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ラリタ・サハスラナーマの名の意味281~290

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281. Unmeṣa-nimiṣotpanna-vipanna-bhuvānāvalī ウンメーシャ・ニミショートパンナ・ヴィパンナ・ブヴァーナーヴァリー

意味)創造、維持、全創造物の溶解は、彼女のまばたきの瞬間になされます。

ウンメーシャとニメーシャはそれぞれ目を開けることと閉じることの二つの行為です。母のまばたきのほんの一瞬のうちに、宇宙(ブヴァーナ)の創造(ウトパンナ)と溶解(ヴィパンナ)が起こります。
「ニミシャ」は「分」の意味もあります。皇帝ニミはカーラ(時間)が彼の名前(ニミト、あるいはニミシャ)に従ってつけられるようにという恩恵を求めました。そして「ニミト」が「分」になりました。一般的に「ニミシャ」は60秒を表しますが、その本当の意味は「一秒をさらに割った時間」であり、時間の最小単位となっています。
彼女にとってのほんの一瞬が、私たちのあらゆる劫期の総計なのです!これが神々と人間の時間の違いです。

282. Sahasra-śīrṣa-vadanā サハスラ・シールシャ・ヴァダナー

意味)彼女は千の手と千の顔を持ちます。

サハスラ(千)は無限を示します。それは彼女が無限の手と顔を持つことを意味しています。ヴェーダの『プルシャ・スークタム』では、至高の存在「サハスラシールシャー プルシャハ サハスラークシャハ サハスラパートsahasraśīrṣā puruṣaḥ sahasrākṣaḥ sahasrapāt’」と言及されています。
至高の主が小人として現れた姿はヴァーマナとして知られています。ヴァーマナ・アヴァターラ(主マハー・ヴィシュヌの十の化身の一つ)は、最初は親指ほどの大きさでしたが三歩で全地上と宇宙を網羅しました。彼はトリヴィクラマ(トリ[三]+ヴィクラマ[ローカを渡る歩み])の姿へと巨大化しました。この化身は、創造が原子や亜原子の大きさから突然拡大していくことを教えています。神は突然に様々な姿になり、創造のすみずみに広がります。彼は無限の手、目、顔などを持ちます。

283. Sahasrākṣī サハスラークシー

意味)彼女は千の目を持ちます。

284. Sahasrapād サハスラパード

意味)彼女は千の足を持ちます。

285. Ābrahma-kīṭa-jananī アーブラフマー・キータ・ジャナニー

意味)ブラフマーからもっとも小さな虫(キータ)までの全ての生類が彼女から生まれます。彼女はこの創造の全生命の母(ジャナニ)です。
これは私たちがこの創造におけるすべてのものと生き物の中に神聖を見ることを教えています。

286. Varṇāśrama-vidhāyinī ヴァルナーシュラマ・ヴィダーイニー

意味)彼女は全創造の福利のためのアーシュラマ(人生の段階)とヴァルナー(カースト)を創造した力です。
アーシュラマ(人生段階)は四つあり、ブラフマチャルヤ(学生、あるいは独身)、グリハスタ(家長としての人生段階)、ヴァーナプラスタ(全ての責任を果たした後の三番目の段階)、サンヤーシ(放棄)です。それぞれの段階に独自のルールと行動規定があります。

287. Nijājñā-rūpa-nigamā ニジャージュナー・ルーパ・ニガマー

意味)彼女はヴェーダ、アーガマ、シャーストラ(経典)を通して命令を出します。

288. Puṇyāpuṇya-phalapradā プンニャープンニャ・パラプラダー

意味)彼女は善悪の全ての行為の結果・成果(パラ)をもたらします。

行為は善行と悪行に分類されます。善行は恩恵高い行為であり、プンニャ(功徳)を積みます。善行は他者の幸福を心から考えること、他者に利益をもたらす行為、善良で健全な思い、思いの中でも他者を傷つけないことを含みます。その逆がパーパ(罪)です。行為の責任は個人にあります。彼女はこれらの行為の結果をそれぞれの人にもたらします。

多くの場合に、別の人が同じ行為をしても、異なる結果が得られることがあります。これは個人のプンニャ・パーパ(功徳と罪)の貯蓄によるものです。「他者を称賛することはできるが、他者に称賛を求めることはできない」という深い格言があります。善行に対する認知や報酬、感謝を求めるべきではありません。感謝さえも、個々人のプンニャの貯蓄の残高から生じます。その残高が不足しているために、他者に対する奉仕が認知されないという事が生じるのです。

289. Śruti-sīmanta-sindūrī-kṛta-pādābja-dhūlikā シュルティ・シーマンタ・シンドゥーリー・クルタ・パーダーブジャ・ドゥーリカー

意味)ヴェーダ(シュルティ)が彼女の足元にひざまずくとき、その彼女の足の塵(パーダーブジャ・ドゥーリカ)がヴェーダの額にあるシンドゥーラを形成します。
この名は深い意味を持ち、ヴェーダ(究極の聖典)が女神の足元にひざまずくと表現しています。シンドゥーラは既婚女性のシーマンタ(額の上の髪の分け目)を飾る赤い粉であり、吉祥さをもたらします。
ヴェーダが彼女の足を礼拝することは、ヴェーダに対して彼女が優位であることを表しています。
さまざまな理由によって、男女は神々にそれぞれの方法で全託の礼拝(シャースタンガ・ナマスカーラ)をします。男性は神々に全託の礼拝をするとき体全体を地につけなければなりません。そのために額(ララータ)に神の御足の塵がつきます。男性の運命(ブラフマー・リピ)は額にあり、運命を良くするために、このような全託の礼拝が男性によってなされます。
女性の幸運は頭(シラス、額より上の部分)にあります。女性が全託の礼拝をするとき、シーマンタ(額の上にある髪の分け目)が地に触れると吉祥をもたらします。また、このそれぞれのスタイルには、健康を助ける理由もあります。

290. Sakalāgama-saṃdoha-śukti-saṃpuṭa-mauktikā サカラーガマ・サンドーハ・シュクティ・サンプータ・マウクティカー

意味)もしヴェーダが真珠貝ならば、彼女はその中にある真珠です。
彼女は知識の宝庫です。真珠が貝殻に覆われているように、彼女は聖典、ヴェーダ、アーガマに覆われています。言い換えるならば、人は全ての聖典を理解することによって、彼女に到達することができます。

続く

ラリタ・サハスラナーマの紹介
アンガニャーサとカラニャーサ(身体への神の勧請)
瞑想のための詩句
パンチョ―パチャラ・プージャ(五つの捧げものの儀式)
ムーラグランタ(基調詩節)1-111
サハスラナーマ112-1000

※シュリ・スワミジによる『ラリタ・サハスラナーマ』の詠唱アプリはこちらです。
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