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シュリーマド・バーガヴァタム 第8話

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世俗的な経験(感覚的な経験)を楽しむことで得られる唯一の果実は「人生の旅」の継続です。これはけっして満足感を得るものではありません。
人間の生はブラフマーと、彼を理解することについての熟考を通してのみ意義深いものになります!それはさまざまな行為(カルマ)とそれらの行為の結果の経験を通しては達成することができないものです!ある行為から次の行為と延々と続けても、達成することはできません。お金を良い目的、ダルマ的目的に使うこととは、巡礼に行くこと、バーガヴァタムの詠唱をくり返し組織すること、バーガヴァタムで描かれているような慈善的な行いをすることなどを意味します。私たちは、至高の主(パラマートマ・タットヴァ)についての真実を同化するように試みるべきです。この至高の本質を理解することへ向けてお金は役立てられるべきです。一方で、個人的な利益のためにヤグニャ(儀式)を実施することは正しくありません。すべての段階ですべての行いを主クリシュナーパナマストゥに捧げるべきです。

あらゆるものに違いをみない(非二元的)知識は「タットヴァ(真実、原理)」と呼ばれます。このタットヴァを極めた、抜きんでて博識な魂たちが、これを宣言しました。このようなタットヴァは、ブラフマー、バガヴァン、あるいはパラマートマと呼ばれます。どんな違いもない知識のみが「タットヴァ」です。タットヴァについてとても明確な定義が与えられているのを観察していますか?このタットヴァを理解している人々によって言われています。

人々は、聞くこと(シュラヴァナ)を通して、知識と無執着(ジニャーナとヴァイラーギャ)を十分に備えて、深い献身(シュラーダ)によってタットヴァ(真理、原理)を熟考しました。智慧の現れのなかにある崇敬の念(ジニャーナ・スワルーパ・バクティ)を持ち、知性(ブッディ)によって、このタットヴァを自己の現われ(アートマ・スワルーパ)とみなしなさい!ここに非常に注意すべきです。

「おおマハリシ(聖仙)よ!完全なる達成はヴァラナ・アシュラマ・ダルマ(四つのカーストの人々と、その人生の四段階のために定められた義務)を終わらせ、主スリハリへの全的な喜びをもたらすことによってなされます!」

あらゆる行い、あらゆる状況で至高の主の本質を理解し、その至福を経験するように試みるべきです!その道だけを進むべきです。良い行いの報いとしてインドラ(天界の主)やチャンドラ(月)の地位へ上がることや次の人生で贅沢で金持ちで社会的に有力な人生に祝福されることを期待するのはまったくの間違いです。

ダルマの遵守によって得られる真の成果は解放の獲得です!至高の主を喜ばせること自体が完全な達成であることを理解すべきです。これがダルマです。したがって、一つに志向された集中力で、すべての帰依者を自分の子どもとみなす主スリハリを聞き(シュラヴァナ)、歌い(キールタナ)、瞑想(ディヤーナ)し、礼拝(プージャ)するべきです。

すべての瞬間が主の栄光を聞くことに費やされるべきです。常に至高の本質を聞くべきです!自由になるすべての瞬間を彼の栄光を歌うことに捧げられるべきです!彼の特質を思いだし、彼の栄光を歌うことがとても重要です。同様に目を閉じて、彼を熟考するか、あるいは彼の形態を視覚化することも重要です。至福に満ちながら熟考すべきです。マインドを一点に固定するためにプージャは行われるべきです。そうでないとマインドは一点に固定されないでしょう。

知性をもつ人類は熟考(バガヴァッド・ディヤーナ、主を記憶に留めること)と呼ばれる剣を使って、エゴ(アハンカーラ)と呼ばれるカルマの結び目を断ち切ります。なんと偉大なことでしょう!このことから熟考という道具を通してのみエゴは引きずり出されるべきだということが明らかです!

すべての存在がさまざまな方法でエゴを見せます。満足の欠如を通して、自分たちの視点だけが正しいということの強調を通して、他の人が間違っていることを証明することによって、あるいは他のさまざまな行為によってエゴが現わされます。このエゴは根本的に引き抜かれるべきです。ここで人間は自己を罰します。プージャのような至高であり、価値ある行為によって、それぞれの人は完全に、彼、彼女のエゴを切り裂くのです。これを行うことによって、人は自動的に主への愛を培っていきます。それから、至高の本質を理解したいという願望が培われます。聖なる地で奉仕を提供すること、偉大なる聖者たちに奉仕する機会が生じます。

「今日はトゥーラサンクラマナ(訳注 オリッサ州、カルナータカ州で祝われる女神の祭り)です。川へ行き、そこで沐浴をする必要があります」、「卒業前にプシュカラ(訳注 聖なる川を礼拝する祭)の沐浴を済ます必要があります」、「聖地巡礼に行く必要があります」。このようにマインドはよい行為への願望を表現します。偉大なる聖者たちに奉仕する機会はそれに伴ってやってきます。このようにマインドが探求するとき、それに沿って他の多くの良いことがやってくるのです。貧しい人たちを養う機会もこれに沿って生じます。これはその人の内に献身が現れたことによります。

繰り返し、繰り返し、人はグル・ダルシャン(師に会うこと)に殺到すべきです!グルによって解決される必要性のある何らかの問題のためではなく、あるいは個人的な願望を成就させるためではなく、ただ愛と共に彼に会いに行くべきです。問題は永遠に存在するものです。彼へのバクティ(信愛)がマインドに深く根ざしていなければなりません。

好きな神々への巡礼に行き、グルのダルシャンに行き、好ましい川で巡礼し、十人の人々に食事を提供し、このような方法すべてを用いて、エゴをマインドから吹き飛ばしなさい!

オーム ナモー ナーラーヤナ

続く

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