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シュリ―マド・バーガヴァタム 第6話

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このような質問を聴き、聖賢ローマハルシャナの息子である聖賢スータは非常に喜びました。彼は言いました。

“yaṁ pravrajantam anupetam apeta-kṛtyaṁ
dvaipāyano viraha-kātara ājuhāva
putreti tan-mayatayā taravo ‘bhinedus
taṁ sarva-bhūta-hṛdayaṁ munim ānato ‘smi

賢者(英知を備えた賢人)のために存在する聖賢シュカはすべてのカルマ的束縛から自由になり、すべてを放棄し、聖紐式を行う前でありましたが一人になるために家を出ました。しかし彼の父親である聖仙ヴィヤーサが彼と離れるのを怖れて、「我が息子よ」と呼び止めました。すべての木々から、それはシュカの真我の現れ(シュカのアートマスワルーパ)であり、同じ気持ちであるという木霊の返答が響き渡りました。すべての生きとしいけるものの中で、真我(アートマ)の形で輝く聖賢シュカに対して敬礼します。

聖賢シュカという言葉が発せられた瞬間、すべての木、岩、山、鳥そしてすべての存在は一つの真我(アートマ)になりました。神話の中で秘密裏に守られてきたバーガヴァタムは、想像できない超越した力を含んでいます。すべてのヴェーダの本質を含むバーガヴァタムの神話は、サムサーラと呼ばれる真っ暗闇を渡りたがっている人の中の、真我の知識を照らし出すランプのようです。「私は真我実現を探究します。私の真我に出会いたいのです。真我の意味を知りたいのです。」そのような問いに対する答えを求める人にとって、バーガヴァタムはランプのようです。

サムサーラと呼ばれる無明の中で、人々はもがき、自分は真我実現を達成できないのではないか、またいまだかつて内なる真我のヴィジョンをもったことがないのではないかと惨めな気持ちになっています。「私は無知で愚かなままだ、私は本質―至高の主の特質が理解できない」このような形で何か欠乏感を感じる人にとってバーガヴァタムはランプです。

すべての苦悩と、生死のサイクルの繰り返しに埋め尽くされているこの生とは真っ暗闇以外の何ものでもありません。この肉体は多くの病に冒されています。どこへいっても悲しみが見受けられます。幸せはどこにも見つけられません。真の幸せは真我または真我実現の知識を持ったときにだけ達成されるのです。光が見られたときです。この光そのものがパラマートマです。パラマートマと呼ばれるこの光を見ることを望むならば、バーガヴァタムを聴かなければなりません。この本を読まなければなりません。この偉大さと重要性を知ろうとしなければなりません。

ここで出された深遠なる宣言とは何でしょうか。バーガヴァタムは、すべてが真っ暗闇に覆われたときにランプとして取り扱われてきました。聖賢シュカの至高なる慈悲から、聖賢ヴィヤーサの息子は説法しました。聖賢シュカは真我実現を授けることができる一人です。聖賢ヴィヤーサが説法したバーガヴァタムが、計り知れない重要性を秘めていることの所以です。バーガヴァタムは真我実現を祝福するでしょう。

聖賢シュカがこのバーガヴァタムを説法しなかったならば、わたしたちは暗闇の中を生き続けることになったでしょう。聖賢ヴィヤーサが限りない慈悲によってこの話をしたと言われる理由がここにあります。私は、慈悲の海であり、多くの偉大なる聖者方にとってのグルであるこの聖賢シュカに全託します。これが詩の意味です。

Nārāyanaṃ namaskṛtya naraṃ caiva narottamam
Deveem Saraswateem vyāsam tato jayamudeerayet

神であるマハリシ方(聖賢)、人間の中の最高のお方、母なる女神サラスワティと聖賢ヴィヤーサはまずはじめに礼拝されるべきであり、そして真我に勝利を授ける聖なる本であるシュリーマド・バーガヴァタムを読むことを始めるべきです。

バーガヴァタムはジャヤム(勝利)としても知られています。マハーバーラタも同じ名前を持っています。ジャヤムという言葉は、18の数字の象徴です。マハーバーラタには18章あります。シュリーマド・バーガヴァタムには18,000の詩があります。ですから二つともジャヤ(勝利)として扱われています。このように聖賢ヴィヤーサ、聖賢シュカ、聖なる文献シュリーマド・バーガヴァタムへ恭しい敬意を払ったのち、聖賢スータは次のよう話し始めました。

「おぉ、マハリシ(聖賢)方よ。あなた方は、主クリシュナに関するとても吉祥なる問いを向けられました。それは世界に富をもたらします。あなたの問いをただお聴きするだけで、私の心は平安を感じます。」

sa vai puṁsāṁ paro dharmo yato bhakti radhokṣaje
ahaituky apratihatā yayātmā suprasīdati
vāsudeve bhagavati bhakti-yogaḥ prayojitaḥ
janayatyāsu vairāgyaṁ jñānaṁ ca yadahaitukaṃ

人間の中の至高の存在に対してバクティ(献身)を生み出すダルマ(正義、義務)は、それ自体非常に至高なるものです。なぜならダルマには、利己心、障害、怖れはその位置を占めないからです。そのようなバクティ(献身)によって、心は至福へと至ります。宇宙の主であるヴァースデーヴァに向けられたバクティ(献身)は人間の物質的な世界への無執着を引き起こします。無限に知ることができる真我の知識を授けます。
人の正しい行い(ダルマ的行為)が、神の物語/栄光へ向けて増え続ける愛を引き起こさないようでは、そのような正しい行いはエネルギーの無駄になってしまいます。肉体の消耗以外何ものでもありません。無駄です。それがすべてなのです。

続く

srimad2

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