたのです。

火は、彼の心の中で燃えている至高のブラフマに対する強い思いを呼び起こし、彼のカルマによる束縛の全てを灰にしてしまいました。彼は、悲しみの痕跡すらない非二元性のパラブラフマは、真の自分自身(プラトヤグ・アートマ)以外の何ものでもないことを理解していました。

至福を体現した至高の主は、不可視であり、不変かつ永遠です。全ては真我の光の中だけに存在しており、その光は全ての中に必ず充満しています。悟りを開いた存在(ジーヴァンムクタ)であるウトカラは、パラブラフマが彼自身の本来の姿(スワルーパ)であり、それゆえに、真我の他には何もないと考えていました。

無知で頭の鈍い人には、ウトカラは愚者、気狂い、聾唖、盲目のように見えました。しかし、実際には、彼は至高の叡智(ジニャーニ)に熟達しているのです。彼は灰で覆われた火のような存在でした。

王国の長老や大臣は、ウトカラを狂人と思っていました。ある日、彼ら全員が、ウトカラの弟、つまり、ブラフミーの息子ヴァトサラを国王に任命しました。

彼らの名前を調べてみると、そこに隠された特別な意味を知ることができます。

ドゥルヴァの長男はウトカラです。ウト・カーラとは、時間の車輪を克服した者という意味です。彼はブラフマ・ジニャーニです。ドゥルヴァには、ブラフミーという別の妻がいました。ブラフミーは、「時間の車輪の回転」(ブラマナ)という意味です。ブラフミーの息子がヴァトサラです。一年は、サム・ヴァトサラと呼ばれています。一年というのは、時間の一区切りの象徴です。ヴァトサラの最愛の妻は、スワルヴィーティと言いました。スワルヴィーティとは、「太陽の道」という意味です。

ヴァトサラとスワルヴィーティには、プスパールナ、ティグマケートゥ、イーシャ、ウルジャ、ヴァス、ジャヤという六人の息子がいました。この六人の息子は、六つの季節を代表する神々です。

彼らの中、プスパールナには、プラバとドーシャという二人の妻がいました。この二人は、それぞれ昼と夜を司る神です。プラバには、一日のそれぞれの時間帯を司る神である、プラタハ、マーディヤーンディナム、サーヤムという三人の息子がいました。

ドーシャには、プラドーシャ、ニシータ、ヴユシュタという三人の息子がいました。プラドーシャは夜の始まりです。ニシュータは真夜中です。ヴユスタは夜の最後の時間帯です。ヴユスタの妻はプスカリニと言いました。プシュカリニとは、夜明け前に目にする蓮でいっぱいの池という意味です。プシュカリニの息子は、サルヴァテージャスと言いました。サルヴァテージャスとは、夜明け前に見られる偏在する光輝という意味です。

アークティは、サルヴァテージャスの妻です。彼らの息子がチャークシュサです。彼はミレニアムを率いるマヌとなりました。チャークシュサの妻であるナドヴァーラは、プル、クトサ、トリタ、ドゥユムナ、サトヤヴァーン、ルタ、ヴィラタ、アグニストマ、アティラートラ、プラドゥムナ、シヴィ、ウルムカを生みました。彼らは皆、欠点のない純粋な存在でした。

彼らの中、ウルムカの妻は、プスカリニと言いました。彼女は、アンガ、スマナ、クヤーティ、クラトゥ、アンギラサ、ガヤの六人の息子を生みました。

アニルダーヤ・ナマハ

続く

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