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雨を降らせるラーガ(旋律)

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(2016年7月30日 トリニダード)
わたしは15年前のプネーでのコンサートを思い出しています。去年もプネーでコンサートを行いましたが、これは15年前のコンサートでのことです。コンサートが始まるとすぐに雨が降り出しました。わたしは一時間半ほど待っていましたが、雨は止まないようでした。人々はコンサートをとても求めていました。スワミジのステージは完全なセキュリティがあったので、大丈夫でした。そして一時間半のコンサートを行いました。そのようにして12000本の傘が持ち込まれたのです。聞きに来た人々はコンサートの時間ずっと傘を広げていました。コンサートはとてもうまくいきました。マンガラム(※スワミジのコンサートで最後に演奏される曲)が終わると、雨が止みました。しかし、プネーではずっと長いあいだ雨が降っていなかったのです。3~4年のあいだ、雨が降らないことに苦しんでいました。人々は「スワミジ、なにかをなさってください」と絶望的にスワミジに雨を祈っていました。そしてわたしはなにかをしたのです。誰も雨が止むことを望んでいませんでした。もし誰かが雨が止むことを望めば、これから4年くらい雨が降らないことをわたしは知っていました。誰かが雨が止むことを頼むかどうか、待っていました。しかし誰も頼みませんでした。たったひとりの少年でさえ、それを頼みませんでした。彼らは適応したのです。誰かがムリダンガムとタブラ(※共にインドの打楽器)の演奏者のために傘をさしました。しかし幸運なことにわたしのところには雨が入ってこないようになっていました。わたしの楽器は電子楽器でしたので。しかし、他の幸運なミュージシャンは、電子楽器ではなかったのです。これがプネーです。忘れることができません。

10年後、2006年の夏には、ハイデラバードでコンサートを行いました。すべては順調に進んでいました。人々は雨をまったく望んでいませんでした。しかし、わたしは「あともう一曲演奏しよう」と言いました。とても大きなオーケストラが構成されていました。多くの有名な音楽家が参加していました。L・サブラマニアムがそこにいました。彼の息子も参加していました。それぞれ有名なバイオリストのマンジュナース、フルーティストのN・ラマニ、ムリダンガム奏者のヴァクタヴァサラム、ガタム・スレシュなどもいました。とてもとても大きなオーケストラでした。わたしの家族の孫のヴェーダヴァティも座っていました。
わたしは、そのラーガは演奏したくないと言いました。しかし、演奏者たちはあるラーガを演奏したいと主張していました。わたしは「よし、わかった。しかし雨が降ってもわたしに責任はないよ」と言いました。それは夏の時期で、雨の可能性はありませんでした。巨大なカメラがコンサートのために設置されていました。2つか、3つのチャンネルでライブが放送されていました。そして10万人近くがコンサートにきていました。わたしからは最後の列が見えませんでした。最後の列を見るために、双眼鏡を求め、やっと見ることができました。そのように巨大な群衆であり、非常に混み合っていたのですが、とてもよく秩序だっていました。わたしは「このラーガはよくないのですが、彼らがこれを演奏するように願ったのだ」と話しました。そして「オーケー、しかしこのラーガを演奏すれば、雨が降るだろう」と言ったのです。突然雨が降り出し、誰もがパニックになりました。「このラーガは止めることができません」とわたしは言いました。しかし、わたしはひとつの指示を出しました。雨にコンサートが終わるまで待つように言ったのです。わたしは雨が止む許可を出したのです。誰もが目撃するなか、雨は止みました。これは催眠術でもなく、なんの秘密でもありません。誰もが知っていることです。

コンサート後、カメラのために15分間を用意していました。とてもたくさんのカメラが照明をつけ、配線は入り組んでいました。わたしがミュージシャンたちに楽器を守るように言うと、雨の気配がありました。そして突然に雨が降り出したのです。これは催眠術ではありません。これは、わたしのヴァルナ神(水を司る神)へのデボーションから来るのです。ヴァルナ神に命じたのではありません。

シュリ。‘グルダッタ


2006年ハイデラバードコンサートの様子

※この記事は2016年7月30日に トリニダードにおいてスワミジが前半でバジャン(インドの讃美歌)について詳細な説明を行った後の後半の講話内容を抜粋したものです

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